枯野の中を、あいつは歩いている。
さくさくと、ただ、さくさくと。
空はまだ薄く色が残り、昼でもなく夜でもなく。そんな、はざまに浮かぶ白い月は、あいつの目にどう映っているのだろう。
ねえ、黒髪さん。いるんだろ、そこに。
だったら、頼むよ。ほんの少しでいい。あいつの側にいて。
あんたのいいヒトも、それぐらいは許してくれるだろう。自分だって、経験者だもんな。
大切な人。大切なもの。
それをあいつは、失った。それでも。
生きていかなきゃならないんだから。
月夕 byつう
うちは一族の血をひく上忍が、岩の国との国境付近で殉職した。
虎頭の砦に潜伏させていた物見の報告が届いたのは、昨夜遅く。虎頭から木の葉の里までの街道に仲間を配置し、セキヤ自らが木の葉に潜入したのは、未明のことだった。
そのときは、まだ火影の館の奥殿には異変を感じさせるものはなかった。
それはそうだろう。岩の国に赴いていた使節の中には、文官もいる。忍だけなら二日たらずの距離でも、一般人が一緒ではそうそう速くは進めない。怪我人がいてはなおさらだ。
物見によれば、歩けないほどではないにしろ、何人かは岩の国からの脱出に際して負傷しているらしい。
早くても、使節の帰還は夕刻か。そう思って裏庭の隧道に潜んでいたセキヤは、午後に入ってすぐに、本殿の表方が慌ただしく動き出したのを察知した。
けっこう早かったな。
セキヤは細心の注意を払って、防御結界を張った。
五代目火影には、まだ自分のことを知らせていない。あいつにとっては、オレはいまでもきっと「赤毛のおっさん」だ。まあ、オレもあいつのことを「ヒヨコ頭」って呼んでるけど。
本殿の広間に上忍たちが集まり出した。これでは、うっかり近づけない。仕方なく、セキヤは隧道の中から念を飛ばして、本殿と奥殿の動きを探った。
大勢の忍の気が入り混じっている。さすがに、ほとんどが上忍だけあって、なかなかに厳しい。精神を集中させて、ただひとりの「気」を追った。
空色の瞳。その先にあるのは、不眠不休で撤退してきた使節の一団。
白眼の男が事の次第を報告した。あれはたしか、日向一族の分流だ。淡々と語られる事実を聞き終え、五代目火影は頷いた。
『わかった』
固い声。
喉元が痛かった。呼吸が途端に苦しくなる。
まずいな。セキヤはいったん遠見をやめた。このままでは、だれかに感づかれてしまう。
隧道を出て、文庫にもぐりこむ。
ここなら滅多なことでは見つかるまい。うまく気配を消せば、夜までここにいることも可能だ。
いまは、まだいい。上忍たちがいる。側近がいる。負傷しながら帰還してきた使節の面々がいる。だが。
ひとりになったとき、あいつはどうなるだろう。「火影」ではなく、ただの「うずまきナルト」に戻ったとき。
それが心配だった。大丈夫だとは思う。イルカが育て、「写輪眼のカカシ」が鍛え、うちはの若造が命を賭けてまで守った男だから。大丈夫だとは思うのだが……。
結局のところ、自分の目で見届けないと安心できないのだ。なんとも因果ではあるが。
本殿でなにかしらの合議が成立したらしく、上忍たちの何人かが部隊を編成して里をあとにした。おそらく西側の国境へ向かったのだろう。今回の件で、高氏や砂の国との関係が変わっては困る。
一方、奥殿には、白衣を着た男たちが何人か入っていった。男たちの真剣な面持ちから、セキヤは事態を推測した。
写輪眼、か。
カカシの、強烈な「気」を思い出す。
下田辺の荘で見た、凄まじい力。あれが生まれ持ったものでなかったとは、いまだに信じられない。後天的なものでさえ、あれだけの威力を発したのだ。それがもし先天的な能力として定着し、かつ完璧にコントロールできたら、文字通り最強の忍が生まれるだろう。
むろん、あいつがそんな「道具」のような忍を求めているとは思わない。それはきっと、約束だったのだろう。そう。おそらく、ふたりだけの。
しあわせかと訊いた。あのとき。あいつは頷いた。あれから、もう十年以上たつ。
いい時間を過ごせたかい。ふたりで。
見つめあって、求めあって、与えあって。ともに笑い、ともに泣き、ともに怒って。間違いなく、生きたかい。
どんなにつらくても、苦しくても、出会ったことを誇れるほどに。
『大丈夫ですよ』
声がした。懐かしい声が。
ああ、まだ、オレんとこにも来てくれるんだね。うれしいよ。思いっきり妬いてるやつがいるけど、この際、無視しておこう。
だいたい、贅沢なんだよ。すっかり独り占めしてるくせにさ。思い出すぐらい、オレの好きにさせてよね。
心の中で独白しつつ、ふと顔をあげる。ずらりと並んだ書物の中に、比較的新しい巻物と写本があった。
文庫は、古文書や禁術を収めた古い書物が多く、最近のものは少ない。なにげなく写本に手をのばす。
「……っ!」
指先に、衝撃。
セキヤはその写本を凝視した。
「へえ。オレには、さわらせたくないわけね」
口の端が微妙に歪む。それならそれで、方法はあるんだよ。
複雑な印を結び、喉の奥で口呪を唱える。
「ほーらね」
にんまりと笑って、写本を手に取る。
「これは……」
焦土色の瞳が見開かれた。見覚えのある文字。一画一画、丁寧に書かれたその手蹟は、紛うことなくあの黒髪の人のもの。
それは木の葉の里の古歌の写本だった。なにゆえこれに、印など張ってあったのか。
ぱらぱらと頁を繰るうちに、セキヤは目の奥がじんじんと熱くなっていくのを感じた。
なるほど。そうか。
目を閉じて、息をつく。
術がかけられているのだ。この写本には。かすかに残る、覚えのある「気」。
黒髪さんてば、こんなことができたのね。ただものじゃないとは思ってたけど。
セキヤは苦笑して、写本を元に戻した。
いまの自分なら、これを解読することは可能だ。「朱雀」の力をもってすれば。が、それはフェアじゃない。
しばらくのち、本殿がふたたび騒がしくなった。先代の側近だった黒眼鏡の上忍が、葬儀の手配に奔走している。奥殿は完全に人払いがされたらしい。白衣の男たちが暗部の護衛付きで退出していく。
いよいよだな。
セキヤは文庫を出た。火影の私室のある一角へ歩を進める。と、そのとき、渡殿の向こうに金色の髪が揺らめくのが見えた。とっさに身を隠す。
「火影さま、どちらへ……」
うしろから、「真面目」を顔に張り付けたような黒髪の近侍が声をかける。五代目火影はちらりと振り向き、うっすらと笑った。
「供を」
短い言葉。近侍の青年は唇を真一文字に結んで、頷いた。
どこへ行こうというのか。仮にも火影が。
セキヤはそっと、あとに続いた。
枯野の中を、あいつは歩いている。
さくさくと、ただ、さくさくと。
空はまだ薄く色が残り、昼でもなく夜でもなく。そんな、はざまに浮かぶ白い月は、あいつの目にどう映っているのだろう。
ねえ、黒髪さん。いるんだろ、そこに。
だったら、頼むよ。ほんの少しでいい。あいつの側にいて。
あんたのいいヒトも、それぐらいは許してくれるだろう。自分だって、経験者だもんな。
大切な人。大切なもの。
それをあいつは、失った。それでも。
生きていかなきゃならないんだから。
里のはずれにある一軒の家に、五代目火影は入っていった。
そうだね、ヒヨコ頭。全部、ここに預けていけばいい。苦しみも哀しみもつらさも悔しさも。なにもかも、全部。
庭の大木の上で、セキヤは夜を明かした。長い、長い夜を。
朝の光があたりを包む。うっすらともやのかかった庭に、さやさやと風が吹く。
かたん、と小さな音がして、金髪の青年が外に出てきた。蒼白な顔。泣きはらしたような赤い目。それでも、まっすぐに前を見据えている。
玄関に鍵をかけ、さらに結界を張る。その鍵を近侍に託し、五代目火影は踵を返した。
一歩一歩、ゆっくりと進む。自分の往く道を確認するかのように。金髪が、朝日の中できらきらと輝いた。
ふっと空を見上げて、何事か呟く。哀しくなるほど、美しい笑み。
きっと、そこにいたのだろう。彼の愛しい人が。
だんだんと小さくなるその背中を、セキヤはじっと見送っていた。
(了)
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