■森の国の人々を見守る作品 NO7■
内務尚書の日常 byつう
森の国が独立を宣言して十日。内務尚書に就任した加煎は、執務室で山のような書類と向き合っていた。
一重の目が血走っている。顔色も悪い。彼はもう二晩、眠っていなかった。それというのも、正式に官位を発令する段になって、兵部尚書の位に就いた醍醐が役職名の変更を主張したからだ。
「兵部なんて、死んでも呼ばれたくねえ」
雲の国の兵部尚書とは、いわく言い難い因縁がある。さんざん煮え湯を飲まされた経験から、自分が同じ名で呼ばれることに我慢ができないのであろう。公の場では、おのおの役職名で呼ぶのが慣例であったから。
「官位については雲の国の制度を踏襲すると、以前から言っていたでしょう。いまさら、子供みたいな真似はやめてください」
当初、加煎は醍醐の意見を頭から無視するつもりだった。が、途中からセキヤまで「オレも兵部なんて呼ぶの、やだよー」と言い出し、結局、「軍務尚書」という官名に変更することに決まった。
すでに大半の書類は「兵部」の名で書き上がっていたが、国主たるセキヤの命とあれば否やもない。かくして、加煎は吏部や礼部の文官たちを集めて、文書の書き直しをすることになった。
ちなみに、吏部とは官吏の任免を司る部署で、礼部は儀礼や外交に関わる部署だ。
「加煎、こっち、終わったぞー」
古参の仲間が地方に発布するぶんの書類を抱えて、言った。別の一人が、
「なあ、加煎、これはセキヤの確認がいるだろ」
仮にも一国の大臣や国主を、呼び捨てである。いまだに村にいたころの癖が抜けていないのだ。むろん皆、公式の場ではそれなりの作法を心得ている。伊達に長年、セキヤとともにいたわけではない。
「そうですねえ。もうすぐ刃が戻ってきますから、政所まで遣いをしてもらいましょう」
「あ、これも玉璽がいる」
礼部所属の文官がチェックを入れる。
「政所に送る書類は、一カ所に集めておいてください」
まさに、上を下への大騒ぎである。
しばらくして、文筥を手に刃が執務室に入ってきた。
「内務どの、ただいま戻り……」
「遅い!」
加煎の怒号が飛んだ。
「たかが近衛府に行くのに、何刻かかっている。途中で昼寝でもしていたか!」
近衛府は王城を警護する部署で、正殿の東側にある。往復に半時とかからない距離だ。
「衛士府まで行ってたんだよ」
しれっとして、刃は言った。
「どうせ、両方に話を通さなきゃいけないんだろ」
衛士府は城下を守護するのが主な役目で、その官舎は王城の堀の外にあった。
「それはそうだが……」
加煎はしばし言い淀んだが、やがてふたたび、きつい視線を刃に向けた。
「で、首尾は」
「委細承知、だってさ。さっそく木の葉までの警護の人員選びにかかるって」
刃は文筥を差し出した。
「はい、返書」
見事な塗りの文筥である。加煎はそれを受け取り、中を確認した。近衛府の大夫(長官)からの文。すでに随員について、何名か名があがっていた。
「さすがに、仕事が早い」
くすりと加煎は笑った。
「よろしい。木の葉の件は近衛に任せましょう。あとは、このいまいましい作業だけですね」
「なんか、手伝おうか」
「もちろんです。そっちの書類を政所に持っていって、セキヤの印をもらってきてください」
「わかった」
「必ず、中身を全部、確認させるように」
セキヤのことだ。ろくに見もしないで、判だけ押して返すかもしれない。
「努力するよ」
「……半時以内に戻ってきたら、もう一度、遣いをしてもらいますからね」
「で、晩飯は粥?」
「当然です」
「承りました、内務どの」
刃は憮然とした表情でそう言って、部屋を出ていった。
不本意だが、脅しも必要だ。加煎は息をついた。
文書の確認ぐらい、きっちりやってもらわねば。醍醐のわがままとセキヤの気紛れのせいで、こちらは不眠不休で働いているのだから。
これであの俸給では、どう考えても割りに合わない。せめて特別手当が受けられるよう、制度を整えよう。
やたらと現実的なことを考えながら、内務尚書は新しい筆を手に取った。
(了)
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