薬師
  byつう








 午餐会は滞りなく終わり、木の葉の国からの使者は王城をあとにした。
 その日の夜。
 醍醐はしばらくぶりに加煎の屋敷を訪ねた。
「なにかお約束をしていましたか」
 門衛に案内されて中に入ってきた醍醐に、加煎は言った。
 機嫌が悪いのかな。いや、少し滅入っているような。
 長年の付き合いである。それぐらいのことは、すぐにわかった。
「してねえが……邪魔か? だったら、引き上げるが」
「……どうぞ」
 門衛を返し、醍醐を私室へ招く。房の中には、酒の用意がしてあった。
「めずらしいな。おまえがひとりで晩酌とは」
「ふたりですよ」
「へえ。んじゃ、ご相伴に与るかな」
 どうやら、待っていたらしい。昼間のことで、自分が訪ねてくると踏んでいたのだろう。
 杯を取る。優雅な手つきで、加煎がそれに酒を注いだ。
「これは……」
 甘い香り。たしか南方の酒だ。
「なにも入れてませんよ」
 苦笑しつつ、加煎が言った。
 だいぶ前のことだが、醍醐はこの酒に媚薬を混ぜられたことがある。いわゆる意趣返しだったのだが、あのときは翌日まで後遺症に悩まされた。
「さすがにもう、ひと晩中あなたに付き合う元気はありませんからね」
 さらりと流す。それはそうか。醍醐は納得して、口をつけた。
 しばらくのあいだ、ふたりとも無言だった。何度か杯を交わしたあと。
「実際んとこ、どういうわけだ」
 醍醐がぼそりと訊いた。
「どう、とは?」
「『狐』さんのことだよ。やけに気に入ったみたいだが」
「妬いてるんですか」
「まさか。相手は孫みたいなもんだぞ」
「そうですね」
 くすりと、加煎は笑った。
「少し、思い出してしまって」
 灰緑の目が、空(くう)を泳ぐ。
「思い出した?」
「ええ。昔の自分を」
「昔……ねえ」
 醍醐の瞳も、遠い日に向けられた。




この頃のセキヤ、15、6才ですな。
 加煎がセキヤに出会ったころ。
 すでに醍醐や東依は、いわゆる「朱雀」の組織を作って山里に仲間とともに住んでいた。
「今度、毒薬使いをひとり、スカウトしてくるよん」
 夏至の近づいたある日、セキヤが言った。そして数日後。セキヤは自分たちの隠れ里に、加煎をつれてきたのだ。
 なんだよ、こいつ。
 それが、醍醐の第一印象だった。そのときの加煎は、まるでずっと地下牢にいたかのように青白い顔をしていた。実際、実験動物のように、半ば幽閉状態で暮らしていたらしいが。
「こいつはオレのもんだからねー。まっとうに働けるようになるまで、面倒みてやってよ」
 精神面はともかく、体力的にかなり弱っている。醍醐は東依と交代で、基礎的な鍛練を行なうことにした。
「ここじゃ、使えないやつは要らない。三月のうちにモノにならなきゃ、いくらセキヤの肝入りでも出てってもらうからな」
 そのときは陰間茶屋にでも売り飛ばしてやろう。少しとうが立っているが、そこそこの値で売れるだろう。使い物にならなければ、セキヤも否とは言うまい。
 そんなことをつらつらと考えていると、
「そういうことは、ものにならなかったときに言ってください」
 表情ひとつ変えず、加煎は言った。
 へえ。こりゃ見所あるかも。それまでの見方を修正する。
「わかった。その言葉、忘れるなよ」
 醍醐はあごをしゃくって、加煎を房へと案内した。




 その幾日かのち。
 朝餉の席に、あきらかになんらかの暴行を受けたらしい加煎が現れた。無表情なままで食事を摂り、引き上げていく。セキヤがそのあとを追っていったが、すぐに引き返してきた。
「醍醐ー」
 なにやら楽しそうに、手招きしている。
「なんだよ」
「加煎に手を出したやつさあ、殺しちゃっていいよ」
「……だれだよ、それ」
「わかんないけど」
「あのなあ……」
「だって、教えてくれないんだもん」
「聞き出そうか?」
 方法はいくらでもあるが。
「ダーメ。あいつは口を割らないよ。……自分でやる気だからね」
 焦土色の瞳が冷たく光った。
「だったら……」
「予想以上に使えそうだからさー。個人的な恨みつらみで人殺しにさせたくないのよ」
「それって、余計にひどいじゃねえか」
「仕事に私情は禁物」
 にんまりと、セキヤは笑った。
「おまえもそう言ってたじゃん」
「そりゃそうだが」
「だから、頼むねー」
 集会所を見回して、言う。この中か、あるいは村の周囲で見張りをしているやつらの中。
「どうせまた、あいつんとこに夜這いに来るに決まってるんだから。現場を押さえりゃいいでしょ」
「派手にやっていいのか?」
「いいよん。今後のためにも、ね」
「今後?」
「決まりを守らないとどうなるか。ほかのやつらにも、しっかり覚えておいてもらわないとねー」
 自分の仕事はきっちりやること。他人のものには手を出さないこと。
 それがこの村の掟だ。
「なるほどな」
 醍醐は納得した。そして。
 数日後、仲間のひとりの首が、集会所に晒された。




「あのあと毎晩、夜着の袖に針を仕込んで休んでいたんですよ」
 加煎は手首をながめつつ、言った。
「それなのに、あなたに獲物を横取りされてしまって」
「そりゃ悪かったな」
 醍醐は杯を置いた。
「セキヤに頼まれたもんで」
「そういうことは、先に言ってほしかったですね。危うくあなたを殺すところだったんですから」
 あっさりと恐ろしいことを言われ、醍醐は目を丸くした。
「殺すって、おまえ……」
「私も疑心暗鬼になっていましたからね。今度はあなたかと思って」
 背中に冷や汗が流れる。
「勘違いで殺されちゃ、浮かばれねえな」
「よかったですよ」
 うっすらと、加煎は微笑んだ。
「あなたを殺さずにすんで」
 加煎の細い手が、醍醐の腕に添えられる。
 もしかしたら。
 そういう縁だったのかもしれないな。
 醍醐はふたたび、杯を手にした。



 のちに。
 森の国の前内務尚書は、木の葉の国の「狐」に門外不出の薬の調合を教えた。それはさらに、「狐」から隻腕の薬師に伝えられることになる。

 人のえにしは、途切れることはない。


(了)




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