回帰   byつう






ACT4



「山越えをするって?」
 床に敷いた夜具の上で、セキヤは目を丸くした。
「はい。いまの季節なら、まだそれほど天候も悪くならないでしょうし」
 牀に腰掛けて、イルカは言った。
 同じ房で寝起きするようになってから、セキヤはずっと床に蒲団を敷いている。さすがにイルカと同じ牀に寝て、理性を保つ自信はなかったから。
「うーん、そりゃまあ、そうだけどさあ。ここから南に下って、国界沿いの道を行った方が安全だよ」
「わかっています」
「でも、遠回りは嫌なのね」
 セキヤは立ち上がって、イルカの横に腰をおろした。
「そんなに、好きなの」
「え?」
「だからさあ、ほんのちょっとでも早く帰りたいほど、そのヒトのこと、好きなんだ」
 そして、おそらく「そのヒト」も、一刻も早くイルカに会いたいと思っているのだろう。
「いや、もう、黒髪さんてば、すっかりオトナになったんだねえ」
 セキヤはイルカの首のうしろに手をやって、髪をくしゃくしゃとかき回した。
 そういえば、二人きりのときに触れたのははじめてだ。「仕事」抜きで触れてしまったら、きっと気持ちを抑えられないと思ったから。
 まっすぐな黒髪。こころなしか、以前よりやわらかくなったような気がする。
「口だけはご立派な、背伸びしてるボーヤだと思ってたのに」
 はじめて会ったころを思いだしつつ、言う。イルカは苦笑した。
「あれから何年もたってるんですよ」
「だよねー。もう、ヒトのもんになっちゃったなんて、すっごく残念だわ」
 本心だった。手はまだ、イルカの髪をもてあそんでいる。
「ねえねえ」
 ふと、いたずら心がよぎった。
「内緒にしといてあげるから、ご褒美、くんない?」
 どう返してくるだろうか。以前なら拒まなかっただろう。しかし、いまは……。
「駄目です」
 やっぱりね。でも、「はい、そうですか」なんて言わないよ。
「えーっ。どうしてよ。手伝ってあげたじゃん」
「失いたくないですから」
「へ? なにを」
「大切なものを」
 大切な人と、大切な心と。
「うわー。お熱いねえ。あんまりそーゆーこと言うと、オレ、帰してやんないかもよ」
 しゃべっているうちに、だんだん本気になってきた。これはちょっと、まずいかも……。
「わかんなきゃ、いいでしょ」
「わかりますよ」
「なんでよ」
「あなたにも、わかると思いますけど」
 そうだった。それを言ったのは、ほかならぬ自分。
 ほんとに好きな相手には、伝わる。なにを見ているのか、なにを感じているのか、すべてが。
「……言うねえ」
 そんなことはわかってる。でも、すんなり帰すのはなんとなくシャクだ。
 セキヤはイルカの首のうしろをぐっと掴んだ。上体を寄せて、唇を重ねる。
 懐かしい唇だった。幾度も交わした口付けのあれこれが思い起こされる。
 イルカは抗わなかった。が、応えようともしなかった。ただ、セキヤを受け入れるだけで。
「なるほど、ね」
 なんとか自分を納得させて、唇をはなす。
「なんか、オレっていっつも、貧乏クジだよなー。前んときもそうだったじゃん。もう、やってらんねえったら」
「すみません」
 真面目な顔で、イルカが答えた。
「はあ? ああ、もう、いいのいいの、黒髪さんは。さっさといいヒトんとこ、帰んなよ」
 セキヤは、にんまりと笑った。
「あ、でも、チューしたことは内緒だよん」
「はい」
「素直でよろしい。……てなわけだから、入ってくれば?」
 セキヤは戸口に向かって、声をかけた。ややあって、ゆっくりと扉が開く。
「覗きなんて、シュミ悪いよ」
「覗いてねえぞ」
 醍醐が憮然として、抗弁した。
「そうですよ。聞いてはいましたが」
 しれっとした顔で、加煎が言う。
「盗み聞きだって、十分、シュミ悪いって」
 セキヤは奥の棚から、次々と蒲団を出した。
「んじゃ、これ、頼むねー」
「うん? なにすんだよ、こんなにたくさん」
「床に敷きつめんのよ」
「……どういう趣向です」
 加煎が問う。セキヤは楽しそうに笑って、
「今夜は、みんなでここに寝るの」
「乱交は嫌ですよ、私は」
「ばーか。だれがそんなことするって言ったよ。せっかく、黒髪さんと別れを惜しませてやろうと思ったのに」
 醍醐はまじまじとセキヤを見た。
「熱でもあんのか、おまえ」
「それ以上言ったら、おまえだけ退場だよ」
「そりゃ困るが……ほんとに、ここで夜明かししてもいいのか」
「いいよん。ね、黒髪さん」
 セキヤは牀を見上げた。イルカは微笑を浮かべて、
「皆さんが、それでいいなら」
「それじゃ、飲み直しますか」
 加煎が提案した。
「厨にとっておきのを一本、隠してあるんですよ」
「なんでまた、そんなこと」
 醍醐が訊ねた。
「この人がいなくなったら、セキヤの機嫌が悪くなるでしょ? ですから、そのときにこっそり差し入れようと思って」
「あざといやつだな」
「どうせなら、用意周到と言ってください」
「ちょっとちょっと。なんでもいいから、早くその酒、持ってきてよ。つまみは漬物でいいからさー」
 こうして。
 セキヤの私室で四人だけの二次会が始まった。皆はイルカの話を聞きたがった。イルカはアカデミーの子供たちのことや、里の話をした。むろん、機密に類するような話はいっさいしなかったが。
 なんて、しあわせそうに語るのだろう。自分の周囲のことを。
 イルカはもう、ひとりで立っている。自分の足で、しっかりと。
 あのころ、ひたすらに生き急いでいた少年は、もういない。
 ほんの少し、寂しかった。もしかしたら、ともに歩けたかもしれないのに。
 でも、いい。彼がしあわせならば。彼の笑顔があるだけで、自分はこんなにも満たされる。
 よかったね、黒髪さん。オレはうれしい。あんたが心から笑っているのがわかるから。こうなるまでに、どれほど苦しんだかもわかるから。
 本当に、いい男になったね。




 イルカの穏やかな寝顔を見ながら、男たちはさらに杯を重ねた。
「どう言えばいいんでしょうね」
 加煎が切れ長の目を伏せた。
「この人の存在を」
「ふん。なにも面倒くせえこと考えなくてもいいじゃねえか。坊やは坊やだろ」
「そうそう。黒髪さんは、ずーっと黒髪さんだよ」
 セキヤはイルカの髪を撫でた。
「オレたちを楽しい気分にさせてくれる、宝物じゃん」



 宝物は、大事に大事に仕舞っておこう。
 いつまでも色あせることのない思い出の中に。



(了)




目次   月の室   攻略表