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五家七公 byつう
かつて森の国には、忍の一族である朱家と薬師の一族である蒼家があった。さらには武門の誉れ高い黒家、商才に長けた水家、芸能に秀でた黄家。
これらは「五家」と呼ばれて各々国の中枢を担っていたが、雲の国の属国となってからはいずれも都を離れ、隠遁した。それから、幾春秋。
ふたたび独立を果たした初代国主は、まつりごとを与る大臣クラスの重臣たちを故事になぞらえて「五家七公」と呼んだ。
ちなみに「七公」とは、かつて「五家」の配下にあった上級官吏のことである。
刃がその薬の処方を加煎に教わったのは、西方の砦を巡る攻防の直後だった。
「配合の割合だけでなく、煎じる時間や火加減のわずかな違いで、これは良薬にも猛毒にもなります。さらに言えば、季節や天候によっても、それらを少しずつ調整しなければなりません」
真摯な表情で、加煎は言った。
「今日の気温と湿度と原料の状態からみて、いつもより火加減を強めにして、煎じる時間は若干、短めにすればいいでしょう」
「きのうは、時間は同じぐらいって言ってたくせに」
きのうも今日も、似たような天候だ。
「湿度が違いますから」
即座に、返す。刃も天候の変化には敏感な方だが、そこまではわからなかった。加煎が言うには、目と唇と髪の毛で湿度の違いを計るらしい。
十年ちかく、いろいろな経験を積んできたし、知識も得てきたつもりだが、まだまだ自分はヒヨっ子だ。
「まあ、きのうと同じように作れば、遅効性の猛毒になりますがね」
加煎はうっすらと微笑んだ。
「極秘の暗殺には最適ですよ。検屍でばれる心配も皆無ですし。……というより、自然死以外のなにものにも見えませんから、検屍が行なわれることもまずないですね」
恐ろしい薬……いや、毒だ。
加煎はそれを使って、過去、どれほどの仕事をしてきたのだろう。穏やかな顔の裏で。
「さあ、やってみてください。今日は、毒を作るんじゃありませんよ。薬の方です」
「ほんとに、これ、どんな毒でも解毒するの」
「しますよ。おそらく、未知のものであっても」
体内に入った毒自体の構成を変え、まったく無害なものにしてしまうという薬。そんな夢のようなものが、実際にあるとは思えないが。
もっとも、それを作るためには気が遠くなるほど細かい調整をしなければならず、ちょっとしたミスで猛毒と化してしまうというのだから、諸刃の剣どころではない。
「くやしいですが、私よりあなたの方が長生きするでしょうからね」
そのときは、自分のぶんまでセキヤを。
加煎の真意は、そこにあるのだろう。口がさけても言うまいが。
「もう少し、火を大きくして」
細かいチェックが入る。刃は真剣な面持ちで、鉄瓶を見つめ続けた。
あれから二十年以上が過ぎた。
蒼家の直系のみに伝わるという秘薬の処方を、なにゆえ加煎が知っていたのか。いまならなんとなく、想像がつく。おそらく、加煎の師は蒼家の末裔だったのだろう。
その薬は、実際、いわゆる「朱雀」の仲間たちを救ってきた。森の国が独立したのちも、それによって一命をとりとめた者は多い。
が、加煎はその薬の調合を、ほかの者には教えなかった。たとえば、醍醐の養女である香李(こうり)は加煎から礼法全般や書や絵画などを教わり、薬草についてもひと通りの知識を持っているが、件の処方についてはまったく知らない。
たしかに、危険な薬ではある。だれにでも扱えるものではないということは、刃にもわかっていた。
もしかしたら、自分の代で途絶えてしまうのだろうか。
セキヤを失ったあと、かつて暮らした山里の庵で、刃はぼんやりと考えた。遺したいとは思う。が、刃の周りには、その処方を忠実に受け継ぐことのできる者はいなかった。
もっと、人を育てていればよかった。セキヤのように、自分も傷つきながら仲間と向かい合い、高め合って。
自分には、セキヤしかいなかった。セキヤしか見ていなかったから、いまごろこんなことで悩む羽目になったのだ。まったく、情けない。
もっとも、加煎はそれを責めるでもなく惜しむでもなく、淡々と日々を送っていた。刃に伝えた段階で、自分の責任はまっとうしたと思っているのかもしれない。
後継者を探すことを半ばあきらめかけていたとき。
彼が、現れた。木の葉の国の「狐」。
結界術者であり、毒薬使いでもある暗部出身の忍。「雷神」の半身である彼ならば、あの処方を会得することができるだろう。とはいえ、彼は他国の人間。門外不出の処方を余所者に教えることは、国益に反する重大な叛逆行為にあたる。
さて、どうするか。穏便に事を進めるための策を練っていたところ。
刃は見事に、先を越された。
なんと、加煎が自ら彼に処方を伝授したのである。木の葉の使者が王城を訪れるたびに、極秘に。
あとから聞いたところでは、加煎は「雷神」をなるべく長く引き留めておくよう醍醐や義単に要請し、そのあいだに少しずつ、「狐」に処方を教えていたらしい。
「さすがに、飲み込みが早かったですよ」
すべてを伝え終わったあとで、加煎は言った。
「一度見たことや聞いたことは忘れない。徹底して、そういう訓練を受けていたようですね」
それはそうだろう。彼の生い立ちや、暗部での任務内容を考えれば。
いまでこそ朗らかな、明るい顔をしているが、そこまでになるには、どれほどの苦しみを経験したことか。
それぐらいのことは、加煎とてわかっているはずだ。だからこそ、あえて彼を選んだのだろう。
「これで、本当に肩の荷が降りましたよ」
扇を揺らしつつ、続ける。
「私などは、はじめて鈴を見たときから心を決めていたというのに、あなたはなにをぐすぐすしていたのです」
「おれだって、同じことを考えてたよ。ただ、外交上の問題が……」
「そんなものは、犬に食わせてしまえばよろしい」
ぴしゃりと言う。醍醐が肩をすくめて、
「おまえ、なんだかセキヤに似てきたな」
加煎は一重の目でじろりと横をにらんだ。
「長いあいだ、セキヤの勝手に付き合わされてきたんです。もうそろそろ、自分の思い通りにしませんとね」
「そりゃまあ……そうだな」
永遠に「勝手」をすることも「思い通り」に事を運ぶこともできそうにない醍醐が、ため息まじりにそう言った。
朱家の奥義も蒼家の秘薬も、木の葉の国へ受け継がれた。
森の国に残っているのは、「五家七公」だけ。だが。
もしかしたら、それこそがセキヤの望んだものなのかもしれない。国を支えるもの。それはそこに住む民なのだから。
(了)