黄落 byつう
火影の館の奥殿。
ふだんはほとんど余人が足を踏み入れることのない三代目火影の寝所に、主だった上忍たちが整列していた。
過日、砂の国との国境での一件を収めた若手の上忍四名が、次の火影候補として推挙されている。
じいさん、魂胆みえみえだよ。
セキヤは屋根裏で、ため息をついた。
火影の眉がぴくりと動く。
ふふん。腐っても鯛、寝たきりでも火影だよねえ。でも、なにも言わないってことは、オレ、このままここにいてもいいのよね。
結界をさらに強めて、下の様子を窺う。
「うちはサスケ」
金髪碧眼の青年が、まるで機械仕掛けの人形のように口を開いた。
「五代目火影として、命じる」
あーあ。言っちゃったよ。
もう戻れないよ、ヒヨコ頭。おまえは、この国を与ってしまった。
きりり、と奥歯を噛み締める。
いいヒトがいるのに。そりゃ、そのいいヒトにああ言われちゃ、引くに引けなくなったのはわかるけど。
「木の葉を守るため、戦え」
決まり、だな。
うちはの血をひく黒髪の上忍が、五代目火影となった青年に一礼して、ほかの上忍たちの列に加わった。
三代目の側近にして奥殿を仕切る黒眼鏡の男が、とどめをさすように声を上げる。
「一同! 五代目火影に拝礼!」
ざっ、と、その場にいた上忍たちが一斉に頭を垂れた。
五代目、か。
セキヤは口の端を持ち上げた。
仕方がないねえ。ま、いいか。黒髪さんのコドモだし。あいつの教え子だし。これもオレの運命ってやつよね。
セキヤは、腹をくくった。
宴はまだ、続いている。
五代目に内定した青年は、疲労を理由に黒髪の上忍とともに席を辞した。
今夜は「今生の別れ」かな。ふたりを見送りながら、セキヤは思った。
いや、死に別れならまだましだ。あいつらは、生きながらにして引き裂かれるのだ。それが自分で選んだ道だとしても、文字通り身を裂かれる思いだろう。
ねえ、黒髪さん。あんたもけっこう、厳しい生き方したけどさ。あんたのコドモも、それに負けてないよ。
困ったように笑うイルカの顔が思い出される。ついでに、眠そうにため息をついている銀髪の男の顔も。
あー、やだやだ。セキヤは頭を振った。
オレが思い出したいのは、黒髪さんだけなんだけどねえ。
無駄なこととはわかっていても、とりあえず頭の中で、約一名を脇へ押しやる。
宴のざわめきから遠く離れた火影の寝所。
セキヤは側仕えの中忍に術をかけてから、房に忍び込んだ。牀の幕をそっと開ける。
『よう来た』
ぼそり、と火影は言った。実際には、音声として認識できない。火影はそれほどに弱っていた。
『西方のこと、すまぬな』
「いいよ、べつに」
セキヤは枕辺に立った。
「オレが好きでやってるんだから」
先のいくさののち、セキヤは龍尾連山の砦に仲間を配置し、なにかにつけて木の葉との接触を謀っていた。表向きは雲の国の支配下にある森の国だが、三年前に丞相をはじめ、まつりごとに関わる者たちが次々に交代してから、雲の国の国力は目に見えて落ちた。いまでは属国のほとんどが、半ば自治を認められた状態だ。
「西方は、オレにとっても特別な場所だからねー」
かつて、イルカと一緒に仕事をした場所。そして、あの男をの首を落とした場所。ほかのやつらに、渡したくはない。
『なるほどな。で、ガイとはうまくやっておるか』
「まあねー。熱血すぎて、ときどきついていけないこともあるんだけどさ。義理堅いから、うちの連中にも受けがいいよ」
基本的には、西方と龍央が木の葉の配下、龍央以北の小さな砦と龍頭はセキヤたちが管理している。が、季節ごとに砦の重要性も変わり、そのたびに忍やつわものの配置も変わる。
国境地帯の布陣は、通常、最高機密である。常に物見が偵察をしているとはいえ、砦の兵力や移動の情報が漏れることはほとんどない。が、こと龍尾連山の砦に関しては、まるで情報公開の取り決めでもあるかのように、両国の布陣は互いに筒抜けだった。
むろん、現場にそれが伝わることはない。砦を守る中忍やつわものの多くは、国境の最前線に赴任しているという緊張感を持っていた。
ただひとつ、緊張感の「き」の字もないのは、西方の砦を与る木の葉の上忍、ガイの私室であった。
「ロン!」
加煎の涼やかな声が上がる。
「うむ。完敗だ!」
「まじかよ」
「そんなーっ」
ガイが眉間を押さえ、醍醐が天井を仰ぎ、セキヤが雀卓に突っ伏す。刃は側卓の湯飲みに新しい茶を注いで回っている。
「また加煎の勝ち〜?」
泣きそうな顔で、セキヤ。
「よくそんな安い手で上がれるな」
醍醐がぼやく。
「どんな手でも、先に上がった者が勝ちなのでしょう? だったら、いいではありませんか」
ゆらゆらと扇を揺らしつつ、微笑む。
「ほんっと、いい顔するねえ、加煎。長い付き合いだけど、おまえのそーゆー顔、はじめて見るよん」
じゃらじゃらと牌を混ぜながら、セキヤがため息をつく。
「アレんときでも、そんないい顔しないんじゃないの」
「さあ。どうでしょう」
あからさまな嫌味に対しても、平然と受け流す。
「それより、私が勝ったんですから、龍頭の経費は一割削減ということでよろしいですね」
「一割はきついってー。五分にしてよ」
「約束は約束です」
「男に二言があってはならんぞ」
ガイが横から口を出す。
「んなこと言ったってさー。あんただって、龍央の砦、春まで空けなきゃいけないんだよ」
ガイはこの勝負に、砦の配備を賭けていたのだ。
「半年ぐらいなら、なんの問題もない。賭けとは、このようにやるものだ」
ふふん、と鼻先で笑う。セキヤは盛大にため息をついて、
「食費、削るのはやめてよね」
と、譲歩案を出した。
「と、まあこんな感じで、うまくやってるよ」
雀卓の上で砦の布陣が決まっていく状況を聞いて、火影はわずかに口元をゆるませた。
『御身らしいのう』
「ほんとに戦をするよりはいいでしょ」
どんな小さな戦でも、人は死ぬ。疲弊する。無為なことはしたくない。
火影とて、それは同じだろう。さればこそ、無理を通してでも次の火影を決めたのだ。自らの寿命が見えた、いま。
「でもさあ。じいさんも、むごいことするね」
先刻の様子を思い出しつつ、セキヤは言った。
「ま、『火影』だから仕方ないか」
火影はうっすらと目を細めた。
『御身も、のう。朱雀』
セキヤはほんの少し、眉を上げた。
朱雀。犬に食わせても惜しくないと思っていた、忌まわしい名。
しかし、それもいまでは、まぎれもなく自分の一部であると感じる。逃れられぬものならば、それを最大限に利用すればいい。長い年月をかけて、自分はその名を有効に使う術を身に付けたのだから。
「ったく、オレがじいさんの首、獲ろうと思ってたのに」
『わしも、いつ御身が来るかと待っておったが』
「あーら、そうだったの。だったら、遠慮せずにいただいとけばよかったな」
枕元に手をつき、しわだらけの顔を覗き込む。
「結局、じいさんの勝ち逃げかー。やってらんないね」
『朱雀』
「なによ」
『……返答してくれるのか』
意外そうに、火影は言った。
「いまさら、でしょ。じいさんにとっちゃ、オレはずっと『朱雀』なんだから」
かつて森の国を治めていた「朱家」の一族。その当主に冠せられた「朱雀」の名は、雲の国が森の国を属国にしたときに消滅した。その後、一族は自らの氏を名乗ることもなく、ひっそりと暮らしていた。あの日までは。
セキヤが生まれたとき、父はわが子に「朱雀」と名付けた。長く禁忌とされていた朱家の名を。
なにゆえに父が、そのような無謀なことをしたのかはわからない。むろん、それは公にされることはなく、セキヤは母の付けた「赤也」という名で幼年期を過ごした。そして、十年目の冬。
父は雲の国に対する謀反の疑いありとされ、館にいた側仕えの者もろともに処刑された。直系の男子である自分も、当然一緒に首をはねられると思っていたが、なぜか雲の国はそれをせず、セキヤは内宮にある学び舎に預けられた。
それから、三年。半ば幽閉されるようにして、セキヤはそこにいた。暗部出身の師に出会うまで。
考えてみれば、自分の意志に関わらず、何度も名前が変わった。しかしそのどれもが、いまの自分を作っているのだ。
父にとっての「朱雀」。母にとっての「赤也」。学び舎での名も、師が付けた名も、皆、この身に染みついている。
『そうか』
火影は満足げに息をついた。
『ならば、もうなんの憂いもない』
そろそろと、骨ばった手を上げる。
『それを……』
「んー。これ?」
セキヤは側卓の上の文筥を手に取った。
『御身にやる』
「へっ。なんで、また……」
『形見じゃ』
「いらないよ。じいさんの形見なんて」
『朱雀の、形見じゃ』
びくりと、手が止まった。塗りの筥を、まじまじと見下ろす。
『開けてみい』
セキヤは卓に筥を戻し、ゆっくりと飾紐を解いた。そっと、蓋を開ける。
「これは……」
巻物と、小柄。そして古い指環。
『御身の父から、預かった。どう使おうが、任すと言われてのう』
「……会ったのか。父に」
セキヤの声音が変わった。
『いや。会うたのは、四代目じゃ。あやつは雲の国の動きを掴んでおってな。朱氏に館から落ちるよう説得しに行ったのじゃが……もう覚悟はできておったようでな』
「それで、四代目がこれを?」
『うむ』
火影は重々しく頷いた。
『御身のものじゃ。持っていくがいい』
火影には、わかっているのだろうか。自分が近い将来、国を建てる気でいることが。
これまでは、「国」にこだわってはいなかった。ただ、自分たちがうまく生きてゆければそれでいい。国などなくても、自分たちには他国を動かす力があるのだから。
だが、連山での戦ののち、その考えは少しずつ変わってきた。国という基盤を作るのもいいのではないか、と。
それゆえ、雨の国のクーデターを煽り、雲の国の丞相の首をすげ替え、兵部を失脚させた。連山で木の葉と誼みを通じているのも、森の国を独立させるための地盤固めだ。
駒は揃っている。あとは、きっかけと大義だ。
まさか、一日でふたつとも手に入るとはね。
セキヤは文筥を閉じた。
「ありがたく、頂戴する」
低い声。セキヤは火影に拝礼した。
『もう、行くか』
火影の頭がゆるゆると動いた。セキヤは顔を上げて、にんまりと笑った。
「やっぱ、じいさんの首を獲らなくてよかったよ」
常の口調で、言う。火影は目を閉じた。
『さらばじゃ』
「んー。また地獄で会おうねー」
お互い、極楽には行けそうにないからね。
心の中でそう呟いて、素早く印を結ぶ。ふわり、と、牀の幕が揺れて、朱髪の男は房から消えた。
朱家の巻物と、小柄と、花押。
雲の国はこれらを死に物狂いで探していた。
朱家は代々続いた忍の家系。門外不出の術がいくつかあって、それらは巻物と小柄と花押の三つを合わせて、はじめて解明できるものだった。
雲の国は森の国を属国としたときに、この巻物を盗もうとあらゆる画策をしたらしい。が、三代目朱雀を名乗っていた祖父に阻止されて、長くこれらの「三種の神器」の存在は謎とされてきた。
それが。
あの、忍の技などなにひとつ知らなかった父の手元にあったなんて。
もし、あのときに木の葉の四代目が父のもとへ来ていなかったら、この巻物は雲の国に渡っていたはずだ。
セキヤは感謝した。
なにに、というわけではない。ただ、すべての巡り合わせに感謝した。
ヒヨコ頭は、五代目になる。そして、俺も。
初代から数えて、自分は五代目。五人目の「朱雀」だ。
さあて。忙しくなるな。
もう砦で、雀卓を囲む暇はなくなるかもしれない。それはちょっと残念だけど。
火影の結界を抜けてから、ふたたび移動のための印を結ぶ。
晩秋の夜空を駆けて、セキヤは仲間の待つ西方の砦に向かった。
(了)
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