王城にて
   byつう








 森の国の王城の庭に、薄緑色の萼の梅の花が咲いた。
 国主は盛大に梅見の宴を開き、その様子を詠じた長歌を木の葉の里の長に送ったという。



「無事に根付いて、よかったですよ」
 庭園の一角で、森の国の内務尚書が扇を片手に安堵のため息をついていた。
「うっかり枯らしでもしたら、外交問題になるところでした」
「ちょっとー。それは大げさでしょ」
 燃えるような緋色の髪をした男が、内務尚書とは微妙に異なるため息をつく。
「たかが梅の木一本に……」
「たかが?」
 一重の目が、ちろりと横に向けられた。
「森の国の国主が木の葉の里の五代目に、ぜひにと乞うて譲り受けた梅の木なのですよ。それをこちらの不注意で台無しにしたとあっては……」
「ヒヨコ頭は、そんなこと気にしないってー」
「あなたや五代目が気にしなくても、世間は黙っていません!」
 加煎は扇をぱちりと閉じて、セキヤを見据えた。
「お遊びはなしにしてくださいと、申し上げたはずですよ」
「べつに、遊んだわけじゃないよん。これはこれで、対外的にもいい宣伝になったでしょ」
 そうだ。たかが梅の木一本で。
 木の葉の国は、引き続き森の国を支援していくのだと近隣諸国に知らしめた結果となった。むろん、セキヤの目的はべつにあったのだが。
 火影の館の奥殿。その庭に咲く緑萼という名の梅は、懐かしい人を思い出させる。まっすぐな黒髪に、黒い瞳。穏やかな微笑みを浮かべたあの人を。
 ちゃんと、「火影」の許可を取ったからね。セキヤは記憶の中に住むその人に語りかける。
『よかったですね』
 いまは亡き黒髪の中忍が、困ったような顔をしつつも笑っている。
『大事にしてください』
 そんな声が聞こえたような気がした。
「まあ、今回はよしとしますか」
 散々、小言を言ったあとに、加煎はふたたび緑萼の花を見上げた。
「清々しい色ですね」
「でしょー。オレたちにはもったいないぐらい」
「宝物、ですからね」
「そうだね」
 昔も、いまも、これからも。セキヤだけではなく、加煎や醍醐にとっても、その思い出は宝物だ。
「ところで、御上(おかみ)」
 内務尚書の顔に戻って、加煎が言った。
「なにか」
 セキヤも「朱雀」の口調で答えた。
「木の葉よりの公式訪問の件ですが」
「それならば、清明節の祭に合わせると昨日の朝議で決まっただろう」
「は。されど、少々事情が変わりまして」
「ほう」
 焦色の目に冷ややかな光が宿る。
「どのように」
「高氏が危ういそうです」
「ふん。また砂に取り込まれたか」
「いえ。王が危篤だとか」
「なるほど。高氏はまだ継嗣を定めていなかったな。それでは、決着がつくまで五代目は里から離れられぬか」
「御意」
 木の葉の国と砂の国にはさまれた高氏国は、二年ばかり前に砂の支配から脱して自治を獲得したばかりだ。以前にも砂と高氏のあいだでは複雑な経緯があり、世継ぎ問題は内政の混乱、ひいては砂の国の侵攻を誘発するおそれがあった。
「委細承知した。火影どのの訪問については、当方の都合によりいましばらく時間をいただくこととしよう」
 あくまでも、森の国の都合で。
 ひとつ、貸しにしとくよ、ヒヨコ頭。まあ、緑萼のお礼ってことでもいいんだけど。
「御上」
 五間ばかり離れて控えていた近侍が、言上した。
「そろそろ、お召し替えを」
 絶妙のタイミングだ。これだけ離れていれば、話の内容が聞こえていたとは思えないのだが。
 いや、こいつなら、聞き取ることができたかも。セキヤは、すっかり侍従姿が板についてきた刃を見つめた。
 昔から、わずかな物音にも反応し、風や雨音の些少な違いから天候を予測するようなことがあった。セキヤは刃に忍の術は伝授しなかったが、優れた五感によって、刃はそのマイナスをカバーしてきたのだ。
 むろん、それだけではない。文字通り、血のにじむような努力の上に、いまがある。
「参る」
 短く答えて、踵を返す。加煎もそれに従った。
 午後からは、雲の国の特使と会うことになっている。なにかと作法にうるさい雲の国のこと。装束の格がどうのこうのと、つまらぬことで言いがかりをつけられてはかなわない。
 セキヤは頭の中で会見の段取りを考えつつ、正殿に向かった。





「おまえ、行かなくていいのかよ」
 正殿の一室で、軍務尚書の地位にある大男が訝しげな顔をして言った。
「相手は雲の勅使だろ。セキヤだけで大丈夫か」
「大丈夫ですとも」
 加煎は巻紙にさらさらと筆を走らせつつ、答えた。
「セキヤだって、もう一年も『国主』をやってるんですよ。少しは外交もしていただきませんと。おいしいところばかり取られては、私たちの立つ瀬がありません」
「たとえば、木の葉とか?」
「そうですとも。木の葉には行って、雲や霧に行かぬというわけにはまいりませんから。少しは自分で折衝をすればいいんです」
「けど、結局、セキヤの好きなようにやられるだけだぞ」
「こちらが余計な手間をかけないで済むだけ、まだましです」
 加煎は筆を置いた。ざっと内容を確認してから、封をする。
「……例のやつかい」
 醍醐はちらりと表書きを見遣った。
「ええ。おかげで、高氏のこともいち早くわかりましたし。いつもながら、ありがたいことです」
 昨夏、セキヤが「朱雀」として木の葉の里を訪問したとき。五代目火影からの正式な親書のほかに、加煎宛ての書状がこっそりと文筥の中に忍ばせてあった。差出人は、ロック・リー。五代目の側近である。
 リーと加煎は、五代目火影が誕生する直前に西方の砦で会っている。砂との国境から五門を開いて疾走してきたリーに、薬草粥を差し入れたのが最初だった。
 リーはその折のことをよく覚えていたらしく、「朱雀」の近侍の中に西方の砦にいた顔を見つけ、文を送ってきたのだった。
 それ以来、彼らのあいだでは定期的に文が行き来している。
「セキヤも木の葉の五代目も承知してるから、いいようなもんだけどよ。それって、一歩間違ったら機密漏洩罪か反逆罪だぜ」
 たしかに、そうだ。加煎もリーも、互いに益ありと判断すれば、自国の情報を相手に知らせているのだから。
「間違わなければ、いいのでしょう?」
 うっすらと微笑んで、加煎は旧知の男の肩に手をのばした。
「軍務どの」
 加煎は醍醐を役職名で呼んだ。
「万が一にも間違ったときは、御身がこの首、落とせばよい」
 間違うことなど、ありはしない。セキヤがこの世にあるかぎり。
 加煎の真意がひしひしと伝わる。醍醐は手をかさねて、頷いた。
「内務どののご依頼、たしかに承った」
「では、そういうことで」
 するりと手を抜く。醍醐は苦笑して、肩をすくめてみせた。
 露台に続く窓を開けて、加煎が外に出る。手摺りの上には、焦土色の鷹が止まっていた。
「頼みますよ」
 加煎は細い缶に入れた文を、鷹に託した。大きく、羽が広がる。
 浅春の光の中、鷹は羽音を残して飛び立っていった。



(了)



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