奥殿の庭 byつう
森の国の国主が木の葉の里を訪れたのは、雲の国からの独立に際して木の葉の支援を受けたからだろうというのが、一般の見解であった。
それは、まあ、そうなんだけどね。
セキヤは広々とした庭園を散歩しながら、含み笑いをもらした。たしかに、木の葉の対雲の国政策が森の国の独立に与えた影響は大きい。意地の悪い見方をすれば、森の国は雲から木の葉に身売りしただけ、と言えなくもない。
一年あまりに渡る水面下での交渉の実態を知らぬ者たちは、森の国を単なる傀儡政権ととらえていた。が、その誤解を、セキヤたちはあえて解こうとはしなかった。当面の危機がないのなら、過少評価を受けるのも悪くない。
「余計な警戒をされて、国境の軍備に歳費を割かれるのはばかばかしいですからねえ」
内政を与る内務尚書の地位に就いた加煎が、周辺諸国の風評を耳にして、そう言った。
「それより、うまく連中の自尊心をくすぐって、『小国』の森の国を助けていただきませんと」
国土は狭く、大半が山岳地帯の森の国である。たしかに「小国」ではあるが、加煎がそんなことを本気で思っているはずもない。要は、余所の国のカネで国境の砦をまかなおうという算段である。
「だからって、木の葉がそんな手に乗るわけないでしょ」
国主である朱髪の男は、内務尚書の顔を覗き込んだ。
「当然です。木の葉相手に小手先のごまかしがきくものですか」
加煎はわずかに眉を上げた。
「木の葉とは、まっとうに友好を結んでいただきませんと。五代目をたばかったとあっては、上忍総出で攻撃されますからねえ。そんなことになったら、わが国はひとたまりもありませんよ」
五代目が誕生した経緯も、その人となりもわかっている。さらに言えば、出自さえも。
「そういうわけですから。今回は、お遊びはなしですよ」
扇をぱしりと卓に打ち付けて、加煎は釘をさした。セキヤは乳母にたしなめられたいたずらっ子のように、神妙にそれを拝聴した。
それが、二日前のこと。
いま、自分は火影の館の奥殿にいる。
他国の国主が奥殿にまで入るのは、まれなことだ。なにしろ奥殿は、木の葉の忍でさえ出入りを制限されているのだから。
「お待たせした」
うしろから、五代目の声がした。
「近侍の者が、どうしても供をすると言うのでな。あちらに控えておるが、かまわぬか」
固い口調。
「それは至極当然のことでありましょう。仮にも御身は火影なれば」
セキヤも国主としての顔で返した。が。
二人とも、ぴったり三秒後に盛大に吹き出した。五代目は金髪を揺らしながら、腹を抱えている。
「あー、おかしい。もう、おれ、さっきから笑いたくて笑いたくて……」
息も絶え絶えに、ナルトは言った。
「お互いさまよー。いやあ、ほんと、馬子にも衣装よねえ」
しみじみと、語を繋ぐ。
「火影のカッコしたら、火影らしく見えるもん」
「あんただって。そんな格好してたら、ウラで仕事を請け負ってたやつには見えないよ」
なるほど。もうオレたちのことも承知してるわけね。
セキヤは納得した。それはそうか。こいつは火影だ。三代目から、すべてを引き継いだ男なのだ。
「ふーん。で、そこまで知ってて、どうしてオレをここに入れたのよ。奥殿はおまえのプライベートスペースでしょ」
「だからだよ」
ナルトは庭の中心に進んだ。四阿に上って、腰をおろす。
「腹を割って、話したいと思って」
「へえ。どんな話よ」
セキヤもとなりにすわる。ナルトがちらりと横を見遣った。
「あんたさ。ここに来たこと、あるだろ」
「へ?」
「文庫の結界が、少しだけ歪んでたから。たぶん、あんただと思ってね」
気づかれていたのか。いや、あのときこいつは、自分のことで精一杯だったはずだ。
うちはの若造が殉職したとき。こいつは「火影」として為すべきことを為し、長の責任を果たした。ぎりぎりの状態だったと思う。そんな中で、わずかな気配を察したとでもいうのか。
「あいつの結んだ印を解けるやつなんて、そうはいないし」
ナルトの空色の瞳が、光を吸い込んで輝く。
「ばれちゃったのねー」
正直に、セキヤは答えた。
「来たよ。二回」
「二回?」
訝しげに、ナルト。
「あれから、また来たのかよ」
「いーや。それより前。ほら、おまえとはじめて会ったとき……」
「はじめてって……」
蒼い瞳が見開かれる。
「もしかして、イルカ先生と一緒に?」
「そ。黒髪さんたらねえ、抜道まで教えてくれちゃって」
困ったような顔をしたイルカを思い出す。
「でも、三代目のじいさんって太っ腹だったのねー。まさか、いまだにこの抜道が使えるなんてさ」
「なんとなく、わかる」
ナルトは頷いた。
「じっちゃんは、あんたが好きだったんだよ」
「うわ。やだやだ。老いらくの恋ってやつ?」
「冗談じゃなくってさ。あんたのこと……子供みたいに思ってたんじゃないのかな」
イルカにとって、ナルトがそうであったように。
セキヤは目の前にすわる青年を見つめた。
元気なだけが取り柄のガキだったのに。うじうじと、どっちつかずに悩んでいたヒヨコ頭が、こんなにやさしい表情を浮かべるようになった。
ふと、懐かしい気持ちになる。これは、あのときと同じ。
イルカがカカシを愛して、おのれの生きる意味を見つけたとき。
あのときのイルカも、こんなふうに穏やかに、やさしく笑っていた。日の光の中で、あたたかく。
本当に、どれほど苦しんだことだろう。ここまで来るのに。
セキヤとて、何度も地獄を見てきた。修羅となって、全身を血で染めたことも一度や二度ではない。それでも。
このヒヨコ頭が辿ってきた道と、これから歩いていく道程を思うと、自分のこと以上につらくなる。だれにも助けられない。だれも手を貸すことなどできない。こいつはたったひとりで、長い時を過ごさねばならないのだ。
「あ、悪い。おれ、余計なこと言ったかな」
ナルトが心配そうな顔をした。
「ヒトがいいねえ、おまえ」
純粋に、そう思った。
もちろん、それだけでないことはわかっている。それだけでは「長」にはなりえない。しかし。
セキヤはうれしかった。イルカの「子供」が、本来の心を持ち続けていることが。変わらざるをえない人生の中で、変わらぬものもあるということが。
「んじゃ、ちょっとお願いしてもいいかなー」
「なんだよ」
「今日の記念に、ひとつほしいもんがあるんだけど」
「いいけど……それって『朱雀』として、か?」
なかなか鋭いところをついてくる。
セキヤは苦笑した。
「うーん、そーゆーわけじゃないんだけど……表向きはそうしとこうかな。友好の証に、火影が朱雀に梅の木を一本プレゼントした、なーんてのは、どう?」
「梅の木?」
「そ。ほらほら、あの木。あれ、もらってもいいかな」
青々とした葉をつけた木を指さす。
「あれねえ、緑萼っていって、緑っぽい花が咲くのよ。知ってた?」
「いや。……花なんか、見る暇もなかったから」
「そっか。ま、仕方ないねー」
急に火影となって、目まぐるしく日々を過ごしてきた。なんとかそんな毎日を日常として受け入れつつあったときに、大切な人を失って。きっと、季節を感じる余裕などなかったのだろう。
「で、どうよ。もらっても、いいの」
「いいよ」
あっさりと、ナルトは答えた。
「なんか思い出があるんだろ、おっさん」
「『おっさん』って言うの、いい加減にやめてよね」
セキヤはナルトの額を軽くはじいた。
「……いてっ」
「ほーら、隙がありすぎだって……」
皆まで言う暇もなく、ざっ、と風が起こって人影が現れた。
「ご無礼いたしますっ」
黒い忍服に身を包んだ男が、ナルトを庇うようにして立つ。
「リー!」
ナルトが叫ぶ。
「いいんだ。下がってろ」
リーはそれでも構えを解かない。
「あー、悪い悪い。つい、いつものノリでさあ」
手をひらひらさせながら、セキヤは言った。リーは丸い目をさらに丸くした。
「……お知り合いだったのですか?」
「昔馴染みってやつよねー」
セキヤが茶化す。ナルトは苦笑して、頷いた。
「イルカ先生の知り合いなんだよ」
「えっ……それは失礼いたしました!」
ぺこりと頭を下げる。
「そういうわけだから、ちょっと離れててくれるかな」
ナルトが小声で言う。
「わかりましたっ」
リーは大声で答え、四阿から消えた。
「なーんか、いい部下を持ってるねえ」
セキヤは焦土色の目を細めた。
「あんたもだろ」
ナルトは五間ばかり離れた植え込みの陰を目で指した。
「もっちろん。オレの仲間は最高よー」
そこには、刃がいる。もしロック・リーがあと半歩でもセキヤに近づいていたら、瞬時に臨戦態勢をとっていただろう。
「これも人徳だね」
自信満々に言い切って、セキヤはにっこりと笑った。
この日。五代目火影と朱雀は、その後の国政に関わる事柄のいくつかを確認した。
雀卓の上で砦の配備が決まっていったのと同じように、木の葉の国と森の国の外交政策は、奥殿の庭でその根幹が作られていったのである。
そして、後年。
梅の木の逸話は様々に脚色されて各地に流れることになった。
木の葉の国と森の国の掛け橋となった緑萼。その鉢植えを、祝いの品として贈る習慣まで生まれたという。
森の国の王城と、木の葉の里の奥殿に咲く清廉な緑萼の花。それの意味するものは……。
真実は、ただひとりの胸の内に。
(了)
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