秋韻 byつう
西方の砦を巡る激戦の中。
銀髪の忍がひとり、すわっていた。血に染まった岩にもたれて。
「俺が、行く」
燃えるような緋色の髪の男が言った。傍らにいた黒髪の青年が目を見開いた。
「セキヤ……」
「俺にしか、できないからな」
「……死ぬ気?」
「まさか。あっちも俺とは心中したくないだろうよ」
なにしろ、相性サイアクなんだから。
セキヤは刃の肩を抱いた。顔を近づけて、囁く。
「やつとの決着がついたら、このあたりを爆砕する」
雲の連中に渡すわけにはいかない。あの男を。
「わかった」
刃は頷いた。
「半径五十メートル以内は巻き添えになる。無傷でいては兵部に疑われるだろうが、余計な怪我はするなよ」
「直撃を受けなければいいんだろ。できるよ」
「頼む」
セキヤは囲みの中に入った。遠巻きにしていたつわものたちが、ざわざわと道を開ける。
木偶が。さっさと消えろ。でないと、命の保障はしない。おそらく、力の加減などできないだろうから。
一歩、また一歩と近づく。そして。
ふたりはようやく、出会った。
龍頭の砦に、刃が帰還した。
セキヤとともに西方へ赴いた仲間は総勢二十名。大半はたいした怪我もなく、それぞれの持ち場に戻った。
「セキヤは、どうしました」
加煎が抑揚のない声で糾した。刃は事実を告げた。その直後。
頬を鳴らす鋭い音が響いた。間髪入れず、加煎の手が刃の喉元にかかる。刃はそのまま、壁に体を押しつけられた。
「加煎!」
醍醐が止めに入った。手首を掴んで、引き離す。
「貴様……貴様などに、セキヤをやるのではなかったわ!」
全身をこわばらせて、加煎は叫んだ。正気を失ったのだろうか。常とはまるで別人のようだ。
「相手は『写輪眼のカカシ』だぞ。貴様、それを知っていて、なぜセキヤを行かせた!」
唇がわなないている。瞳には怒りの焔。
「前にも言ったはずだ。セキヤを止められるのは貴様だけだと。それを、貴様は……」
「もうよせ!」
醍醐は加煎を、背後から抱きしめた。
「セキヤが自分で選んだことだ」
ぴたりと、加煎の動きが止まった。
「……自分で?」
「そうだ」
がっしりと加煎の体を包んだまま、醍醐は答えた。刃は壁にもたれた状態で、二人を見守った。
「……あの人の……ために」
「ああ。坊やのために」
加煎はがっくりとひざを折った。秀麗な顔が苦しげに歪む。
崩れた。
漠然と、刃は思った。
いつも先の先まで計算し、何事も将棋の駒を動かすように処理してきた加煎が、恥も外聞もなく感情を吐露している。
自分は「あの人」を知らない。しかし、あの人の存在の大きさはひしひしと感じる。
木の葉の里の中忍、うみのイルカ。もう十年も前に、彼岸に渡った人。
でも、彼はここにいる。短いあいだしか行動をともにしなかったというのに、彼はいまも、記憶の中に生きている。
『宝物なんだよ』
いつだったか、セキヤが言っていた。
『俺にとっても、みんなにとっても』
きっと、素敵な人だったのだろう。自分のように、会ったこともない人間にさえ、温かな空気を感じさせてくれるのだから。
加煎の心の中でも、あの人は特別だったのだ。セキヤに対するのとはまた違った意味で。
「大丈夫だよ」
刃は言った。
「セキヤは、大丈夫だ」
「たいした自信だな」
醍醐はまじまじと、刃を見た。加煎もゆっくりと顔を上げる。
「その、根拠はなんです」
力のない声で、加煎は訊いた。刃は黒目がちの眼をまっすぐに向けて、答えた。
「『俺にしか、できない』。セキヤはそう言った。だから、セキヤはそれをやる。そして、おれたちのところに帰ってくる」
すべてを終えて、終わらせて。セキヤは帰ってくる。刃はそう信じた。
龍央の砦から山ひとつ隔てた東壁に、セキヤはいた。
かつてイルカが吹雪の中で遭難し、助けを待っていた窟の中に。
「懐かしいだろ」
セキヤは言った。手際よく、事を進めながら。
「ここなら、だれにも邪魔されないと思うよ。オレと火影のじいさんしか知らないから……あ、でも、それがいちばん嫌か」
くすりと笑う。
「それにしても、よくオレに体をまかす気になったねえ」
わざと、際どい言い回しをする。カカシの憮然とした顔が目に浮かんだ。
「据え膳、食わなかったからかな?」
あのとき。
もし自分が写輪眼を欲していたら、カカシは迷わず自爆していただろう。そのときすぐではなく、写輪眼が取り出されたときに発動するよう術をかけて、そ知らぬ顔で死んでいったかもしれない。
「ほんとに、余計な欲、出さなくてよかったよ。まあ、そんなことしたら黒髪さんに怒られるからね」
イルカの望まぬことはしない。イルカを悲しませるようなことは。
「いまさら妬かないでよ。オレが思うのは勝手でしょ。あんたと違って、思い出しか残ってないんだから」
そう。自分には、思い出しかない。けれどそれは、なんと美しいのだろう。
記憶の中に、何人ものイルカがいる。その時々に鮮烈な印象を残して。
最後に会ったとき、彼は言った。また会いましょう、と。
穏やかな顔、やさしい声。彼は希望を与えてくれた。また会える。望む心は自由だ。
作業は淡々と進んでいった。
あの男が存在した痕跡は、もう消した。が、しばらくはここにいよう。だれかが「気」を察知して来るかもしれない。すべてが無に帰するまで、この窟を守らねば。
「これで最後、ね」
セキヤは古びた皮袋を霧散させた。カカシが最後まで手にしていた小さな袋。
中になにが入っていたのか、セキヤは知らない。だが、予想はついた。
イルカだ。おそらく、彼がいたのだ。
ずっと、側にいた。そして、これからもずっといる。
刀を振り下ろす直前に見た、カカシの顔。
しあわせそうな、満ち足りた表情。にくらしいほど、いい顔だった。
ねえ、黒髪さん。あんたもいまごろ、すごくいい顔、してるんだろうね。やっと安心できたんだから。
オレもうれしい。あんたの役に立てて。本当に、よかったよ。あんたの心を、分けてもらえて。
すべての仕事を終え、セキヤが窟を出たのは、西方の攻防から四日目のことだった。
刃に遅れること三日。セキヤは龍頭の砦に帰参した。
「ご無事で、なによりです」
加煎は最上級の礼をとり、深々と頭を下げた。
「首尾よくいったのか」
醍醐が訊いた。
「ああ。終わったよ」
セキヤは答えた。
「おかえり」
短く、刃は言った。目が赤い。おそらくほとんど寝ていないのだろう。セキヤは刃を抱きしめた。
「すまなかった。心配をかけたな」
「いいんだ」
くぐもった声。
「何度も言うようですが……こんなことはもうご免ですよ」
加煎はため息をついた。
「ま、終わり良ければすべてよしってことで、いいじゃねえか」
醍醐は頭をばさばさとかきながら、続けた。
「きのう、西方が落ちたぜ」
「知ってるよ」
セキヤはそっと刃をはなした。
「あの熱血野郎ががんばったみたいだね」
北部の停戦を取り付けたガイが、あろうことか龍央以北の砦の戦力を総動員して西方に攻撃をかけて、二昼夜のうちに砦を占拠したらしい。
それにしても、思い切ったものだ。停戦協定は内々のものに過ぎないというのに。
万が一、「朱雀」が協定を破棄したら、木の葉の部隊は全滅だ。そのリスクを考えなかったわけではなかろうが、やはり木の葉の上忍は侮れない。
「獅子奮迅の勢いだったって?」
「その前に、おまえが将兵の大半を吹っ飛ばしてたからだろ」
醍醐が口をはさんだ。
「オレがやったのは雑魚だけだ」
本隊を潰したのは、カカシだ。自分は、残りを片付けただけ。
「どっちにしても、兵部にとっちゃ痛手だよな。あれだけ身も蓋もないことやっといて、西方を獲られちまうなんて」
「いい薬だよ。オレたちもそろそろ、考えなくっちゃね」
「切りますか。兵部を」
ひっそりと、加煎。セキヤはにんまりと笑って、
「ま、もう一押し、してからね」
引責辞任なんて、生っちょろいことさせないよ。どん底まで堕ちて、悔し涙に溺れてもらおうじゃないの。
「もう一押し、ですか」
セキヤの真意を察したのか、加煎が薄く笑った。
こののち。
雲の国は弱体化の一途を辿ることになる。国としての体裁はなんとか保っていたものの、属国は次々に独立し、国力は目に見えて衰えた。
木の葉の国に五代目火影が誕生した二年後、森の国は雲の国から独立した。
初代国主の名を、朱雀という。
(了)
目次 月の室 攻略表