■森の国の人々を見守る作品 NO3■
手枕 byつう
誘うのは、たいてい加煎だった。
自分たちのあいだに愛だの恋だのという面倒な感情はない。ただ、なにかの必要にかられて互いを求める。そんな関係が、もうずいぶん続いていた。
「あとで、時間をください」
いつもの言葉。
「おう」
短い答え。それだけで成立する約束。
房の戸を叩く。鍵を外す音がする。そして。
醍醐は迎え入れられた。
「すみません。すぐに終わりますから」
加煎は卓の上に書類を広げていた。
「内宮から、なんか言ってきたのか」
雲の国の内宮は、加煎の情報箱のひとつだ。どういう経緯があるのかは知らないが、内宮の祭司たちは「朱雀」の組織に利となる働きをしてくれていて、雲の国の内政に関してはほぼ筒抜けの状態だった。
「丞相が、危篤だそうです」
「……やられたか」
醍醐は舌打ちした。
雲の国において、ハト派の丞相とタカ派の兵部尚書との対立は有名である。先に締結した木の葉の国との和平協定を、兵部がよく思っていなかったのは明らかだ。
「私もそう思ったんですけどね」
間者からの密書を手に、加煎は言った。
「どうやら兵部が手を下す前に、病に倒れたようで」
丞相は家柄と人柄だけが取り柄のような男だった。だからこそ、丞相の地位にまで上りつめたとも言える。
ある程度、安定した国家にあっては、英傑は必要ない。他者とうまく折り合っていける凡才で十分なのだ。
「そりゃ、兵部は丸儲けだな」
「そのようですねえ」
扇を揺らしつつ、加煎はため息をついた。
見慣れているはずのその仕種が、艶めいて見える。眉を曇らせた表情が、自分の知っている顔に似ているからかもしれない。
「今後の兵部の出方次第では、われわれも策を講じねばなりますまい」
ぱちりと扇を閉じて、加煎は筆を手にした。
「じいさんに知らせるのか」
じいさん。すなわち、木の葉の里の三代目火影。
「ええ。恩を売っておくのもよいかと思いまして」
「セキヤはどう言ってるんだ?」
「取り込み中でしたので、まだ……。明日にでも報告しますよ。一刻を争うことでもありませんし」
「はん。取り込み中、ね」
それの意味するところを察して、醍醐は頭をかいた。
そういえば、夕食のあと早々に引き上げていったっけ。今日は刃も非番だ。いまごろゆっくりと、ふたりの時間を楽しんでいるのだろう。
さあて、こっちはいつになったら「取り込み中」になれるのやら。
真剣な表情で筆を走らせている加煎の横顔を見ながら、醍醐は手酌で酒を飲んだ。
きしり、と牀台が音をたてる。
醍醐は鉛のように重いまぶたをかろうじて開けた。
「飲みすぎですよ」
加煎の白い顔が、間近にあった。
「すまん。寝てたか」
「酒はね、ひとりで飲むと早く回るんですよ」
唇が寄せられる。ひんやりとした口付け。項に手を回そうとしたところを、ふっと引かれた。
「加煎?」
「いま、何刻かわかっていますか」
「……明け方近くだな」
格子の隙間が、わずかに白んでいる。
「時間がありません」
「わかったよ。引き上げる」
眠ってしまったのは、自分が悪い。醍醐は起き上がった。
「だれが帰れと言いました」
くすくすと笑いながら、加煎は醍醐の肩を押し返した。牀の上で、ふたたび影が重なる。
「時間がないので……あなたのことまで考えていられないかもしれません」
加煎の手が、するりとその場所に下りた。
「それでも、いいですか」
「おまえこそ、それでいいのか」
裾をまくり上げて、体に訊く。
「私は……」
そのあとの言葉は、ひっそりと醍醐の耳に落とされた。
掠れた声。熱い息。醍醐は、加煎にその後を任せた。
たしかに、ほかのことを考えている余裕はなさそうだ。
自分の上で乱れている白い体を見ながら、醍醐はその時を待っていた。まだだ。まだ、こいつは満たされていない。
腰に手を添える。脚を押し上げる。どこをどうしたいのか、なにを感じたいのか、それを探って。
深い場所に行き当たったとき、互いの熱が一気に上昇した。肩を掴んでいた手に力が込められ、数瞬の後、加煎は醍醐の上に崩れた。
明けを告げる鳥の声が聞こえる。
荒かった息がようやく収まり、汗が少しずつひいていく。醍醐の腕に頭を預けて、加煎はうつらうつらとしはじめていた。
朝食の時間まで、まだ間がある。今日はふたりとも当番ではない。少しぐらい遅れても大丈夫だろう。
そこまで考えて、醍醐は苦笑した。
いや。それはまずいか。セキヤの手前、加煎はいついかなるときも、刻限に遅れることをよしとしていなかったから。
呼吸に合わせて、栗色の細い髪が揺れる。
羽毛に似たその手触りは、たったひとつ捨てずに済んだ過去の名残りのように思えた。
(了)
戻る