王城茶話
  byつう









 森の国の内務尚書の民武(みんぶ)は、兄である軍務尚書の慶臣(けいしん)に木の葉の国へ送る親書の作成を依頼された。
「龍髯(りゅうぜん)の砦に関して、木の葉と共同で事に当たることになりそうだ」
 龍髯の砦とは高坂の城に対抗する形で雲の国が築いた砦で、もっぱら術の研究と開発に力を入れているらしい。雲の国も昔年の勢いはないが、腐っても鯛。油断はできない。
「これが、親父どのが考えた条件だ。内務どのに……いや、後見どのに意見を伺ってくれ」
 慎重に呼称を訂正する。民武は苦笑した。
「内務どのでいいじゃねえか。加煎もその方が慣れてるだろ」
 公の場でなければ、身分の差などないに等しい森の国である。民武は前の内務尚書にして現在は内務省後見の役職にある上司を、呼び捨てにした。
「そういうわけにもいかん。われらが範を示さねば、下の者たちに悪しき影響が出る」
 まじめな顔で、慶臣。
「そんなもん、とっくの昔に出てるだろ。なんたって、セキヤからしてあれだったからな」
 民武は、数年前に崩御した初代国主を引き合いに出した。当然ながら、国主も呼び捨てだ。
「そのくせ、儀礼のときは別人みたいにきっちりやるんだから。親父や加煎はもちろんだけど、みんなぜーったい二重人格の気があるよな」
「……おまえもな」
「お誉めにあずかって、どーも」
 民武はにんまりと笑った。
「で、これ、いつまでに作ればいいんだ? 加煎の機嫌のいいときでないと、また事務方が泣くぞ」
 要職は退いたとはいえ、加煎はいまだに内務省の主である。内務や礼部の文官たちは「後見どの」に頭が上がらない。
「今週中に」
「……そりゃムリだって」
「大丈夫だ。明日、木の葉から定期便が来るからな」
 慶臣は口元をゆるめた。民武は碧眼を見開き、
「なるほどねえ。親父もそれを狙ってるな」
「あした泣くのは、衛士府と近衛府の新兵たちだ。事務方は有給休暇のようなものだな」
「よーし。それじゃ、今日中にたまってる仕事を片付けるように言っておこう。やつら、徹夜してでもやるぞ」
 内務省の文官にとっては、木の葉からの使者は自分たちに安息を与えてくれる神のような存在だ。もっとも、衛士や忍たちにとっては、まったく逆だったが。
 森の国を与る二人の大臣は、それぞれの思惑を胸に執務室へと向かった。





 その日、内務省の貴賓室の卓上には、特別に取り寄せた菓子や果物や茶などが所狭しと並べられていた。
「あとで食事をしていってもらうんじゃないの」
 なかばあきれたように、刃が言った。
「どうせ、あの者は遅くなるに決まっています」
 側卓で薬草を調合しながら、加煎は答えた。
「醍醐が新兵に演習をさせると言ってましたからね。あの者も、暗くなるまでは外にいるでしょう。夕餉は、そのあとです」
「だからって、この量はどうかと思うよ。いくら鈴が甘いものが好きだと言っても……」
「木の葉では、まっとうなものを食べていないようですからね」
「それは忍として、ふだんから粗食に慣れておくためだろ」
 刃は苦笑した。まさか、加煎がこんなふうに接する相手が現れようとは。
 たしか以前、風のときも似たような対応をしていた。文遣いに来た風に食事をふるまったり、寝殿に部屋を用意したり。風は物腰が穏やかで礼儀正しく、思慮深い性格だったから、加煎が好ましく思ったのも十分わかる。が、それにもまして、鈴への執心は深かった。
 最初に鈴が王城に来たのは、半年ばかり前。
 三人目の子供を懐妊した青藍が、写輪眼の発動を懸念して出産前に木の葉の里へ移住したあと、風は里を離れることができなくなった。その風の代わりに、森の国との繋ぎ役となったのが、雷と鈴である。
「雷もこれから、ますます雲の国方面の任務が増えると思うから、森の国の人たちと誼みを通じておくといいよ」
 風はにっこりと笑って、そう言ったらしい。
 双子とはいえ、兄とはまったく正反対の印象を与える雷は、最初のうち王城の者たちに警戒されていた。いわゆる「雷神」と「狐」の噂は、森の国にも轟いていたから。
「ほんとに、セキヤの言ってた通りになったよなあ」
 醍醐があるとき、しみじみと言った。
「風神の守る砦は決して落ちず、雷神の攻める砦は必ず落ちる、ってさ」
「落とさなくてもいいものまで、落としてますがね」
 辛辣に、加煎。
 たしかにそうだ。雷は搦め手から攻めるのが苦手なのか、大抵の場合、短期決戦でターゲットを全滅させている。あとくされがなくていいのだが、外交上の問題が起きることもしばしばで、風はそのたびに事後処理に追われていた。
 風が里に留まるようになってから、雷が外交的な任務をまかされる回数が増えた。「雷神」の噂を聞いている者たちが一歩も二歩も……いや、十歩ほど引いたとて無理からぬ話だ。
 この半年、雷はほぼ月に一度、六代目火影の使者として王城を訪れている。単なる親善訪問のときもあれば、今回のようになにかしらの共同作戦の場合もあった。もっとも、実際の交渉は事前に事務方で行なっているから、雷はその確認と、親書の交換のために来ることがほとんどだったが。
「こんにちは」
 貴賓室の戸口から、声。加煎はにこやかに振り向いた。
「ようこそ、鈴」
 まるで孫が訪ねてきたような表情をしている。鈴も遠方に住む身内に会いに来たような様子で、とことこと中に入ってきた。
「わあ。今日もすごいご馳走ですねー。あ、これ、見たことない」
 卓上の菓子を覗き込んで、言う。加煎はうんうんと頷きつつ、
「これは花饅頭といって、清明節の時期にしか作らないんですよ。ちょっと時期がずれましたが、出入りの菓子屋に命じて作らせました」
 そこまでやったか。刃は心の中で独白した。まあ、多少季節がずれたとはいえ、それを理由に加煎の注文を断るほど気概のある……というか、命知らずな菓子屋はいないだろうが。
「木の葉でも清明節のお祭はあったけど……」
 鈴が語尾をにごらせた。
「出店を見に行くこともできなかったのですか」
 扇を広げて、ほう、と息をつく。
「暗部の面をつけてお祭りに行くわけにもいかないから」
 鈴は里の中で素顔をさらすことは許されていなかった。そのうえ、つねに雷とともに行動しなくてはいけない。「雷神」と「狐」が祭見物に行けるはずもなく、彼らに庶民の暮らしを楽しむ余裕がないのは、致し方ないことだった。
「不自由なことですね」
「仕方ないよ。この顔じゃあね」
 肩をすくめて、言う。
「そのように聞き分けのいいことばかり言っているから、つけこまれるのですよ」
 不本意そうに、加煎は語を繋いだ。
「ところで、あれは?」
 あの者、が、いつのまにか『あれ』になっていた。呼称の変化は、意識の変化に準ずる。
 本当に、そうだよね。セキヤ。
 刃は苦笑した。加煎ほどウラを読むのが難しい人物はいないと思っていたが、微妙なアクセントや呼称の違いによって、嘘のようにその心の内がわかる。
 セキヤの遺した朱家の奥義を、五代目が雷に託したと知ったとき。
 加煎は久々に、醍醐すらも腰を引くほど荒れたらしい。
「俺は、まあ、あいつと心中してもいいけどよ。んなことしたら、あとが大変だぜー」
 刃の苦労を慮ってか、醍醐はそう言った。
「セキヤが選んで、五代目が見極めたんなら、仕方ないと思うんだけどな」
 それはそうだろう。セキヤがどれほどの思いで、あの一年あまりを過ごしたか。そして五代目もまた、あとに残る者たちにどんなにか心を砕いたことか。
 最後まで見届ける。それが自分の仕事。だからこそ、刃は見続けてきたのだ。森の国と木の葉の国のすべてを。
「雷なら、義単(ぎたん)と一緒に演習場に行きました」
 微妙な呼称の違いを察知したのか、鈴は苦笑まじりに言った。
 義単は醍醐の養子のひとりで、近衛府の連隊長だ。衛士府を束ねている真赭(まそお)とともに、都の守護の両翼と称されている。
 セキヤが没したのち、醍醐の養子たちはそれぞれに頭角を表わし、いまでは各部の要職にある。いわゆる「朱雀」の組織を立上げたときもそうだったのだろうが、国を興すと決めてから、セキヤは人材の育成に力を入れてきた。醍醐が多くの孤児を養子に迎えたのは決してそのためだけではなかっただろうが、結果としてセキヤが描いた未来図の中に、ぴったりと組み込まれている。
 さすがだと思う。セキヤは厳しかった。敵に対しては言うまでもなく、仲間に対しても。
 自分の仕事はきっちりやること。他人のものには手を出さないこと。
 決まりはふたつだけ。だが、そのたったふたつを守るのがどれほど難しいことか。
 森の国が独立したあとも、その「決まり」は不文律として生きていた。それに反するものはことごとく切り捨てられ、淘汰されて。
「まさか、あいつが『親』になるなんてねー」
 醍醐が各地で拾ってきた子供たちを、余所へ売るのではなく自分の手元で育てたいと言ったとき。
 セキヤは困ったような、でもうれしそうな顔をした。もしかしたら、そのころから「国」という基盤を作ることを考えていたのかもしれない。だからあのとき、「朱雀」の名を公にしたのかも……。
「これ、餡は月餅に似てますね」
 鈴の声で、刃は回想から現実に引き戻された。
「ええ。店によっていろいろあるんですが、私はここの花饅頭がいちばん美味だと思いますね」
 加煎と鈴が、卓をはさんで菓子談義をしている。
 視線ひとつで国を動かしている前内務尚書のこの姿を、周辺諸国の執政者たちが見たらなんと思うだろう。これはこれで、森の国の最高機密である。
「この茶葉は、霧の国のものですか?」
 さらに茶談義に進む。
「よくおわかりですねえ」
「前に、霧の国の茶商人に……」
 はっとした顔で、口をつぐむ。
 鈴は暗部の出身だ。過去のことを思い出したのだろう。この容姿からして、どんな類の任務に就いていたか、刃にも想像はつく。加煎も心得たもので、それには気づかぬふりをして言葉を繋いだ。
「早稲の品種で、なかなかに飲みやすいでしょう。これにはこちらの菓子が合いますよ」
 薄く焼いた麸菓子を勧める。鈴はそれを口に運んだ。
 これが、ここ半年ばかりの恒例になっている。雷が醍醐や義単とともに衛士府や近衛府の視察(という名目の「荒らし」)をしているあいだ、鈴は内務省の一室で加煎と茶を喫する。木の葉の国と森の国の親善をはかるには、このうえなく有意義なことだった。
「中書どの」
 加煎が刃を、役職名で呼んだ。
「内務に、返書は急がぬと伝えてください」
「承知」
 要するに、出ていけということだ。刃は微笑んだ。
「じゃあ、鈴。またあとでね」
 夕餉には、皆、揃うだろう。いま都にいる醍醐の養子たちはもちろん、その子供たちも。
「はい」
 鈴は麸菓子を手に、にっこりと笑った。




 いまごろ雷は、義単とともに新兵たちをしごいているはず。そして醍醐は、かつてのセキヤのようにそれを眺めながら茶々を入れているに違いない。
 時が流れても。場所が変わっても。
 人の心は変わらない。いつまでも。いつまでも。



 新緑が陽光をはじいている。新たな季節に向かって。
 刃は内務の執務室に続く渡殿に立って、しばしその煌めきに目を細めた。



(了)



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