紅玉  byつう








 はじめて彼を見たとき、ひどく冷たい印象を受けた。
 黒い髪、黒い瞳。一条の刀傷がついた白い頬。
 青藍(せいらん)は、養父である醍醐に命じられ、その少年を国境まで送った。あれは二年前のこと。



 王城を出てから、少年はひと言もしゃべらなかった。ただ前を見据えて、歩を進める。険しい道も、絶壁も、ほとんど同じペースで。
 前年、中忍になったばかりだと聞いた。年も自分よりだいぶ下だ。男女の差はあるにしても、技量の違いがありありとわかった。
 悔しかった。それまで、同年代の者に負けたことがなかったから。
 兵衛府の学び舎ででも、自分より強い者はいなかった。卒業の際には、すでに中忍レベルだと太鼓判を押されて、単独の任務も数多くこなしてきた。それなのに。
 まだ声変わりもしていない子供に、ついていくのがやっとなんて。
 国境近くまで来て、やっと少年は歩をゆるめた。それまで能面のようだった顔に、困惑したような表情が浮かぶ。
『ごめん』
 少年は言った。
『考え事をしてたから……』
 ずっと無言でいたことを詫びているらしい。
『いいわよ、べつに』
『ありがとう』
『え?』
『送ってくれて』
 素直な言葉。黒い瞳をまっすぐに向けて、少年は微笑んだ。
『ここでいいよ』
『でも……』
 国境までは、まだ二里ばかりある。
『みんなに、よろしく』
 ぺこりと頭を下げて、地を蹴る。一瞬の出来事だった。まばたきひとつするあいだに、少年の姿は消えていた。
 あれが、「影」を冠する五大国の忍。自分など、足元にも及ばない。
 王城に帰還してから、セキヤとの一件を聞いた。
 信じられなかった。あのセキヤと剣を交えたなんて。
 長く飾り棚に納められていた長刀。国を興して以来、一度も使われたことのなかったそれを、セキヤはあの少年に向けて振るったのだ。
 うちは一族については、概要は知っていた。木の葉においても諸刃の剣であろう。五代目火影は、彼と彼の弟をことのほか大切にしているらしいが。
 それまでの自分は井の中の蛙だった。王城の中でだけ通用する強さなど無意味だ。万一のとき、外敵を倒せるだけの力をつけなければ。
 青藍は、以前にも増して訓練に精を出した。





 そして、二年。
 今日もまた青藍は、少年とともに国境に向かっていた。もっとも以前とは違って、軽口を叩きながら木から木へ飛んでいたが。
「おなか、すいたわねー」
「そうだね」
「この先に川があるから、魚、獲ろうか」
「いいね」
 ふたりは渓谷に降りた。
 半時ばかりのち。川縁ではイワナが六尾、いい色に焼き上がっていた。
「火遁の調節、うまいわねえ」
 はふはふと魚にかじりつきながら、青藍は言った。体術は得意だが、忍術はいまひとつなのだ。結界術はセキヤにかなり厳しく仕込まれたので、安定しているが。
「調節だけは、ね」
 ぼそりと、風。青藍は首をかしげた。
「どういうことよ」
「コントロールはできても、全体の力量が足りない。実戦向きじゃないんだよ」
「あら。いくらパワーがあっても、暴発するような力じゃ意味ないでしょ」
「……そうかな」
「そうよ。セキヤがそう言ってたもん」
「セキヤが?」
 風が顔を上げた。
「力は、技とともにあってこそだって。頭でっかちのコドモも、脳ミソの足りないオトナもサイアクだって」
「……いかにもセキヤが言いそうな台詞だね」
「でしょ」
 そのときのことを思い出して、青藍はくすくすと笑った。
『余計なもんは、持たなくていいよ。過ぎた力は身を滅ぼすからねー』
 そんな人間を山ほど見てきたのだろう。朱髪の男は、多くを語らなかったが。
 青藍がものごころついたころには、すでに森の国は独立していて、セキヤや醍醐が実戦に出ることはなかった。ゆえに、自分は彼らのいくさばでの姿を知らない。
 それを知っているのは、兄弟の中でも上の五、六人だけだろう。とくに長兄の慶臣は、十年ちかく醍醐の側付きとして砦を転々としたというから、かなり凄惨な現場にも遭遇したと思う。
「青藍」
 ほとんど聞こえないぐらいの声で、風が言った。
「なに?」
 異様な気配を感じ、青藍も唇を動かさずに返す。
 何者かに囲まれたらしい。風の任務がらみだとすれば、雨の国の忍か。
「いちばん殺気が薄いのは、十時の方向。行けるね?」
 黒い、真摯な瞳。
「了解」
 青藍は地面を蹴った。





 遠くへ。できるだけ、遠くへ。
 自分が側にいても、邪魔になるだけだ。一刻も早く王城に戻って、事の次第を報告しなくては。
 そう思ったとき。なにか重い「気」が背後で壁を作った。
 これは。
 青藍は足を止めた。まずい。反結界。これではどんな高度な技を繰り出しても、すべて我が身に跳ね返ってしまう。
 多勢に無勢。おそらく風は、一撃で突破口を作ろうとするはず。だが反結界が作用している中では、それは命取りになる。
 間に合うか。わずかでも風穴が開けられれば、自滅だけは避けられる。
 自分を追ってきていた忍を千本で仕留め、取って返す。薄く、しかし強固な防御結界を張って、渓谷を見下ろす大木の上に立った。
 風が敵を引きつけている。やはり、一度のチャンスを狙っているのだ。
 細くチャクラを練って、念を飛ばす。どれだ。反結界の術者は……。
 緑の合間に、白い影。あそこか。
 向かい側の斜面に向けて、青藍は複雑な印を結んだ。一度しか試したことがない技。うまくいくかどうか、わからない。でも……。
『断!』
 ほとばしる光。反動で体が後方へ飛ぶ。
 ピキッ、とかすかな音がして、渓谷を取り囲んでいた結界が傾いだ。その直後、赤い炎が生き物のように谷間を走り、その場にいた者たちを数瞬のうちに飲み込んだ。
 熱風が吹き上がる。青藍は目をしばたたかせながらも、先刻までともにいた少年を探した。
 大丈夫だろうか。なんとか、間に合ったと思うのだが。
 ななめうしろで枯れ枝を踏む音がした。素早く千本をかまえて、振り向く。
「……!」
 そこにいたのは、風だった。両の眼は、血のような真紅である。
 これが写輪眼。
 なんて、きれいなんだろう。青藍は思った。日の光を受けて、透けて輝く赤。まるで紅玉のような。
「風……」
 千本を引いて、近づく。風は唇を結んで、まぶたを閉じた。
 ふたたび開かれたときには、その目はふだんの、つややかな黒に戻っていた。
「もったいない」
 つい、本音が出た。だって、もっと見ていたかったから。
「もったいない?」
 風は不思議そうに言った。
「青藍は、嫌じゃないの」
「なにが」
「ぼくの……眼」
「どうしてよ。とってもきれいよ」
 正直な感想を述べると、それまで蒼白だった頬がほんの少し上気した。
「ほんとに?」
「うん。そりゃまあ、あたしが敵だったら、二度と見たくないって思うかもしれないけど」
 敵であれば、二度見ることは叶うまい。写輪眼を使った攻撃を受けて、生き延びる確率は限りなくゼロに近い。
 風の手が伸びてきて、青藍の背に回った。ぎゅっと抱きしめられる。
「ちょっと……どうしたのよ、風」
「ありがとう」
 二年前と変わらぬ、素直な言葉。耳のすぐ横で聞こえる。どうリアクションを返したらいいか考えていると、風はそっと体をはなした。
「じゃ、またね」
「え?」
「青藍はこのまま王城に戻って。水郷寺が霧の国に接近しているかもしれないから」
「どういうことよ」
「さっきのやつら、霧忍だよ」
「まさか……」
「うまく化けてたけどね。ぼくを始末して、きみを逃がして、偽の情報を流すつもりだったんだと思う」
 なるほど。言われてみれば、反結界を張れるほどの忍が雨の国にいるとは考えづらい。
「わかったわ」
 青藍は頷いた。
「それじゃ、気をつけて」
「きみも」
 黒髪の少年は、にっこり笑って渓谷を飛んだ。



 半年ばかりのち。
 雨の国の水郷寺では新しい門主が生まれた。水郷寺建立以来はじめての、雨の国以外の出身の門主が。
 以後、水郷寺が「風見鶏」と称されることはなくなったという。



(了)




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