『じゃあな』
『ああ』
 視線をちらりと向けて、朱髪の男は輿に乗った。ゆらりと輿が担ぎ上げられる。朝の光の中、ゆっくりとそれが動きだした。そのあとに徒歩の者が続く。
 五代目火影の見送る中、森の国の国主、朱雀は自国への帰路についた。





空の名前  by真也





 夏の空が広がっている。
 奥殿の庭を歩きながら、おれは空を見上げた。青い。遠くに、入道雲。どんどん発達している。湿度をはらむ空気。そのうち、夕立を呼びそうだ。
 風が吹いた。顔にまとわりつく髪を掻き上げる。
「やっと、一息。だな」
 ため息をつきながら、おれは庭木に寄りかかった。
「帰ったぜ」
 呼びかけてみる。聞いているはずだ。あいつが。
「おっさん、相変わらずだったな」
 眉間にシワを寄せ、睨む顔が浮かぶ。自然と笑みがこぼれた。
「ま、仕方がないか」
 宥める様に言ってみる。確かにそうだ。
 前に朱雀が訪れた時、おまえ、踏んだり蹴ったりだったもんな。カカシ先生と比較されて、偽者の護衛までさせられて。後で機嫌直すの、大変だった。
「ちょっと、期待してたんだぜ」
 後ろに手をやった。項の辺りで一まとめにされている髪を掴み、身体の前に回す。手元で毛先をいじりながら言葉を継いだ。
「夢の中くらい、出てきて来てくれるんじゃないかってさ」
 あの時、おまえは全力で駆けてきた。国境から一目散に。
「おまえ、心配性だったから」
 今も思いだす。必死で訊いてきた。求める瞳。漆黒の中の焔。
「どうしようかと思ったよ。でも、今じゃみんな、わかっちゃってるかな」
 あいつが暗部へと去ってしまって、置いていかれた様な気になって。ひたすら自分を哀れんでいた時代。あの朱髪の人が教えてくれなければ、手放してしまうところだった。大切なもの、全部。
「怒らないでくれよな。でも、あれ以上はなかったんだぜ」
 当たり前だ。不機嫌な声が聞こえる。
「悪かったよ。でも、おまえだって悪いんだからな。暗部のこと、ちゃんと言ってくれないから」
 髪を弄びながら、言い訳してみる。
 指先を滑る髪。かつて、あいつが触れた。自由に会えない身分になって、一緒にいられない期間の分だけ切り取って渡した。おれの代わりに。
 今は伸ばされたままになっている。もう、切る理由がないから。
 ぽつり。水滴が落ちてきた。見上げると、薄暗い雨雲が空を覆っている。
「一雨来るな」
 屋敷へと足を向けた。みるみる降ってくる。そのうち、ザアッと音を立てて夕立がやって来た。
「降られてしまいましたね」
 すっと手拭いが差し出される。きっと遠くに控えて、一人にしてくれていたのだろう。昔馴染の側近が、微笑みながら立っていた。
「怒って降らせたのかな」ぼそりと呟く。
「は?」
「今、あいつに文句、言ってたんだ」
 黒い目を見つめ、おれは言った。リーは気付いた様に目を見開き、口元を緩めた。
「大丈夫ですよ」
「えっ」
「そんなことする訳ないです。うちは上忍は、火影様を大切に思われていましたから」
 穏やかに言う。ずっと見守ってくれていた友人。今は誠意と忠誠を捧げてくれている。
「ありがと」
「火影様」
「リー、おまえがいてくれてよかった」
 素直に言った。言葉にする大切さ。あいつと生きて、学んだこと。
「入りましょう。暗部研究所から報告書が届いていました」
 照れ臭そうにリーが道を譲った。首肯いて、奥殿へと入った。






「晴れたな」
 窓の外を眺めて、おれは呟いた。先程までの夕立は止み、青空が顔を覗かせている。
『でも、本当に期待してたんだぜ』
 心の中で繰り言を言う。正直、夢でも会いたかった。
 会えるものならば。
 ため息を吐いて、視線を落とした。執務室の机。雑然と書類や資料が積み上げられている。 
 その中で見つける。報告書。シギという科学者からのもの。
 手にとって一読し、顔を片手で覆った。込み上げる感情。
「そうか・・・・・そうだったんだよな」喉が熱い。絞り出すように、言葉を発する。
 生まれていたのだ。おまえが。再び。
 そこには、ある実験の成功とその後の経過が記載されていた。
 写輪眼をもつ子供。順調に成育しているそうだ。
 同封された写真の双子は、黒い髪と黒い瞳。
 あふれそうになる涙を袖で拭い、窓辺に立つ。窓を開けた。
『待ってるからな』
 心の中で、念じる。
 そうだ。おまえを、おまえ達を待っている。
 おまえ達の安心して暮らせる世界を作りながら。
 哀しい思いも、寂しい思いもさせないように。
「待ってるぞ」
 もう一度、言葉にする。



 空を見上げて、おれは一番大切な名前を、呟いた。




end




戻る