冬萌   byつう






 悔しいよなあ。
 雪山からの帰り道、セキヤは心の中で呟いた。
 何度、考えてもわからない。どうして黒髪さんは、あんなやつとそういう関係になったんだろう。
 およそこの世のものとは思えない殺気をまとった男。それが、セキヤが「写輪眼のカカシ」を見たときの印象だった。そいつと黒髪さんが、「いい仲」だなんて。
「やっぱり、わかんねえ」
 今度は、声に出してしまった。
 イルカが助かったのはうれしいが、助けたのがカカシだというのは気に入らない。こんなことなら、さっと自分が助けて、連れて帰ってりゃよかった。
 失敗したよな。
 欝々とした気分をなんとか払拭させるべく、セキヤは馴染みの宿屋に向かった。





 宿屋の一階は酒場になっていて、今日も賑わっていた。
 ここには、仲間の何人かが用心棒として雇われている。宿の主人はセキヤを認めると、愛想笑いを浮かべて近づいてきた。
「いらっしゃい、旦那。いつもお世話になってまさあ」
「んー。こっちこそ、仲間が世話になって」
「お泊まりですかい」
「うん。……あの子、いる? こないだオレに付いてくれた、黒髪の」
「え? ああ、シンのことですね。いま、ちょっと別口で……」
「へえ。こんな時間から、もう客取らせてんの」
 まだ夕食時である。この時間なら、「酒姫」と呼ばれる少年たちは酒席に侍っているはずだ。むろん、そのあとは客と同衾することはあるにしても。
「いえいえ。今日は特別で」
「特別って、なによ」
 ちろり、と主人をにらむ。
「いや、その……きのう、客が重なりましてね。あぶれた方が、どうしても今日、って言うもんで」
 しかし定刻に行って、またぞろほかの客に取られてはかなわないと思ったのだろう。かなりの前金を積んで、ゆうべのうちに予約をしていったという。
「へえ。あの子、そんなに売れっ子になっちゃったの」
「これもみんな、旦那のおかげですぜ」
「なんでよ」
「またまた。旦那も隅に置けませんねえ。旦那がシンを仕込んでくだすったおかげで、上客が付いたんじゃありませんか」
「仕込んだって……一回寝ただけだよ」
 たしかに、あの子の水揚げをしたのは自分だが。
「その一回が、よかったんでしょうねえ」
 主人は、にやにやと笑いながら言った。
「このあとはほかの客を回しませんから、もうちっとお待ちくだせえ」
 注文もしていないのに、セキヤの前に次々と酒やご馳走が運ばれてくる。黒髪ではなかったが、やさしげな顔立ちの少年が横にすわった。
「お客さんは、南の方の人?」
 声もおっとりとしていて、違和感すら覚えるほどだ。
「んー。生まれは北なんだけどね。母親が南の出身なんだ」
「そうだと思った。きれいな髪の色だから」
「このへんじゃ、めずらしいだろ」
「ぼく、好きなんだ。赤い髪って」
 おべっかではなさそうだ。きっと、この少年には「赤い髪」の人とのいい思い出があるのだろう。
「ふーん。ま、こんなのでよかったら、いくらでも見て」
「ありがとう」
 少年は小さく笑って、酒をついだ。左手の小指と薬指が固まったように動かない。
 筋をやられてるな。
 セキヤは思った。逃げようとしたのか、なにか粗相をしたのか。とにかく、罰として切られたのだ。
 売り物だから、顔や体に目立った傷はつけられない。しかし、指の一本や二本動かなくても、支障はない。
 そんな目に遭っていても、笑って耐える子もいる。かと思うと、ほんの少しの辛抱もできないで壊れてしまう子もいるのだ。
 世の中、うまくできている。潰れるやつは、早く潰れた方がいい。
 そんなことを考えながら飲み食いしていると、主人が揉み手をしながらやってきた。
「シンが上でお待ちしてますが」
「まだ食べてるとこなんだけど」
「じゃ、お食事は部屋にお持ちしましょう」
 やたらと機嫌がいい。主人は酒姫に命じて、テーブルの上のものを二階に運ばせた。
「ありがとね」
 セキヤは酌をしてくれた少年に、そっと心付けを渡した。少年は一瞬、意外そうな顔をしたが、すぐににっこりと笑って、丁寧な礼を返した。
 いい子だよな、あの子も。病気なんかせずに、年季をまっとうできればいいのだが。
 少年が別の席に着くのを見てから、セキヤは二階に上がった。





 先日の部屋よりひと回り広い角部屋に、黒髪の少年はいた。身繕いはしていたが、なんとも物憂げな表情だ。
「よお」
 セキヤは声をかけた。少年は顔を上げた。黒い瞳が、まっすぐにセキヤに向けられる。
「あんたか」
 素っ気無い言葉。
「続けて客取れって言われたから、どうしようかと思ってたよ」
「で、どうするの」
「なにが」
「断るか?」
「んなこと、できるわけねえだろ」
 むすっとして、少年は言った。
 あいかわらず、態度はでかい。が、自分の立場は十分わかっているらしい。セキヤは少年の腕を掴んだ。手首に、金細工の釧。かなり値のはる代物だ。
「上客がついたんだってね」
「みたいだね」
 たいして興味はないようだ。この愛想のかけらもないところも、また面白い。
「おまえ、シンっていう名前だったんだな」
 この前は、お互いに名前も聞かなかった。まあ、いろいろ忙しくて(?)それどころではなかったのだが。
「……それは旦那が付けたんだよ」
 不本意そうに、言う。
「へえ。そしたら、ほんとの名前は?」
「ジン」
「ジン? たいして変わんねえじゃん」
「『刃』って書くんだよ」
「やいば?」
 それは、めずらしい。
「だから、旦那が縁起が悪いって……」
「なるほど。それで、濁音を取って『シン』か」
 主人の気持ちもわかる。客商売はイメージが大事だから。しかし、この少年には「刃」という名を奪われたことが、悔しくてならないのだろう。
「わかった」
「え?」
「オレはおまえのこと、刃って呼ぶよ」
 ひとりでもその名を呼ぶ者がいれば、きっとこの少年は大丈夫だ。セキヤはそう思った。
「あんたは、嫌じゃないの」
「ぜーんぜん。かっこいい名前じゃん」
 刃。
 赤子にこの名をつけた者の心情は、いかばかりであったか。戦わねば生きてゆけぬ。そう覚悟してのことだったに違いない。
 刃はまじまじと、セキヤを見た。
「あんた、いいやつだな」
「いまごろ気づいたの。自信なくすなあ」
 セキヤは刃を抱き寄せた。
「あんなに、やさしくしてあげたのに」
 刃はぷいっと横を向く。
「ほら、むくれてないで。仕事、しなくちゃね」
 セキヤは牀に腰をおろした。
「前に教えたこと、ちゃんと覚えているかどうか、やってみて」
 この様子なら、完璧だろうが。
「……全部、やるの」
「もちろん」
 セキヤはにっこりと笑った。
「わかった」
 刃はするりと夜着を脱ぎ、セキヤの前にひざまずいた。




(了)



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