比翼 by真也
冬の日だった。
澄みきった空。風もない。
ここ一ヶ月ほど、書類整理に追われていた。目を通して判をつく退屈な仕事。空気の澱んだ部屋。
「ええっと、『異常なし』か。当たり前だよな」
報告書を眺める。先日の健康診断。わざわざ暗部研究所まで出向き、まる一日かけて調べられた。
火影の健康状態。それも機密らしい。
「なんだかなぁ・・・」
居心地が悪くて、ため息をついた。窓の外には見慣れた景色。ふと、いたずらを思いつく。
「このくらい、いいよな」
呟いて、目立つ上着を脱いだ。普通の忍服が現われる。
窓枠を蹴って、飛び出した。
たぶん、あとで怒られるだろう。帰ったら今までの倍の時間、この部屋かもしれない。
それくらい構わない。
太陽の下で、あいつに会えるのなら。
「いい天気だな」
黒い瞳を覗きこんだ。見開かれたそれに、おれが映る。
「・・・・何してるんだ」
いつもどおり、仏頂面でサスケは訊いた。
「晴れてるぞ」
「そうだな」
「空気が気持ちいいぜ」
「そうか」
「行こう!」
言葉と共に、腕を引いた。後ろは振り返らない。どんな顔をしているか、わかっていたから。
「どこへ行くんだ」
ぼそりと訊かれた。が、答えなかった。森への道をずんずん歩く。
穏やかな日の光。背に感じる暖かさ。
葉のない木々さえ、活き活きと見えてしまう。あいつといる。ただ、それだけで。
「おい」
少し怒った声が飛ぶ。立ち止まって、笑顔を向けた。
「あの家だよ。どうしても、行きたくなったんだ」
「まったく。困った奴だな」
サスケは眉を顰めて、ため息を吐いた。それでも足は止めない。
それだけでわかる。同じ気持ちだったのだ。
「外はやっぱいいよな。毎日部屋ン中じゃ、窒息しちまうぜ。やっと息、出来たって気分」
「知らないぞ。火影が護衛もつけずに」
「護衛ならいるさ。うちはサスケってのが」
「後でどやされるからな」
「いいぜ。望むところだ」
そう言うと、ますます困った顔をする。おれは嬉しくて、走り出した。
景色が巡る。
木々のざわめき。自ら起こした風のうなり。おれとあいつの息を継ぐ音。
久し振りに堪能する。
「遅いぞ、火影」
抜かれた。意地になって追う。
不思議なものだ。まだおまえを越えられない。でも、おれが長なんだな。
最初に望んで、忘れた頃に叶った夢。
その時には、違う夢を見ていた。
「待てってば!」
おれは更に、速度を上げた。
森の家はひっそりと立っていた。
「埃だらけだ」
戸口で見渡して言った。
「長いこと、来てないからな」
隣でぼそりと呟く。
四畳半の座敷と形だけの台所。申し訳程度の風呂と厠。
小さな、小さな家。
「よく、こんな狭いとこで暮らしてたよな」
「今だってそう変わらない。二間しか、使ってないから」
「そうだな」
一つしかない窓。窓枠に座ってよく月を見た。
小さな膳。たいてい酒だけが乗ってた。
狭い座敷。布団が一組しかなくて、いつも抱き合って寝た。
来るのが辛くなったこともあったけど、懐かしくて、優しい場所。
ここですべてが始まったのだ。
「よかった」
言葉が滑り出た。あいつが目で訊く。微笑んで言葉を継いだ。
「逃げなくて、よかったよ。あの時」
そうだ。逃げなくてよかった。おまえに応えたいと身体を許して。おまえを取り戻したいと想い続けて。諦めずに追いかけて。
「そうだな」
漆黒の瞳が、優しく見つめる。
「俺も、逃げなくてよかった」
サスケの口元が奇麗に弧を描いた。
ふたり、道を違える分岐点は無数にあったのだ。それらの一つでも誤れば、今、こうしていることはなかっただろう。
別々の道を選んで、離れていったはずだ。
でも、おれたちの道は確かに、繋がっている。絡み合いながらも、同じ場所を目指して。
時には傷つけ合うこともあった。それでも、与え合い、貰い合ってここまで来たのだ。
「遅くなっちゃったな」
森を抜けた時はもう、日は傾きかけていた。冷たくなりはじめた風が、頬を、髪を撫でてゆく。
「伸びたな」
項に手を置かれた。あいつの指が、髪を弄ぶ。その心地よさに目を細めた。
美しく印を繰り出し、鮮やかにクナイを扱う指。いつも、優しく触れてきた。
「籠りっきりだったからな。暇なくて」
血が上ってくる。不覚だ。髪を触られているだけなのに。
「明日から、遠征だったよな」
照れ隠しに切り出した。
「ああ。岩の国だ」
「長くなるな」
「そうだな」
岩の国。民が餓えているのに、戦いをやめない国。
そのうち大きな争いが起こるだろう。
常に最前線で戦うおまえ。
信じてる。帰ってくると。
でも会えない。戦いの終るその日までは。
本当は、隣で戦いたい。
叶わないのなら、身体の一部だけでも。
髪に絡まる、あいつの指。
「サスケ・・・・おれの髪、好きか?」
「何、言ってる」
「好きかって訊いてるんだよっ。どうなんだ?」
強く言う。あいつの目が一瞬、大きく開いた。目が閉じられて、開く。おれの好きな、あのまなざしが現われた。ゆっくりと顔が、近づいてくる。
「ああ。好きだ」
耳元に言葉を落とし込まれた。
震える身体が、ちょっと悔しい。だから、仕返しを試みる。
「そうか」
身体を引く。あいつの手が離れた。伸びた髪を手で掴み、項で一まとめにする。小刀を取り出して、一気に切り取った。
「ほい」
あいつは黙って凝視している。意味を計りかねているようだ。
「連れてけよ。好きなんだろ?・・・・・おれは、行けないから」
やっと、笑った。おれの手から髪の束を受けとり、目を閉じて唇をあてる。
「お前の、においだな」
「帰ってきたら、それ返せよ」
「何だそれは。次に遠征行く時はどうするんだ」
「その時は、また新しいのをやるよ」
余裕たっぷりに、笑い返した。
突然、腕が身体を囲む。強く、抱きしめられた。
頬にあいつの髪。触れ合った部分から熱が湧き起こる。
背に手を回す。離れたくなかった。
「敵わないな。お前には、敵わない」
あいつの囁き。甘く耳に響いた。
連れていって。
心はいつも、おまえを見てる。
離れていても、夜ごと空を駆けてゆくから。
だから、ひと筋だけでも、おまえといたい。
あいつの肩ごしに空が見える。
高さと蒼さが目に沁みて、おれは腕に力を込めた。
end
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