息づく夢  by真也








 遠い昔。
 優しい人を失くして、ただ呆然としていた日。
 長くたくましい腕で、抱きしめてくれた人がいた。
 彼は何も言わなかった。しかし。
 流れてくる体温が全てを伝えていた。
 世話係でもない。研究者でもない。
 彼は木の葉の里の忍だった。



 日が差し込むごとに部屋が暖かくなる気がした。
 窓の外には空。すぐ先に薄紅色の花が見える。はらはらと散って、窓辺に花弁が舞い込んできた。
 文字を打ち込む手を止め、ふと思う。『丁度、今ごろだったな』と。
 そうだ。彼らはいつも、今ぐらいの季節に現われた。雪のように舞う桜の中を。
 いつも二人、肩を並べて歩いてきた。
 子供心にもそれは、美しい光景だった。



「まだまだあるからな。いっぱい食べろよ」
 金色の髪。碧い目。ころころと変わる表情。
 彼はいつも、大きな袋にたくさんの駄菓子を持ってきてくれた。甘い食べ物。ここではめったに食べることができなかったそれ。
 僕らは栄養失調になることはなかった。が、豊かな味のものを食べさせてもらう事はなかった。それでも皆、それなりに満足していた。なぜなら、僕らは方々から集められた孤児で、何処にも行く所がなかった。ここの人は、僕らに安全な居場所と清潔な服、充分な食事を供給してくれた。そのかわり、実験と言うものに協力しないといけなかったが。
「怖くないか。無理しなくてもいいからな」
 黒髪。黒い目。よく見ていないと変化を見落としそうな表情。
 彼はいつも僕らを一人ずつ背負っては、この研究所の敷地内で一番高い木に登ってくれた。
 僕らは外に出ることを許されていなかった。しかし、彼らが来る時だけは特別だった。僕らは彼の背中で遠い景色を見せてもらい、ここを出る日を心待ちにした。協力期間を過ぎれば、僕らには自由とそれ相応の報酬が待っていたから。
 彼らは年に一回、ここの施設を訪れた。朝早くやってきて、小さな墓地に手を合わせる。そして、健康診断と称した各種検査に臨んでいた。午前中でそれらを済ませ、午後からは僕らと過ごしてくれた。
 僕らにとって、彼らの来訪は何よりの楽しみだった。その日を迎える為に、実験も乗り越えることができた。実際、彼らが来だしてから、何人もの仲間が無事にここを離れていった。
 彼らは内外でも有名な忍だった。一人は『うちは』という血継限界を持つ一族で、もう一人は九尾という強大な力を身体の中に封じ持つ、すぐれた結界術者だった。
「彼らには私も、たくさん教えられました」
 事あるごとにシギ主任はそう言っていた。彼も二人を快く思っていたようだ。
 彼らは誰が見ても、目を奪われる存在だった。外見だけではない。心の強さも。絆も。全てに惹きつけられた。
 いつまでも見ていたい。そう思っていた。
 だから僕は、自分の契約期間が終わった時、研究者としての道を選んだ。
 

 しかし、穏やかな時間はいつまでも続かなかった。


 彼らの一人が里の最高責任者になった。当然、ここに来るのは黒髪のあの人だけになった。
 彼は変わらず優しかった。でも。ひどく寂しげな顔をする様になっていた。
 一研究者だった僕は、それを見ていることしかできなかった。そして、翌年の冬。
 シギ主任について、初めて里へと向かった。そこで見たものは、蒼白な顔のもう一人の青年。
 持ち帰った保存ケースの中身を見た時、僕は全てを理解せざるを得なかった。
 一対の写輪眼。
 それは、あの人の死を意味していた。
 いつまでも彼らを見ていたいという僕らの夢は、そこで眠りについたのだ。





「ナギ」
 懐かしい声に振り向く。そこには、あの人の血を受け継ぐ少年が立っていた。
「風。大きくなったね。久しぶり」
「うん」
 こくりと頷く。彼には混じっているのだ。優しい人、扇兄さんの血が。穏やかな物腰が重なってゆく。背も伸びて、ずいぶん大人になった。僕は微笑む。
「どうしたの?今日は健康診断じゃなかったはずだけど」
 訊くと言いにくそうにしている。場所を移し、自室でイスを進めた。
「何か飲む?ここじゃ、大したものは飲めないけど。お茶くらいかな」
「それでいい」
「じゃ、ちょっと待っててね」
 言いながら湯を沸かそうとする。風がこちらに来た。すっと長い手が伸びて、簡単な印を組む。そっとやかんに手を触れた。
「すごいね」
 思わず言った。やかんの水は湯になっていたから。
「手品みたいだ」
「まさか。火遁を水遁を組み合わせただけだよ」
「本当に、忍者なんだねぇ」
 しみじみと言った。つややかな黒目が見つめかえす。視線を反らした。俯き、やかんを見ている。
「ぼくには簡単にできるけど、他の人には難しいんだって」
「そう」
「写輪眼だって、『うちは』だから扱えるって言う人もいる」
「それは違うと思うけど。うちは一族でなくても、写輪眼を使いこなした人はいたようだよ。・・・・・・風は『うちは』が嫌いなの?」
 不安に思い、訊いてみる。雷は『うちは』を拒んでいた。だから数年前、あの出来事を引き起こしてしまったのだ。
 安定した精神でのみ、写輪眼のコントロールは成り立つ。それは今までのデータが物語っていた。
「ううん。ぼくは好きだよ。『うちは』も『写輪眼』も」
「じゃ、何故悩んでるの?」
「悩んでるのかな。いや、違うと思う。たぶん照れ臭いんだ」
「風?」
 意味が分からず、名を呼んだ。
「あのね、ナギ。子供が産まれたんだ」
「誰の?」
「僕のだよ。森の国の女性が母親なんだ」
「・・・・そう」
 言葉が見つからなかった。その件については、あと二年は大丈夫だと踏んでいたから。
「どこから見ても普通の赤ちゃんなんだ。顔も、ぼくより彼女に似てる。写輪眼だって出てない。でも、紛れもなく、ぼくの血を引く『うちは』なんだよ」
「そうだね。・・・・嬉しい?」
「うん。今まで二人だけだったから。それに雷は、ぼくとは違う方向に行ってしまったし」
「そうか」
「『うちは』は化け物じゃない。確かに、人より類いまれな能力は持っているかもしれないけど。上忍になって『うちは一族』に同族殺しがあったことも知った。でも、それまでは普通に生きてきんだ。生き残りの一人だって、立派に里の為に殉職した。『うちは』だって、他の一族と同じだ。同じ人間なんだ。ぼくはそれを証明したい。だから、この血を残していくんだ」
 静かに。でも力強く風は言う。彼は雷とは違う。穏やかな物腰の中に、しっかりと燃え続ける炎を隠し持っている。弟のように勢いを増し、燃え広がって行きはしないけど、消えることのない炎を。



 受け継がれていく。
 たとえどんな障害があろうと、それは静かに息づいてゆく。
 人の営みの中で、ひっそりと。



「おめでとう。よかったね」
 心から言った。風の顔に笑みが宿る。心に染み入るような、優しい笑みが。
 充たされている者の微笑みだと思った。
 彼は一人で歩いて、探し出した。自らを全て受け入れてくれる者を。
 そこにはどれだけの恐れと不安があっただろう。それでも風は進んだのだ。己を信じて。
 幼い頃の顔が重なる。あの、おっとりした子供が。
「風」
「なに」
「よく、頑張ったね」
 自然と手が出た。頭を撫でる。子供じゃないと嫌がられるかもしれないと思ったが、彼はおとなしく目を閉じていた。
「ナギ」
「何だい」
「ぼくは一人じゃない。今、素直にそう思える。雷にも分かればいいんだけど」
 困ったように笑う。心配は尽きないだろう。たった一人の弟だから。
「そうだね」
 そうとしか言えなかった。
 



 
「写輪眼がでたら、連れてきてくれよ」
「うん。また来るよ」
 飛び上がった背中を見送る。みるみる間に小さくなった。完全に見えなくなった所で一つ、溜め息をつく。
 彼は大丈夫だ。自らの土台を築き上げた風は。あとは、彼ら。
 彼らが絆で結ばれたものならば、二人で一つの存在になる。それが、残されたあの人とシギ主任の夢。僕の夢でもある。
 まだ時期は来ていない。雷は自らに対峙している最中だし、鈴はあの場所で生きてゆかねばならない。
 暗部の長という人の話では、鈴は今、かなり辛い状況にあるらしい。栄養状態を落とさぬ為、高カロリーの簡易食の依頼を受けた。それも、明日には完成するだろう。取りに来てもらえるよう、暗部に連絡を取らねば。
 見守ること。
 それだけしか僕にはできない。夢が自分で成長してゆくのを、見ることしか。
 それでも僕は信じている。あの人たちの血を受け継ぐ彼らならば、きっと巡り合えると。巡り合って、きっとあの日のようにここに来てくれると。
「さて、最終調整に入らないとね」
 気を引き締めて顔をあげる。大きく息を吸い込んで。


 桜の舞い散る中、僕は研究室へと向かった。





end




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