数冊の写本を本棚に置き、俺は印を結んだ。
イルカ先生が記し、カカシが残した重要な機密。ここなら、人目に触れることはない。限られた者だけが出入りできる火影の文庫ならば。
さらに、本自体に印を施した。限定された人間だけが触れられるように。
こうすれば、いつか、見つけるはずだ。
あいつか、いつか生まれる俺が。
封印の翼 by真也
天窓の向こうに、曇った冬空が広がっていた。
薄暗い部屋を見渡しながら、溜め息をつく。籠った空気、埃と書物の匂い。音もなく、外とは遮断されてしまっている空間。火影屋敷の奥殿の文庫。
暗部から里に戻ったばかりのころ、俺はよくここに足を運んだ。焦りと苛立ちに囚われていた日々。頭を冷やす為に、ここの本を乱読した。戦術。里の歴史。里を取り巻く情勢。そして、禁術の一部。知識を詰め込まなければ、頭がいっぱいになってしまう気がした。自分の、醜い心で。
あの頃、あいつが遠かった。身体は縛りつけているのに、心が見えない。掴もうと伸ばした腕は、どうしても届かなかった。
『今と反対、だな』思わず苦笑する。本当にそうだ。
あいつの心は手にとるようにわかるのに、身体が遠い。触れることも出来ない。
半月前、三代目火影の崩御と共に、あいつは五代目火影となった。結界修行の期間も合わせてほぼ一ヶ月半、俺はあいつに会っていない。公の場では何度か、お互いの姿を見る機会はあった。しかし、上座のあいつは遠過ぎた。
我ながら愚かだと思う。奥殿まできたら、あいつに会えるかもしれない。そんな期待を抱いて、ここに来てしまったのだ。自嘲に口元を歪める。その時。
バタン。いきなり文庫の扉が閉まった。何事かと入口の方へ進む。扉の前に、見慣れた金髪。
「あれ?」
空色の瞳が見開かれた。あまりのことに、呆然としてしまう。
「おまえ、どうしてここにいるんだ?」首を傾げて訊いてくる。
「お前こそ」やっと、声が出た。
「おれ?ここ奥殿だぜ。おれがいるのは当たり前だよ」
「そうじゃない。文庫に何の用だと訊いている」
「ちょっとね」視線を反らして、曖昧に笑った。
「撒いて来たな」
「だってあいつら、厠までついてくるんだぜ。いくら火影でも、たまには一人になりたいよ」
「まったく・・・・」
ナルトらしくて、呆れてしまう。これではエビスをはじめとする側近達も、手を焼いていることだろう。
「ま、いいじゃないか。ちょっとだけだよ。息抜き、息抜き」笑いながら、扉に結界を張った。
「何してる」
「邪魔されたくないだろ?」振り向いて、いたずらそうに言う。ガキの頃と同じ顔で。
苦笑する俺を見つめながら、近づいて来た。目の前に立つ。
「久しぶりだな。どのくらい、会ってなかったっけ」
「一ヶ月半ぶりだ」
「もう、そんなになっちゃうか。仕方ないよな。奥殿に入って一ヶ月は結界修行だったし。広間で会っても、遥か遠くだもんな」
困ったように笑って、首に手を回してくる。近づく顔が寸前で止まった。しばらく、見つめ合う。
「おい」
「何だ」
「せっかく会えたのに、何にもナシかよ」拗ねた碧眼に、俺が映る。
「困った火影だ」微笑んで、口づけた。
開かれていた歯列を越えて、待ち構えていた舌にたどり着く。緩やかに応えてくるあいつ。絡めとって吸い上げれば、小さく声が上がった。びくりと背が揺れる。慣れた身体。馴染んだ肌。俺だけに、応えてくれる。
二人、満足して顔を離した。右の鎖骨に、あいつの額が押しあてられる。
「サスケだ。・・・・・やっと、お前にさわれた」吐息混じりの言葉。
「ナルト」
「いつもちらっと見るばかりでさ。じれったくて、狂いそうだった」
身体に手を回そうとした時、肩を押された。あいつがのしかかった形になる。見上げると、瑠璃の瞳。濡れたように輝く。
「おい」
「なんだよ」
「何する気だ」
「そんなの、決まってるだろ」
「わかってるのか」
「なにが」
「ここだと、まずい」
「・・・・いやなのか?」口角が下がる。泣きそうな顔。これには弱い。
「そんなこと、言ってるんじゃない」説明しようと、上体を起こしかけた。途端に押し戻される。
しがみつく手。密着する身体。頬に、あいつの髪。
「おまえが目の前にいるのに・・・・・おまえは、平気なのか?」震える声。鼓膜を叩く。
ため息を吐きだす。そうだ。俺の負けだ。
「退け」
「えっ」
「身体を退けろ。俺も結界を張るから。二重に張れば、何とかなるだろう」
降参宣言を聞かせてやった。
文庫全体に結界を張り、振り向いた。ナルトが迎える。俺の好きな笑みを浮かべて。手を伸ばして、その身体に触れた。俺のおまえを、確かめるために。
息が整ったばかりの身体を離そうとして、その手に引き止められた。潤んだ目が睨んでいる。意味が分からず、目で訊いた。
「離れんなよ」
「だが、そうゆっくりもしてられない」
「すぐ離されんの、いやなんだ。・・・・・・あの頃を思いだすから」ぼそりと、言葉を継ぐ。
「あの頃のおまえじゃないってわかってる。でも、やっぱり寂しくなる」
引き寄せて抱きしめた。過去の過ち。欲しいが故に、お前を傷つけてしまった。どうして落ち着いて距離を縮められなかったのだろう。
「すまない」
心の底から謝罪した。わかっている。本当は隣にいる資格など無い。だから取り上げられたのか。
「サスケ。おれこそ、いやなこと言ってごめん。卑怯だよな。ただ、もう少し、一緒にいたかっただけなんだ」
身体を離して、小さく笑った。この世に幾多ある願いの中で、たった一つのお前の願い。
言葉の代わりに、唇を繋いだ。
身繕いを整えた頃、外が騒がしくなってきた。
「そろそろ、ばれるかな」ナルトが頬をかく。
「俺はあそこから行く。二人で出るのはまずいからな」天窓を指差し、あいつに言った。
「ところでさ。おまえ、ここで何してたんだ?」
「イルカ先生の写本と巻き物を置きにきた。ここが一番、安全だろうから」
「そうか」
微笑む顔を見て、思いだす。もう一つの形見を。
ベストについてるポーチに手を回し、数冊の本を取り出した。あの時から、肌身離さず持っていたもの。カカシの本。
何も言わずに、差し出した。
「おまえ、これ・・・」
「お前に預けておく。前線で失くしたらことだからな」
「でも」
「中身はもう、覚えている。それに、お前に会う口実になるだろ?」
「おっ・・・・おまえなぁっ!」
白い肌が色づく。眉が顰められた。
「いけないか?」
言葉が出ないのか、口をへの字にして睨み付けてくる。
「ほら」
「わかってるよ!絶対、取りに来いよな!」手の本をひったくった。
「もちろんだ」
言い捨てて、俺は印を組んだ。文庫に風が湧き起こる。風で天窓を押し上げ、飛び上がった。
「じゃあな」
見上げる顔。また泣きそうに歪んでいる。
「ああ」
精一杯微笑んで見下ろし、俺は窓枠を蹴った。
今は、託そう。
お前に全て。
いつか、飛び立てる日を信じて。
俺の、翼を。
きっと、また取り戻せる。
お前とならば。
どんなに遠く離れても。
必ず。
end
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