水無月の乱  byつう







 遊びなら、お断わりします。
 あの子はそう言った。森の国の女衛士とのあいだに二人も子供がいると聞いたから、さぞ遊びなれていると思ったのに。
 こんなこと、だれにも言えやしない。あんな子供に本気になったなんて。





 水無月アヤメは不機嫌だった。
 花の国との国境ちかく。非合法に取り引きされている武器を奪取するべく、張り込みをしてすでに十日。密輸を請け負う組織の者たちも警戒しているらしく、なかなか現場を押さえられない。仲間のくノ一が何人か、市の開かれている町に潜入して情報を集めていたが、芳しい成果を上げられずにいた。
 そんなある夜、アヤメは六代目の名代として幕屋にやってきた若い上忍を閨に誘った。
 黒い髪、黒い目。「うちは」の血を引く優秀な忍。双子の弟とは対照的に、穏やかな微笑みを浮かべて、少年は六代目の口上を伝えた。そののち。
「復命は、急がないんでしょ」
 人払いをしてから、アヤメは少年の首を抱いて囁いた。
「ねえ……」
「水無月上忍」
 ひっそりとした声。
「アヤメでいいわよ」
「じゃあ、アヤメさん」
「……なに?」
「遊びなら、お断りします」
 きっぱりと、少年は言った。
 全身を覆う冷たい「気」。アヤメは固まった。
 なんだ。このぴりぴりとした殺気は。
 そっと、身を引く。そこにあったのは、血のような真紅の瞳。
「……」
 声が出なかった。これが、写輪眼。この眼を見た者は、生きては帰れないという……。
「こわい?」
 天使のような少年が、このうえなくやさしく微笑む。
 こわい? ええ、こわいわよ。なんたって、写輪眼だもの。
 「生ける英雄」と呼ばれたはたけ上忍と、「攻守の要」と称されたうちは上忍のことは、木の葉の里では伝説となっている。
 少年は目を閉じた。しばらくして、ゆっくりとまぶたを上げる。
 目の色は元に戻っていた。
「では、これで失礼します。六代さまに言伝があれば、承りますが」
 まったく何事もなかったかのような口調。アヤメは唇を噛んだ。
「……ないわ」
「了解」
 一礼して、踵を返す。その背に、アヤメは言葉を投げた。
「待って」
「はい?」
「本気なら、いいの」
「は?」
「本気だったら、私と寝てくれる?」
 どうしてそんなことを言ったのか、自分でもわからない。ただ、もっと知りたかった。この子がなにを考えているのか。なにを求めているのか。
「もちろん」
 少年は頷いた。
「あなたに、覚悟があるのなら」
「覚悟?」
「ぼくと契ったら、写輪眼を持つ子供が生まれるかもしれないんだよ」
 そうだった。「遊び」でなければ、当然、その可能性はある。
 全身が震えた。「うちは」一族のことは聞いている。吉凶併せ持つその血を、この世に生み出す覚悟。
 即答できなかった。少年は薄く笑った。ゆっくりと、幕屋を出ていく。
 アヤメは、ひとり残された。無力感が胸をえぐる。
 あの子は「うちは」を愛しているのだ。自分の血を、心から。
 私はなにかを、そんなにまで愛したことがあるだろうか。これからなにかを、愛することはできるだろうか。
 否。
 たぶん自分は、おのれのすべてを賭けてまで愛する対象に出会うことはないだろう。くノ一として生きる限りは。
 自分にとって、愛はつかのまの休息場所だ。疲れ、傷ついたときの止まり木でしかない。しかし。
 できるかもしれない。あの子が相手なら。
 あの子の愛するものを、残す手伝いぐらいは。



 ほんとに、こんなこと、だれにも言えやしない。この私が、あんな子供に本気になったなんて。



 里に戻ったら、もう一度誘ってみよう。
 遊びじゃない。本気だよ。だから……。

 そのときは、ちゃんとあの子の名を呼ぼう。「風」と。




(了)




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