そこはいつも、あまりに遠くて。 それでも手を伸ばさずにはいられなかった。 届かないと知りながら。 空。 あいつのいる場所。 空に手がとどく by真也 「思いだした」 やっとおさまってきた息の中、おれは呟いた。闇色の瞳が訊いてくる。何だ、と。 「おれ、言ってないぞ」 「何をだ」 落ちてくる低音。ぼそりと、怪訝そうな響き。 「ほら、文句だよ。おまえが暗部に行ってた時の」 「そんなことまだ覚えてたのか。しつこい奴だな」 「なんだよ。おまえにはそんなことでも、おれには大切なの」 口をとがらせ、睨み付けた。月明かりの差し込む中、あいつの唇が弧を描く。 「えっ・・・な、なにするんだよっ」 「気にするな。文句、言うんだろう?」 再び動きだした不埒な手。落とされる唇。確実に言葉を発する余裕を奪ってゆく。 繋がった部分から熱。湧き起こる波紋。 「おいっ・・・サス、ケ」 「言えよ」 「おまえ、なあっ!」 慣れた身体はすぐに目覚め、一つの目的へと出来上がっていってしまう。 誤魔化されない。 首を振って自分を保とうとするが、形勢は不利。せめて身体を離してから言えばよかった。 「ほら・・・・ちゃんと、聞いている」 耳元で囁かれる。波打つ身体。唇を噛んだ。口を開けば、別の音が漏れてしまう。 卑怯だぞ。 言葉の代わり睨んだが、あっさりと笑みで躱されてしまった。 「聞かせてくれ」 落とされる声音。おれだけが知っているもの。 悔しいけど、堕ちてしまう。考えた文句は飲み込まれてゆく。 激しくて、愛しい嵐に。 とうとう諦めて、サスケの首に手を回した。 夢。 二人がただの二人であった頃の記憶。 初めて枕元に降りて来た。 目を開いて、おれは苦笑する。 今まで一度として訪れなかったのに、今ごろになって夢に現われるなんて。 あの頃のままのあいつ。 どれだけ願っても叶わなかったのに。 痺れを切らしたかな。ぼんやりと思った。 うつうつと眠っては僅かな時間目覚める日々。目覚めるたびに、身体は少しずつ弱っている。もう、何ヶ月になるだろう。床より出られなくなってから。 目だけを動かし、辺りを見る。気を張り巡らせて・・・誰かいる。覚えのある気配。彼だ。 「雷」 小さな声で呼んでみた。音もなく、黒い影が現われる。枕元に控えた。 「すまない。起こしてしまったか」 遠慮がちにぼそりと呟く。おれは笑みを向けた。 「よかったよ。眠りすぎで、もう飽きていたんだ」 「そうか」 あいつと同じ口元。微かに笑う。 「具合はどうだ」 「いいよ。痛くも何ともないし。目覚められたし。雷にも会えた」 「なら、よかった」 「でも、ちょっと退屈、だな」 動かない手足を見つめながら、おれは困ったように言う。傍らの黒い瞳が痛むように歪められた。 正直、待ち疲れていた。緩慢に進んでゆく状態。心残りはないけど、あまりにゆっくりだったから。 その先にある瞬間をおれは恐れてはいない。だから、尚の事。 「何か、俺に出来ることはないか」 真摯な顔が訊いた。必死な、すがるような眼差し。 いいだろうか。 ふと、思う。 言ってもいいだろうか。小さなわがままを。 長い間、考えもしなかった。 おれの無理を聞くのは、いつもあいつだったから。 困った顔で言う。「仕方ないな」と。 嬉しくて、欲張りになった。 望むことを覚えてしまった。 あいつがいたから。でも。 あの日以来、わがままは空へと上がってしまった。 あいつと共に。 今、それを言ってもいいだろうか。 彼に。 数瞬考えて、おれは答えた。 「空が見たい」と。 一足ごとに微かな振動。それでも、極力おれに負担を与えないようにそっと歩いている。 雷の首に手を回す。力は殆ど入らないけど、温もりは共有することが出来た。 彼はおれを背負い、外へと連れ出した。 サクサク、サクサクと枯れた葉を踏みしめている。 サスケの家への道。今まで、数え切れないほど通った道。 遠い日は二人で。任務の行き帰りに。たわいないことをしゃべりながら、手に食べ物や酒を携えて。 火影になった夜は呆然と。自分達を待ちうけるものに戦き、それでも立ち向かおうと心に決めて。 そして、あいつを失った日はリーと歩いた。今日のように、枯れ野をひたすら。歩きながら、蒼い空を見つめた。そこにあいつがいると信じて。目をこらせば、一瞬だけでも見える様な気がして。 「寒くないか」 雷が訊く。無器用な中の優しさ。それが彼の原点。サスケと同じ。 「大丈夫だよ。誰かさんが、熱と気をわけてくれているからね」 「こんなの、大したことない」 温かい背中がぼそりと答えた。 枯野の上に降ろしてもらった。ふらつく上体を雷が後ろから支える。目の前遠く里が見えた。 木の葉の里。おれが、守りつづけてきた場所。 「相変わらず、一人でやっているのか」 「ああ」 「写輪眼、上手く使えているか」 「まあな。術もかなり集めた。でも、詳しい原理を知っているわけじゃないからな。片っ端からコピーして、実戦で試している」 「そうか」 あいつかカカシ先生がいれば、彼もこんなに苦労しないで済んだだろうに。己だけが頼りの、孤独な戦い。 写輪眼。 全てを見通す瞳。全てを写し取る瞳。全てを伝える瞳。 「一度だけ、写輪眼が欲しいと思ったことがある」 雷が覗きこんだ。漆黒の目が先を促す。おれは言葉を継いだ。 「その眼はそれを持つ者の姿を伝える。最後の姿を」 「最後・・・だと?」 「ああ。昔、カカシ先生が亡くなった時、その眼はサスケに彼の最後を視せた」 「・・・・・」 「おれも視たかった。どんな姿でもいい。人の形をしていなくても。あいつの、この世最後の瞬間をこの目に焼きつけたかった。写輪眼なら、それが視える」 「ナルト」 「覚悟は出来ていた。それでも、会いたかった」 雷の顔が泣きそうに歪む。ごめんな。そんな顔させて。 おれは微笑み、彼の頬に手をやった。 「雷。いつか、きっと見つかる。おれにあいつがいたように。おまえにも、おまえだけを必要とする者が。だから、決して諦めないでくれ。人は、一人では人として生きてゆけない」 雷が首肯く。涙が一滴、おれの頬に落ちる。指先でそっと、濡れた目尻を拭った。そして気付く。 空。 雷の後ろに見えるそれは、近い。 まるで手を伸ばせば触れられそうに、近づいてくる。 「近いな」 嬉しくなって呟く。雷が不思議そうに見ている。 「雷、空が近い。ずっと遠いと思っていたのに・・・・・今日は、手が届きそうだ」 届くだろうか、今なら。 最後の力を振り絞り、おれは空に手を伸ばした。 数日後、その里長は昏睡状態に入った。 end |