西方にて byつう
森の国を南北に縦断する龍尾連山の南東部に、西方の砦はある。
南東部なのに、なぜ「西方」かというと、長くその砦を対木の葉の国の最前線としていた雲の国から見て、西側にあったからだ。
古来、そのあたりは「龍尾」と呼ばれていたが、山脈の名前と混同するので、いつのまにか雲の国の通称が正式名になった。
その西方の砦に、全身ぼろぼろになった男が駆け込んできたのは、秋も深まったある日のことだった。
「何事だ、リー!」
砦の指揮を任されていた木の葉の上忍ガイは、かつての教え子の様子に尋常ならざるものを感じて、問いただした。
「ガイ先生っ!」
砂の国の国境から、夜を日に継いでひた走ってきたリーは、恩師の顔を見るやいなや、これまでの状況を口早に説明した。
「よし。あとは私に任せろ」
ガイはいつもの笑顔をリーに向けて、その場を去った。
一刻とたたぬうちに、ガイをはじめとする古参の上忍たちは西方の砦をあとにした。なんでも、対峙していた森の国の部隊と、停戦が整ったと言う。
「まさか、そんな」
狐につままれたような顔をしたリーに、ガイは「友情のなせる業だ」と言い置いて虎尾の砦に向かった。結果、残ったのはわずかな中忍とリーだけだ。
西方は、対雲の国の重要な拠点。かつて何度も激戦が繰り広げられ、あの「生ける英雄」と称されたはたけカカシ上忍が殉職した場所でもある。
その砦を、半ば放棄するような形で恩師がいなくなったのを、リーが不安に思い始めたころ。
房の戸を叩く音がした。
「はい。どなたですか」
牀から身を起こすこともできないというのに、リーは律儀に、扉に向かって答えた。
「お邪魔いたします」
声とともに、カチャリと扉が開いた。同時に、なにやら強烈な臭いが房に立ちこめる。
長衣を着た薬師のような風体の男が、盆を手にして入ってきた。
「はじめまして。森の国の文官にて、加煎と申します。お見舞いに参上いたしました」
男は一重の目を細めて、優雅に一礼した。
栗色の髪と、灰緑の瞳。儀礼の際のような身のこなしには、一部の隙もなかった。
「ガイ上忍に伺いましたところ、たいそうお疲れの由。僭越とは存じましたが、薬草を煎じて作った粥をお持ちしました」
加煎はリーの枕辺の卓に盆を置いた。
「なにぶん癖が強うございますので、お口に合いますかどうか」
「なんだか、体によさそうな臭いですねえー」
リーは、自宅の庭にドクダミやらセンブリを植えている。怪我や病気に対して、自然治癒力を高めることを第一義としているリーにとって、薬草の入った粥というのは、じつに興味あるものだった。
「すみません、加煎さん。起きるの、手伝ってくれませんか。まだちょっと、体の自由が効かなくて……」
一瞬、自分よりかなり年上の相手にこんなことを言っていいのか悩んだが、見舞いに来たという言葉に甘えることにした。
加煎は微笑して、リーの背中を支えた。
「五門を開いたと聞きましたが、本当だったのですね」
「え……はい」
おそらくガイが話したのだろう。とすれば、ガイはこの人物を信頼しているということだ。
「加煎さんは、ガイ先生と親しいのですか」
「よく存じ上げています。四年ばかり前から」
四年。
リーは合点した。龍尾連山をはさんで木の葉の国と雲の国が争った、あの戦のとき。
はたけカカシ率いる部隊が西方の砦で孤立したとき、ガイは龍頭の砦を守っていた森の国の一隊と即時に停戦し、兵を南下させた。西方の攻防で龍央以北の兵力を総動員できたのは、非公式の停戦協定を森の国が遵守したおかげである。
「そうでしたか。あのときの……。今度のことといい、森の国のみなさんは情に厚いかたばかりなのですね」
森の国は雲の国の属国である。その森の国が、いわば敵国である木の葉の危機に停戦を受け入れて、さらに砦に使者まで送ってきたのだ。リーの感動は無理もない。
「それを言うなら、ガイ上忍は義に厚いおかた。われわれも感服いたしております」
加煎は粥を入れた椀を差し出した。
「どうぞ。毒見が必要なら、だれぞうちの者を呼びますが」
私は毒も薬も効かぬ体質なので、と付け加える。
「とんでもない!」
リーは椀を受け取った。
「そんな失礼な真似はできません。ありがたく、いただきます!」
一旦、椀を戴いて、リーは匙を手にした。ふうふうと冷ましながら、粥を口に運ぶ。加煎はその様子を見て、しみじみと言った。
「私の作った粥を、こんなに喜んで食べてくれたのは、あなたがはじめてですよ」
「え、そうですか? とってもおいしいですよ。七草粥みたいで。臭いはちょっと強いですけど」
「それが敬遠される理由でしてね。うちの者たちは、これを出すと罰かなにかだと思っているようです」
扇で口元を隠して、ほう、とため息をつく。
「それは残念ですね」
リーは大きく頷いた。
「せっかく心を込めて作っておられるのに」
「そうなんですよ。気候によって薬草の配合も微妙に変えたりして、気を遣っているのですが……ああ、失礼しました」
加煎はくすりと笑った。
「お加減がよろしくないのに、愚痴など聞かせしてしまって」
「いいえ。なんとなく、元気が出ました。よかったら、作り方を教えてください」
「ええ、喜んで」
扇をたたんで、立ち上がる。
「では私は下がりますので、どうぞごゆっくり召し上がれ」
扉の前でまた優雅に礼をして、加煎は房を出ていった。
森の国の人って、やっぱり親切だなあ。
リーは粥を食べながら、再度そう思った。
「それにしても、なんで俺たちまでこれを食わなきゃなんねえんだよ」
醍醐が眉間にしわを寄せて、言った。
「いくら、一人分だけ作るわけにはいかねえって言ってもよ」
椀の中身を匙でかき回す。ただでさえゆるい粥が、ますますどろどろになっていく。
「そういう食べ方、やめなよ」
横にいた刃が、露骨に嫌な顔をした。
「冷ましてから一気飲みするのって、見てて気持ち悪くなる」
「そんなこと言うがな、おまえ、これを一口一口、味わって食べる勇気があるか?」
「ないけど」
「だろ? だったら……」
「見苦しいですねえ」
玲瓏な声がして、加煎が厨に入ってきた。
「リー上忍は、作り方を教えてくれとまでおっしゃったというのに」
「……まじかよ」
醍醐が口をへの字に曲げて、呟いた。刃は無言だったが、おそらく同じ心境だろう。
「そういうわけですから、明日の朝も粥にしますね」
にこやかに、加煎。
醍醐と刃は、ちらりと視線を交わして頷き合った。こんなに機嫌のいい加煎を見るのは久しぶりだ。下手につつくのはよそう。
触らぬ神に祟りなし。
過去の経験から導き出された結論に基づき、二人はひたすら、粥を胃に納めるべく匙を運んだ。
(了)
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