*このお話しは、セキヤサイド『散華』と連動しております。*








 まだ蒼いススキが、生き物のように荒れ狂っている。
 轟音と共にぴしぴしという音がして、弟の手足を、頬を切り裂いてゆく。
 雷は動かない。真っ直ぐに前を見据え、嵐に立ち向かい続けている。
 まるで、その先にあの人がいるみたいに。







荒天に立つ     by真也







「起きろと言ってるんだ、このくそジジィ!」
 その人の胸ぐらを掴み上げ、雷は言った。ガクガクと身体を揺すり、目を覚まそうとしている。腕を動かす度に朱髪がカサカサと鳴り、痩せ細った腕がゆらゆらと揺れた。
「なにをしてるんです!」
「はなせ! どうせタヌキ寝入りに決まっている。俺は騙されない!」
 羽交い締めにされたまま弟が叫ぶ。血を吐くような声。怒り、哀しみ、悔しさ。それらが痛いほどに伝わってきた。
 唇を噛み締め、雷がリーおじさんの手を払う。牀の上を睨み付けた。それでも。
 その人の目は開くことはなかった。



 彼は去った。そう、セキヤは去っていったのだ。
 ぼくらのもとを、永遠に。



『ほらほら、しっかりやんなきゃ駄目だよん』
 にんまり笑って面白そうに言う。焦土の瞳。張りのある声。朱い髪。
 彼は時折、ぼく達の前に姿を見せた。『うちは』の末裔と呼ばれるぼくらに、彼は何の隔たりもなく接してくれた。
「いつかのしてやる」
 彼の襲撃を受けて以来、それは雷の口癖になった。今でも鮮明に思いだせる。彼が向けた殺気を。初めて恐いと思った。
 知らなかった。戦いがいかに厳しく、非情なものであるかを。
 ぼくらは守られていたのだ。所詮、井の中の蛙でしかなかった。だのに、自分は強いと過信していた。
 セキヤはそれを打ち壊した。完膚なきまでに。
「俺は強くなりたい」
 あの時を境に弟は変わった。漠然と強くなることから、目的を持った強さへと。
 地道に学び、苦手を克服し、任務を黙々とこなす。
 雷はまっすぐ一つの方向を見ていた。そしてたぶん、その道の遥か先にセキヤはいたのだ。
「……帰る」
 ぼそりと言葉を落とし、弟が部屋を出ていく。戸口の向こうに姿が消えた。





 帰って来ない。
 縁側から外を見やる。落ち着かなくて、イライラと爪を噛んだ。。
 あの時。雷が奥殿から出ていった時。ぼくはそのまま家に帰ったと思っていた。が、しかし。
 昼を過ぎても弟は帰ってこなかった。いくらなんでも遅すぎる。とうとうしびれを切らして、ぼくは雷を探しに出た。
 弟だって中忍だ。自分の身を守ることぐらい、十分に出来る。特に雷は戦闘任務を主にこなしてきたのだ。そんなこと分かっている。でも。
 今は状況が違う。あの朱髪の人が亡くなったのだ。
「まずいな」
 暗く、どんよりと落ちて来そうな空。湿った空気。風がだんだんと強くなってきている。
 心当たりはすべて探した。
 早く雷を探さないと。もうすぐ、嵐が来る。 
「仕方ないな」
 溜め息と共に目を閉じる。精神集中。身体の奥底に流れる『うちは』の血を呼ぶ。写輪眼を見開いた。
 里全体を見渡す。神経を研ぎ澄ませて、雷の気を追う。どこだ。弟は何処にいる。
 ・・・・・・いた。やっと、見つけた。
 考えも及ばなかった場所を目指して、ぼくは駆けだした。





 ススキの群れる河原に、弟は佇んでいた。ぴかり。稲妻が閃く。数秒のちに轟音が響いた。
「雷」
 声を掛ける。応えはなかった。
「雷、嵐が来るよ」
 もう一度呼んだ。弟の背中は微動だにしない。風が更に強まる。中に雨をはらんで。
 来た。嵐がやって来たのだ。
「帰ろう」
 焦れて一歩を踏み出す。
「来るな」
 鞭のような声が響いた。それ以上、前に進めない。
 雷の背中が、全てを拒んでいた。



 まだ蒼いススキが、生き物のように荒れ狂っている。
 轟音と共にぴしぴしという音がして、弟の手足を、頬を切り裂いてゆく。
 雷は動かない。真っ直ぐに前を見据え、嵐に立ち向かい続けている。
 まるで、その先にあの人がいるみたいに。
 


 降り注ぐ雨。何もかも洗い流してゆく。怒りも。哀しみも。
 鳴り響くいかづち。全てを掻き消してゆく。声も。叫びも。
 天が泣いている。それは、弟の代わりをしているように思えた。
 ぼくには何も言えなかった。その場を離れることさえも。
 ただ、弟の背中を見守りながら、立ちつくすしかなかった。 






 朝の光の中、ススキについた水滴がキラキラと光る。空は雲一つなく、薄く蒼をなしていた。どこで鳴いているのか、鳥の声。
 嵐は一晩中続き、朝焼けと共に去っていった。後には穏やかな景色が残る。
 ずっと動かなかった雷が、大きく息を吐き出した。張り詰めていた気が僅かに弛む。
「雷」
 安堵して、名を呼んだ。雷は振り向かない。
 もう一度呼ぼうとした時、弟は口を開いた。
「ここだった」
「えっ」
「ここで、奴と戦った」
 ぼそりと呟かれた言葉。それが全てを物語る。雷の記憶を。心を。ここで彼らは死力を尽くしたのだ。あの時。
「そうなの」
 そう言うしかなかった。それ以上の言葉を、ぼくは持っていなかった。
「すまない。・・・・・帰ろう」
 振り向き、弟がこちらに向かってくる。横をすり抜けていった。
 ぼくは少し戸惑い、ため息を一つ落として雷の後を追った。
 空には虹が架かり始めていた。



end



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