或る日 by真也
それは、穏やかな春の日。まさに引っ越し日和だった。
「アンは、働かない大人はいけないと思います」
薄紅の髪。大きな目。はっきりとした眉。本人の意志の強さを、何よりも表している口元。
小さな番人は、口をへの字に曲げておれを見つめた。
「仕方ねぇだろ。おまえの父ちゃんと母ちゃんが、手伝うなって言うんだから。おまえの守り、してやってるんだぞ」
「アンはもう七つになりました。お守りをして頂かなくても、一人でちゃんと遊べます」
「ああ、そうかよ。ちぇっ。サスケだって遊んでるじゃないか」
「うちは上忍は、書物から知識を得られています。読書は遊びではありません。ナルトさんも、見習って頂きたいものです」
理路整然と、丁寧語で責めてくる。どこまで親に似たんだか。たまらず、声を張り上げた。
「おおい!サクラ!こいつ、何とかしてくれよ〜」
「何言ってんの。上忍でしょ?子供の相手くらい、やんなさい」
手に抱えた荷物を下ろして、元同僚現教官がぴしゃりと言った。なんだか、厳しさがパワーアップしている。
「だってよぅ。こいつ、口だけ達者なんだぜ」
「アンはれっきとしたレディです。こいつではありません!」
「サクラ〜」
「もうちょっと待って!荷物は全部入れたし。あとは掃除と挨拶まわりね」
「サクラさん!窓ふきと庭掃除、終りました〜」
汗を拭き拭き、中忍が出てきた。あれは、たしか・・・。
「ああ、受付さん。次は、ご近所に配る洗剤買ってきてちょうだい。一個ずつ包んでもらってね。のしは『粗品』でいいわ〜」
「はーい。わかりました」
「サクラさーん。引っ越し蕎麦の天ぷら、エビと芋とれんこんと獅子唐としそと海苔でいいですかぁ〜?」
「あ、リーさん!椎茸となすびもお願い〜」
「了解で〜す」
「サクラ〜」
「うるさい!」
半ば血走った目で睨まれた。怖い。
おれは口をつぐんだ。やめよう。これ以上は墓穴だ。
木の葉の里が、正式にカカシ先生の殉職を認めて半年。主のない家をサスケが買い取った。
里のはずれの一軒家。古いが、しっかりした造りの家。本棚にはあらゆる分野の本がならび、取りそろえられた家具や調度品は、どれも皆一級の品だとサクラが言っていた。
広い。広過ぎる家。
退屈だよな。
ため息一つついて、隣を見やる。
サスケは縁側に座って、何かの本を熱心に読んでいた。
端正な横顔。長い睫。多くを語る瞳。
少し、悔しくなった。
「いてッ」
「何をする」
本を取り上げようとして、手首を掴まれた。おれより低い体温。あいつの掌。
「いや。暇だったし」
「理由になるか」
言葉と共に、頭に拳骨。
「いてぇよ」
「あたりまえだ。痛いように殴ったんだから」
「けっ。暴力野郎」
「・・・・他の方法にしてもいいのか」
ぎろりと睨まれた。意図する事がわかり、慌てて首を振る。冗談じゃない。体力の限界に挑む気など、さらさらないのだ。
「なあ」
「何だ」
「よく金、あったな」
2発め直撃。敢えて黙った。
「だってよ。おまえ。飲んでばかりだし」
「お前と一緒にするな。ちゃんと、予算内で飲んでいる」
「はあ、そうかい」
言い返せなくて、そっぽを向いた。目の前ではアンが遊んでいる。地面に丸を書いて、小石を投げる。片足でケンケンと跳んで、小石を拾う。そのまま、もといた場所に帰ってくる。
子供のころに誰もがやった遊び。
「何で、ここ買ったんだ?」
「頼まれてたからな」
即答だった。
「カカシ先生にか?」
「ああ」
本に落とした視線はそのまま、あいつが首肯く。
「いつだよ。それ」
「さあな」
ぱたりと本を閉じて、にやりと笑った。
「みなさーん!お蕎麦が出来ましたよ〜」
何か言い返そうと言葉を探しているうちに、リーの声が響く。
おれたちはゆっくりと、腰をあげた。
「サクラ、リー、すまなかったな」
「何言ってんのよ。こちらこそお礼言わなくちゃ。サスケ君、この文机と文箱、本当にもらっていいの?」
「ああ。俺は使わないからな」
「ありがと。じゃ、遠慮なく使わせて頂くわね」
「すいません。私までこんな高価な壷を頂いてしまって・・・」
「いいんだよ。おれ達、花なんて活けないし。受付もありがと」
「ナルトさん!うちは上忍も、光栄ですっ。追ってお礼状を・・・」
「いいから帰れ」
ぼそりとサスケが言う。
「あっ、では。私はこれで失礼しますっ」
受付は血相を変え、慌てて帰っていった。
「あーあ。可哀想。じゃ、私達もお邪魔しないよう、帰るわね。アン、ご挨拶は」
「うちは上忍、ナルトさん、さようなら」
「アン、じゃあな」
「うちは上忍。また、アンと遊んで下さいましね」
「ああ」
「おい。おれは?」
「こいつ、と言わなければいいです」
「サクラ〜」
「女の子は難しいのよ。ナルトも修行しないとね。・・・・って、いらないか」
「サクラ!」
「まあまあ、ナルトさん。サクラさんも揶揄い過ぎです。では、ご近所まわりは帰るついでに、おれ達がしておきますので」
「すまないな」
「いえ。お役にたてて嬉しいです。また、うちにも遊びに来てくださいね」
わいわいと賑やかに、サクラ一家も帰っていった。
本当に助かった。いくらサスケの荷物は少ないとはいえ、引っ越しなどしたことがなかった。二人だと、出来なかったかもしれない。
からり。あいつが戸を開けた。
「入るぞ」
首肯いて、おれはあいつの後を追った。
「本当。広いな」
長い廊下を歩きながら、おれは呟いた。奥の座敷へ向かう。あいつは後から来るらしい。食べ物でも、持って来てくれればいいが。腹が減った。
障子を開けて、部屋へと入る。
床の間に掛け軸。高僧が書いたらしい。さまざまな調度品。どれも最高級の品々だ。
カカシ先生は、こんな広い部屋に一人でいたのだ。イルカ先生が訪れることがあったとしても。
ひどく寂しい気がした。
今日から、サスケがここで暮らす。
「待たせたな」
あいつだった。手には、酒と肴になりそうなものがいくつか。昼にリーが揚げた天ぷらもあった。
「ほら」
ビンごと酒を手渡される。おれの好きな銘柄だ。
「ありがと」
膳に置かれた杯に、手酌で注いだ。ぐいと飲み干す。口当たりがよくて、すっきりと甘い。
気を良くして、芋の天ぷらに箸をつけた。
杯を重ねながら、食べ物を腹に納める。ふと見ると、あいつは酒ばかり飲んでいた。
「おい」
「なんだ」
「おまえも食えよ。飲んでばかりじゃ、体をこわすぞ」
言いながら、残った天ぷらを押しやる。サスケは困った顔をしたが、諦めたように箸を手に取った。
酔いのまわりかけた目で見回す。綺麗な、おおよそ生活観のない部屋。
森のあの家だって、もっとましだった。
彼は、ここで、何を考えたのだろうか。
あの人を失ってからの長い長い時間、たった一人っきりで。
「風呂を沸かしておいた」
あらかた食べ終えたサスケが、ぽつりと言った。
「そんな時間、なかったぞ。おまえ、すぐ来たじゃないか」
「簡単だ。水遁と火遁を組み合わせて使えば、造作もない」
「それ反則だぞ」
「どうしてだ?減るものじゃなし。術は有効に使った方がいい」
「はいはい。術一杯使える人はいいねぇ。でもおれ、着替えないぞ」
「着替えならある。使っていいか、わからないが」
「何だよそれ」
意味がわからなくて、訊き返した。あいつは、少し複雑そうな顔をして立ち上がった。奥の間へと進む。
押し入れと、箪笥がいくつか並んでいた。
サスケが、引き出しの一つを引いた。浴衣と帯を一重ね放る。見覚えのある柄。
「これは・・・」
「イルカ先生のだ」
皆まで聞かず、答えが投げられた。そうだ。確かにこれは、あの人の。
「イルカ先生は、ここで静養していたこともあったから、その時のものだろう」
「そうか」
「もう、ずいぶん経つのにな。虫喰い一つなく、大切にしまわれていた。カカシが殉職してすぐ、ここに来て見つけた。頼まれていたこともあったが、これが処分されたり、人の手にわたるのは気が引けてな」
「そうだよな」
「でも。正直、どう扱ったらいいか困っている。だから、おまえに決めてもらおうと思った」
困惑した目が、おれを見つめた。なんだか可笑しい。
「着ればいいじゃんか!」
笑って言った。あいつの見開かれた瞳が見える。
浴衣を羽織った。丈は、丁度いい。
「カカシ先生のも、あるんだろ?」
「ああ」
「おまえ、背丈、カカシ先生ぐらいだから着れるって」
「カカシのを着るのか」
「いいだろ。着物ぐらい着たって、もう怒らないよ」
そうだ。彼はきっと、あの人のもとにいる。だから。
主のない家。着る人のない着物。読まれることのない本の山。そんなの、悲しい。
イルカ先生なら、そう言うはずだ。
「風呂、先借りるぜ」
苦笑を浮かべるあいつを背に、おれは風呂場へと向かった。
湿った髪が、夜具を濡らした。風呂上がりの熱い体が、覆いかぶさってくる。
浴衣の帯が解かれて、あいつの手が肌に纏わった。
首筋に、耳元に。あいつの唇を感じながら、おれは天井を見つめた。
カカシ先生とイルカ先生を見つめてきた家。彼らの生活も、会話も、睦言も。そしておそらく、あの人の最後も。
「なあ」
「なんだ」くぐもった声。鎖骨を吸いながら、あいつが答えた。
「ここでしたら、カカシ先生に見られてるみたいだな」
おれにかぶさる上体を、がばりと起こした。上から睨み付けられる。
「嫌なことを言う奴だな。そんなに、したくないのか」
鬼門だった。冷や汗が落ちる。まずい。目が据わっている。
「悪い。もう言わないからさ」
「・・・・・覚悟しろよ」
ぼそりと、耳元で宣言された。かなりこわい。でも、まあいい。
余裕がない方が、余計なことを考えなくて済むから。
これから、どんなことがおれたちに起こるかわからない。でも、この家は見つめてゆくのだ。
同じように。
ならば、すべてさらけ出そう。心置きなく、精一杯生きて。後悔しないように。
体がわななく。触れらた場所から湧き起こってくる波紋。そのうち、身体全体に広がってゆくだろう。今は波にゆだねて、余すところなく感じよう。おれの、あいつを。
いつか、こうしていられなくなる日の為に。
「もう、いいか?」
低音が鼓膜をくすぐる。微笑んで、膝をあげた。サスケが入り込んでくる。
しばらくして、熱い嵐がおれを飲み込んでいった。
<end>
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