鬼火山の鬼の子は 夜な夜な恐いと泣くのです
里から頼公やってきて みなを殺すと泣くのです
鬼火山のかかさまは 夜はさすがの頼公も 褥の中じゃとなぐさめて
まだ角持たぬ 吾子の背を とんとんとんと 叩くのです
鬼火 byつう
古い、子守歌だった。
鬼火山を根城にしていた山賊を退治した、頼公という英雄がいた。史実はただそれだけだったのに、「鬼火山」という名から、いつのころからか鬼退治の逸話が生まれ、鬼の子守歌までできてしまった。
人に仇為すとして狩られた鬼。しかし、鬼はただ、そこにいただけなのだ。人の心に生まれた恐怖が、鬼を鬼たらしめた。忌むべきものである、と。
そんな哀しい性が、この歌には込められているような気がする。
イルカはカカシの話を聞きながら、そう思った。
「この歌をはじめて聞いたのが、十二、三のときでしてねえ」
カカシはイルカの体を抱いたまま、話を続けた。
「泊めてもらった家の、若い嫁さんが歌ってたんですよ。最初、『さとから、らいこうやってきて』ってとこが、『里から雷光やってきて』だと思ってて、なんで雷が里から来るんだろうって、不思議でしたよ」
たしかに、音は同じである。
「まあ、すぐにわかったんですけどね。頼公の鬼退治って、有名な話ですし」
独り言のようにつぶやきながら、イルカの肩をなでる。
「そのあと……いつか俺のところにも頼公が来るんじゃないかって、しばらく眠れませんでしたよ。笑うでしょ」
自嘲ぎみに、カカシは言った。
イルカは顔を上げた。どこか遠くを見ているような、ぼんやりとしたカカシの表情。
心底、恐ろしかったのだと思う。そのころのカカシは暗部にいて、人を殺すことのみを生業としていたから。
鬼の喰らうものだと言われた石榴を、口にすることができなかったカカシ。ひとり殺すごとに、自分の中に鬼が入り込んでくるような恐怖を感じていたのかもしれない。
人と鬼のあいだで、カカシはどれほど絶望的な気持ちでいたことか。それを思うと、心が張り裂けそうになる。
あなたのせいではないのに。
あなたが苦しむことはないのに。
カカシは幼いころから、忍として生きることしかできなかった。人としてあるよりも、まず忍。
それが、あなたを奪ってしまったのだ。きっと。
いま、こんなにもあなたは、あたたかい。
イルカはカカシの頬に手をやった。
「……?」
問いかけるような、双眸が近づく。深い藍色と、燃えるような紅。どちらも、イルカは好きだった。あるときは冷たく、あるときは熱く。カカシの表情を形作る、ふた色の瞳。
この眼を見た者は、生きて帰れない。密かにそう噂される真紅の瞳を、自分はもう何度見たことか。肌を合わすたびに、その瞳に酔っている。
たしかに、もう、帰れない。この眼を知らなかったころには。
しかし、それはなんという幸福なのだろう。
はじまりがどうであれ、自分はいま、この男のすべてを愛しいと思っている。心も体も、命までも。
自分の命が尽きるときまで、この男とともにいたいと思う。たとえ、この男の体が先に消えてしまったとしても。
そして、もし自分の体が先に失われてしまったら、心だけはいつまでも、そばにいよう。
自分は、救われなくてもいい。この男が人として、生をまっとうしてくれるなら。
「大丈夫ですよ」
イルカは言った。
「あんたは、大丈夫です」
自信たっぷりに、言い切る。
「……そうですか?」
確認するかのように、カカシは訊ねた。
「そうですよ」
あっさりと、答える。
これで、安心してくれただろうか。あなたはいつも、不安を抱えている。次から次へと、本当なのかと確かめずにはいられない。
だから。
ねえ、カカシ先生。あんたと一緒にいるようになって、おれはずいぶん、おしゃべりになったんですよ。
どんなに小さなことでも、あなたに伝えなければいけないから。ちゃんと、言葉にしなければいけないから。
正しく、細かく、丁寧に。間違いなく、あなたに届くように。
まあ、それでもときどき、失敗することもあるんですけど。
カカシの唇が近づいてくる。イルカはそれを、ほんの少しあごを上げて受けとめた。
「ここに、頼公は来ませんよ」
さらに念を押す。
「もし来たとしても、おれがいるじゃないですか」
「イルカ先生……」
「この人はおれの大切な人だから、って説明して、早々に引き取ってもらいましょう」
「説明、ですか」
カカシは苦笑した。
「まったく……あなたらしいですね」
幼子のような安堵の表情を浮かべて、カカシはイルカの手を握った。
「それじゃ、よろしくお願いしますよ」
「はい。……おやすみなさい」
心の中で、それぞれの子守歌が流れる。
二人でいれば、夜は安らかだ。
互いの体温を感じつつ、彼らは眠りに落ちた。
(了)