セキヤ受委員会推奨作品no,3






煉獄      byつう







 冷たい床の上に、緋色の髪の男が捨て置かれたように倒れていた。
 全裸である。縛られた手首は赤黒く欝血し、体中に打撲や鞭打ちの跡が窺える。そして、下肢のあいだには明らかな情交の残滓。
 きれいに筋肉のついた細身の体は、息すらしていないのかと思われるほど、ぴくりとも動かなかった。
 格子から差し込む白々とした月の光が、意識を失った男の面を照らし出した。






 かつて自分たちとともに戦った、木の葉の国の中忍のひとりが「英雄」になって慰霊碑に名前を刻まれた。
 その知らせを聞いてからまる三日、セキヤは食事も摂らずに私室に籠もった。
 四日目の朝。業を煮やした醍醐が殺されるのを覚悟で扉を蹴破ると、くっきりと目の下に隈を作ったセキヤが、嬉々として武器の手入れをしていた。
「なにやってんだ、おまえ」
 部屋中に広げられた刀や槍。
「なにって、見りゃわかるでしょ」
 常の口調で、セキヤは言った。
「岩の国に行くからねー。みんなも早いとこ、用意して」
「岩の国?」
「そ。黒髪さんが困ってるからさあ。助けてあげなくちゃ」
 醍醐は血の気が引いていくのを感じた。黒髪さんが困ってる、だと?
 馬鹿なことを。坊やは、もう五日も前に死んだというのに。
 知らせを持ってきたのは、木の葉の里の「草」と連絡をとっていた仲間のひとりだった。セキヤのいうところの「黒髪さん」、すなわち木の葉の中忍うみのイルカが、岩の国への文遣いの帰途に襲撃されて、殉職した。そして、葬儀が行なわれた、と。
 イルカは、セキヤにとって特別な存在だった。セキヤがいわゆる「仲間」以外に、はじめて心を開いた人物。それが、あの黒髪の中忍だった。
「黒髪さんは、オレのもんなの」
 それがセキヤの口癖だった。彼が側にいるときも、いないときも。
 イルカは木の葉の忍であったから、任務のとき以外はセキヤとともにいることはなかったというのに。
 もっとも、たった一度、セキヤは仕事抜きで木の葉の里を訪れたことがあった。
 ともに雲の国で工作活動をした、すぐあと。イルカが帰還途中で遭難し、あわや凍死寸前までいったらしいのだが、その後の経過を気にしていたセキヤが、ひとりで彼の様子を見にいったのだ。
「ねえねえ、聞いてよ、醍醐! 黒髪さんたらねえ」
 帰ってくるなり、セキヤは醍醐の腕を引っ張って、うれしそうに事の次第を報告した。
「でね、にっこり笑って『おれを作ったのは、あなたです』なーんて、言ってくれたのよー。これって、すごいでしょ。『あのときのおれは、あなたのものでした』とかさあ。あ、そうそう。『また、いつか会いましょう』とも言ってたな。うん。……いやあ、もう、オレ、どうしたらいいのー」
 どうするもこうするもない。
「……そりゃ、よかったな」
 天まで上ってしまっているようなセキヤに、醍醐は控え目な祝福を告げた。
「黒髪さん、すっごくしあわせそうだったよー。ああ、オレもしあわせー」
 弟のように可愛がっていた東依を亡くして以来、なにかと沈みがちだったセキヤが、こんなに楽しそうにしている。このとき醍醐は、あらためて「黒髪さん」の力に敬服した。
 その「黒髪さん」が死んだのだ。
 セキヤの衝撃は推して知るべしであろう。
 知らせを受けたとき、セキヤは椅子を倒して立ち上がった。側卓に置いてあった刀を手に、前に出る。
 切られる。醍醐は思った。セキヤは、この訃報をもたらした者の首をはねる気だ。
「セキヤ、待て……」
 醍醐が前に回り込もうとしたとき、セキヤがくるりと振り向いた。
「寝るから、邪魔しないでよね」
 まるで何事もなかったかのようにそう言って、集会所をあとにした。そして、三日。彼は房から一歩も出なかったのだ。
「どしたの、醍醐。早く準備してよー。昼までには出発するから」
 うっすらと笑って、セキヤは言った。
 まずいな。
 心の中で呟く。これは、まずい。
 セキヤがこんなふうに笑うときは、たいてい、夜叉が宿っているとき。身の内に冷たい焔を燃やし、行く手を阻むものを焼き尽くす。
 幾多の戦いの中で、醍醐はそれをつぶさに見た。谷間を抜ける風のごとき速さでその焔は突き進み、敵を壊滅させてきた。
 まずいぞ。あらためて、思う。
 イルカを失った衝撃のあまり、いま、セキヤの中に「人」はいない。この状態で岩の国へなど行っては、とんでもないことになりそうだ。
「聞こえなかったの。……さっさと、行きな」
 焦色の目が、醍醐を突き刺した。
 仕方がない。どこまで、この夜叉となった男を抑えられるかわからないが、もしものときは自分の身をもって止めよう。醍醐は、そう決心した。






 その夜から、岩の国の前線基地が、軒並み襲撃されはじめた。
 何者かもわからない。理由もわからない。ただ、砦を潰すことだけを目的にしたかのような、無作為な襲撃だった。
 砦にいた忍は、ひとり残らず殺された。それも、体中に刀傷を受けたのちに首を落とされるという、残虐な方法で。かろうじて脱出を果たした者の証言によれば、降伏した者も例外なく、刃にかかったという。
 三日三晩、その兇行は続いた。そして、四日目の朝。
 木の葉の国との国境付近で、小さな砦が襲われた。戦略的にはたいして価値もない、単なる見張り台のような砦だった。
 当然、兵力は微々たるものだった。駐屯している数も少なければ、個々の戦力も中忍以下だ。
「こんなちっぽけなとこ、やめとこうぜ」
 醍醐が言った。なにしろ、隊長が中忍、あとはどう見ても下忍レベルの砦だ。子供のような年の忍を相手にするのは、どうも気が引ける。
 これまででさえ、何度もセキヤを止めようとしたのだ。ことさら楽しんで殺そうとしているときなど。
 セキヤは岩の国に入ってから、一睡もしていなかった。食べ物もまったく口にしていない。出発前も同じだったから、あしかけ一週間、睡眠も食事も摂っていないことになる。
 わずかな水だけで、この進軍を続けている。「黒髪さん」を求めて。
 もはや、この世のどこにもいない大事な人を探して、いま、セキヤは鬼になっているのだ。
 体力はすでに限界を越えているはずだった。目は落ちくぼみ、肌は色を失い、幽鬼のごとき様相になっている。
「いつまで、もつでしょうね」
 昨夜、加煎が醍醐に言った。
「二、三日がヤマというところでしょうが……ねえ、醍醐」
「なんだ」
「もし、このままセキヤが私たちのところに戻ってこなかったら、どうします」
「……戻ってくるさ」
「きますかねえ。あの状態で」
「東依が死んだときだって、ちゃんと戻ってきただろうが」
「そりゃ、東依は私たちの仲間でしたから」
 加煎は薄く笑った。
「仲間の死を見送るのは、残った者のつとめ。それぐらいのことはセキヤだってわかってますよ。それに、あのときはあなたがセキヤを慰めてくれましたし」
「余計なことを思い出さなくていい」
「照れてるんですか?」
「阿呆。……後悔してんだよ」
「セキヤと寝たことを?」
「あからさまに言うな」
 醍醐は憮然として、言った。
「あれ以来、どうも甘くなっちまったみたいで、自分でも嫌なんだから」
「おやおや。そんなに、よかったんですか」
 あきれた顔で、加煎。
「だとしたら、あなたにはセキヤを殺せませんね」
「なんだと?」
 醍醐は目をむいた。
「どういう意味だ」
「言葉通りですよ」
 加煎は冷ややかに、醍醐を見据えた。
「もし、このままセキヤが私たちのもとへ戻ってこなければ、私がセキヤを殺します」
「きさま……」
 刀の柄に、手をかける。
「殺しますか。私を」
 動揺のかけらもない、声。
「べつにかまいませんよ。どうせ、セキヤを失うのなら」
「加煎……」
「私たちは、ずっと一緒だった。命が尽きるときまで、セキヤとともにいるのだと思ってきました。けれど……セキヤが私たちを捨てていくのなら、そんなセキヤはいらない。だから、私が殺します」
 迷いはないようだった。醍醐は手を下ろした。
「やらせねえよ」
 のどの奥からしぼりだすような声で、醍醐は言った。
「ぜったい、やらせねえ」
「お手並み、拝見といきますか」
 加煎は扇を揺らしつつ、天幕に戻った。
 そして。
 今朝である。
 セキヤはその小さな砦を襲う気だった。武器をしっかり確認して、立ち上がる。
「ちっぽけだろうが、なんだろうが、関係ないでしょ。岩の忍がいるんだからさあ。黒髪さん、助けてあげなくちゃ」
 イルカは岩の国の忍に殺された。そのことが、セキヤの岩の国への憎悪をかきたてているのか。
「行くよー」
 足元がふらついている。それでも、セキヤは襲撃をやめなかった。朝一番で砦に入り、見張りの忍を屠る。
 さらに奥へと進むと、家具や荷物が散乱した房があった。どうやら、あわてて逃げたようだ。
「つまんないこと、するねえ」
 セキヤは目をぎらつかせた。
「逃がさないよ」
 全速力で追う。醍醐もそのあとを走る。砦を出たところで、十人ばかりの集団が見えた。
「まーだ、こんなとこにいた」
 にんまりと、セキヤが笑った。印を結んで、前方に飛ぶ。
 その集団は、まだ十代前半の子供たちだった。おそらく大半が下忍だろう。
「ダメだよー。忍が砦を捨てて逃げちゃ」
 刀を抜いて、地を蹴ろうとした、その瞬間。
「やめろ!」
 醍醐が宙から飛び降りてきた。セキヤの目が、カッと見開かれる。
「だれに、もの言ってんのよ」
「おまえこそ、なに寝惚けてんだ」
 醍醐は両手に剣を構えた。
「相手は、子供だぞ。しかも、逃げ出した者まで追いかけてどうする」
「子供だって、忍でしょ。だったら、殺らなくちゃ」
「いい加減にしろ。おまえ、本当に坊やのこと、忘れちまったのか!」
 ゆらり、と、セキヤの体が揺れた。
「……だれが、だれのこと、忘れたって?」
 刀を持つ手に、力が入ったのがわかる。醍醐は唾を飲み込んだ。
「おまえの大事な、黒髪の坊やのことだよ」
 セキヤの刀が振り下ろされた。肩口ぎりぎりで受けとめ、はじき返す。
「おまえ、言ってたよな。坊やが、『おれを作ったのはあなたです』って言ったって。あの坊やが、はじめておまえに会ったのは、こいつらぐらいのときだったんだぜ!」
 足がすくんでいるのか、少年たちはその場から動かずにいる。
「こんなことしてて、おまえ、ほんとに坊やに会えると思ってるのか?」
「……やかましい!」
 セキヤが跳んだ。上空から、刀が降るように落ちてくる。二本の剣でそれを受け、醍醐はセキヤの体を横に飛ばした。
 さすがに体力が落ちていたのか、いったんひざをつくと、途端に動きが鈍くなった。いける。醍醐はセキヤに飛びかかり、刀を払って押し倒した。
 キーン、と鋭い音がして、醍醐の剣がセキヤの首を捕えた。ざっくりと、土にめりこむ。
「動くな!」
 醍醐はセキヤの肩を押さえた。
「動脈が切れるぞ」
 セキヤはびくりと体を震わせて、大きく目を見開いた。焦色の瞳に、自分が映っているのが見える。
「おまえ……」
 醍醐は確認した。もしかして、この目は……。
「わかるのか」
 セキヤはまばたきもせずに、醍醐を見つめた。唇が、かすかに動く。
「……会いましょうって、言ったんだ」
「え?」
「黒髪さんは……いつか会いましょうって……」
 それなのに、もう会えない。自分がここにいるあいだは。自分の体があるあいだは。
「だからって、おまえ、わざと殺されるように仕向けてたのかよ」
 醍醐は剣を引き抜いた。
「……ちと、お遊びが過ぎたな」
 ゆっくりと立ち上がり、うしろを振り向く。恐怖のまなざしを向けている少年たちに、醍醐はことさら大きな声を上げた。
「さっさと消えろ! 命が惜しいならな」
 ばっと蜘蛛の子を散らすように、少年たちが消えた。見習いとはいえ、さすがに忍である。
 セキヤはそのままの態勢で、地面に横たわっていた。
「殺してやろうか?」
 ぼそりと、醍醐が言った。セキヤは答えなかった。ただ、じっとしている。
 醍醐は剣を構えて、セキヤの体をまたいだ。
 セキヤの瞳が虚空に向けられる。その向こうにいる人を求めるかのように。
 醍醐は力いっぱい、剣を突き刺した。






 月明りの下で、長衣を着た薬師のような風体の男が、扇をゆらしつつ「それ」が終わるのを待っていた。
 なんとも、厄介なこと。
 一重の目をわずかに伏せて、嘆息する。
 結局、あなたにはセキヤを殺すことはできない。セキヤのために命を捨てることはできても。






 セキヤは戻ってきた。心身ともに、ぼろぼろではあったけれど。
 一週間、食べず眠らずだったせいで、薄い粥すらも受け付けない状態になっている。ようやく葛湯を少し口にしたが、それもあとで吐いてしまった。加煎は消化器官を整える薬湯を調合し、少しずつそれをセキヤに飲ませた。
 日が暮れてから、セキヤはほかの仲間を先に帰すよう命じた。今回の仕事に、納得できないものを感じていて者たちは、ようやくセキヤがいつもの彼に戻りつつあるのを見て安心したようで、砦から略奪してきた物資とともに、意気揚々と帰っていった。
 そののち。
 枕辺には、醍醐と加煎が残った。
「醍醐」
 飲み終えた薬湯の椀を加煎に返しつつ、セキヤが言った。
「うん?」
「やってもらいたいことがある」
 常になく、固い口調だ。
「なんだ」
「オレを、抱け」
 醍醐は眉をひそめた。
「笑えねえな」
「本気だよ」
「自分がどういう状態か、わかっているんでしょうね」
 加煎が、口をはさむ。
「わかっている」
「だったら、おまえ……」
「だから、だ」
 セキヤは醍醐を見据えた。
「だから、いま、抱いてくれ」
 心も体も夜叉に食わせてしまった、この現し身を。
「……罰ってことかい」
「察しがよくて、助かる」
 唇が、笑みの形を作る。
 加煎は黙って、立ち上がった。小屋の戸が閉まるのを待って、醍醐は上衣を脱いだ。
 灯明を消して、牀の上に上がる。夜着を脱がせようとすると、セキヤが見下げたような顔で、言った。
「ばかじゃねえの」
「セキヤ……」
「抱けって言ったからって、んな甘っちょろいことやってて、どうするよ。オレは、おまえに、抱けって言ったの。だから……おまえがいちばん『いい』方法でやれよ」
「それは……」
「できないの」
 セキヤは醍醐の喉元に小刀を突きつけた。切っ先が、皮膚に触れる。
「……わかった」
 醍醐は、頬を歪ませながら牀を離れた。





 細い手首を、ぎりぎりと締め上げる。
 一週間も食事を摂っていないのだ。はたして、耐えられるだろうか。
 その不安は多分にあったが、セキヤがそれを望んでいるのだ。醍醐は、奥歯をぐっと噛み締めた。
「早いとこ、始めろ」
 梁から下がった縄に吊るされた状態で、セキヤは言った。
 足はかろうじて下についているものの、体重のほとんどは手首にかかっているはずだ。すでにうっすらと欝血しはじめている。
 醍醐には、縄を使う性癖があった。それも全身を縛るのではなく、上から吊るした態勢で責めながら犯すのだ。
 むろん、以前セキヤと床をともにしたときは、そんなことはしなかった。東依を亡くして落ち込んでいたとき。あのときは至極まっとうに、セキヤを愛した。しかし。
 今回はそういうわけにはいかない。セキヤは、裁かれたいと思っているのだから。
 手を抜いたら、それこそ舌でも噛み切るかもしれない。
 醍醐は覚悟を決めた。もし、おまえが死んだら……。
 その答えを心の奥底に沈め、醍醐は鞭を振り下ろした。





 夜風が、加煎の白い頬をなぶっていく。
 小屋の中から、「それ」が行なわれている音が聞こえる。が、声はまったく聞こえない。
 二人とも、つらいですね。
 それでも、そのことを終えなければ次へと進めない。
 加煎は大きく息を吸い込んで、晩秋の夜空を見上げた。





「……終わったよ」
 醍醐が、小屋の戸を開けた。
「ご苦労さまでした」
 加煎が扇を広げつつ、中に入る。
「これはまた……たいへんでしたね」
 あまりのことに、加煎の玲瓏な顔が歪んだ。
 床の上に、緋色の髪の男が捨て置かれたように倒れている。
 全裸だった。縛られた手首は赤黒く欝血し、体中に打撲や鞭打ちの跡が窺える。
 きれいに筋肉のついた細身の体は、息すらしていないのかと思われるほど、ぴくりとも動かなかった。
「とりあえず……体を拭かないと」
「そうだな。それから、傷の手当を」
「……本気でやったんですね」
「でなきゃ、やばかったんだよ」
「どっちがです?」
 醍醐か、それともセキヤか。
「両方だよ」
 辛そうに、呟く。加煎は頷いた。
「湯を持ってきます」
「ああ。頼む」
 醍醐はセキヤを抱き上げて、牀に運んだ。子供のような顔が間近に見える。
 よかったな。ようやく、眠れて。
 夢の中で、坊やと会えたかい。
 醍醐は、セキヤの唇にそっと口付けた。



 (了)





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