扉をたたく者
  byつう









 その日、加煎は朝早くから正殿の局(つぼね)に籠もり、薬草の調合を行なっていた。
「あいかわらず、すごい匂いだね」
 戸口で、刃が声をかけた。加煎は顔を上げることもせず、
「今年は北の方で、たちの悪い風邪が流行っていますからね。予防もかねて、ふだんから薬湯を飲むようにしているんです」
「それはわかってるけど……」
 刃は加煎の手元を覗き込んだ。どう見ても、いつもより量が多い。刃の疑問に気づいたのか、加煎はちろりと視線を投げた。
「木の葉のかたがたにも、ふるまってさしあげようと思いましてね」
 そういうことか。刃は苦笑した。
 今日、木の葉から使者が来る。六代目火影の親書を持って。事前に鷹が運んできた書簡によれば、その使者は、いまや周辺諸国にその名を轟かせている「雷神」と「狐」らしい。
 うちは雷と、暗部出身の副官。彼らはつねに行動をともにし、各地の砦で目覚ましい働きを続けている。かつてセキヤが予言したように、雷神の行くところ、落ちぬ砦はないと噂されるほどだ。
「よっぽど、悔しかったんだね」
 朱家の奥義が、雷に渡ったことが。
「当然です」
 醍醐からだいたいの話は聞いているが、かなり根深く怒っているようだ。
 気の毒にな。刃は雷たちに同情した。加煎の不興を買うと、どこまでもいたぶられるのは目に見えていたから。
 むろん、表面上はこのうえなくにこやかに、穏やかに接するのだが、それがいちばん曲ものだ。雷のように直情的な性格だと、かなりこたえるだろう。もっとも雷とて、昔とは違う。風ほどではないが、外交交渉の場数も踏んでいる。木の葉の国と森の国の関係が悪くなるような真似はするまい。
 まあ、あとでフォローをすればいいだろう。愚痴を聞くぐらい、安いものだ。
 そんなことを考えているところに、礼部の文官が先触れに訪れた。
「木の葉からの使者が正門に到着した由にございます」
「ずいぶん、早かったですね」
 加煎は少なからず驚いたようだった。
「は。なんでも、術を使ってここまで来たとかで」
「……さっそく、ですか」
 一重の目が剣呑に細められた。
「術の解読には、いましばらくかかると思っていたのですが……侮れませんね」
「『狐』は結界術者だからね」
「なるほど。たしか五代目の……」
 そこで言葉を切る。加煎は礼部の文官に、使者を内務の貴賓室に案内するよう命じた。
「その者が五代目の血を受けているというのは、事実なのですか」
 文官が出ていったのを見届けてから、低い声で問うた。刃は小さく頷いた。
「風の話では」
「ならば、間違いないですね」
 加煎は立ち上がった。
「いずれにしても、わが国にとっては重要な客人です。丁重におもてなしをいたしませんと」
 丁重に、に力を込めて言う。
「中書どの。午餐の支度を急ぐよう、膳司に連絡を」
 加煎は刃を役職名で呼んだ。刃もそれに応えて、
「承りました。して、後見どのはどちらへ?」
「使者どのにごあいさつを」
 薬草を入れた茶器を手に、優雅に裾を捌く。一足先に偵察に行くつもりか。刃はため息をついた。
 止めても無駄だろうが、雷の我慢がきいているうちに頃合を見て割って入らねば。万が一にも、木の葉との関係がこじれては大変だ。
 そんなことを考えながら、刃は加煎の背を見送った。





 午餐の用意が整った。
 刃は中書省令(長官)の正装で、内務の貴賓室に向かった。公式に使者を招き、午餐会の席上で親書の交換をしなければならない。
 門衛の報告では、使者たちは忍服のまま王城に入ろうとして、一旦、近衛府の官舎で衣を改めたという。雷はさぞ不本意だっただろう。加煎が扇の仕掛けを外すような事態になっていなければいいが。
 おそるおそる貴賓室の様子を窺う。控えの間には侍従たちが何人かいた。なんでも、加煎に席を外すように言われたらしい。
 いやな予感がした。扇が飛んでくることも計算に入れて、そっと扉を開ける。と、そこには、茶器を並べて談笑する加煎の姿があった。
 一瞬、刃はわが目を疑った。いつもの、冷ややかな笑みではない。加煎は金髪の少年を相手に、じつに楽しげに話をしていた。
「その場合は、配合を変えた方がいいですよ。煎じる時間も長めにして」
「ふーん。やっぱり、これぐらい濃くしなきゃ駄目なんですねー」
 少年は薬湯を飲みつつ、頷いた。
「いまの時期だと野生のものは少ないのですが、私の局に乾草させたものがありますから……ああ、中書どの。なにかご用ですか」
 明らかに、不服そうな顔。話の腰を折られたのが気に入らないのか。とはいえ、そろそろ広間へ移動してもらわねば。
「午餐の支度が整いましたので、お知らせに上がりました。……もうおひとかたは?」
 使者は「雷神」と「狐」、二人のはずだ。雷はどこに行ったのだろう。まさか加煎ともめて、出ていったんじゃないだろうな。
「軍務顧問が、会食までに衛士府と近衛府を視察させると言って連れていきました」
 さすがは醍醐だ。うまく雷を加煎から離したな。しみじみと、刃は感心した。
「こちらのかたは、薬草に造詣が深くていらっしゃるようなので、私の調合した薬湯を味見していただいたのですよ」
 金髪の少年は、碧眼を細めてぺこりと頭を下げた。
 なるほど、よく似ている。刃はセキヤとともにはじめて木の葉の里を訪れたときのことを思い出した。
 あのとき、のちに五代目火影となる青年は、まだ二十歳になったばかりだった。彼にくらべると、目の前の少年は幼く見えるが、聡明そうな顔立ちと透き通った青い瞳は、その血の所在を紛うことなく表わしていた。
「ようこそ、お越しくださいました」
 刃は作法通りに礼をした。
「お名前を伺ってもよろしいですか」  里では「狐」で通していると聞いたが。
「鈴といいます」
 あっさりと、少年は言った。
「面をつけているときは『狐』と呼んでください。いろいろ、事情があるので……」
「承知しています」
 刃がにこやかにそう答えたとき、扉が乱暴に開けられた。
「すまん。遅くなった」
 醍醐だった。せっかくの正装が、土埃にまみれている。うしろにいた雷も同じく。
「なんですか、その格好は!」
 加煎が、それまでとは別人のようになって(要するにいつも通りに)叫んだ。
「まもなく午餐だというのに、そんな汚れた装束で城の中を歩かないでください」
「いや、衛士府の訓練を見に行ったら、演習の指揮をとるハメになっちまって」
「……で、そちらもご一緒に?」
「なりゆきで、そうなった」
 むっつりとした顔で、雷。醍醐は横を向いたまま、頭をかいている。
「仕方ないですね」
 刃は嘆息した。
「とりあえず、もう一度着替えを……」
「では、われわれは先に参ります」
 加煎は鈴を促した。
「え、でも……」
 鈴は雷を見遣って、口ごもった。
「雷神どの、それでよろしいですね」
 慇懃な物言いで念を押す。雷は憮然としたまま、頷いた。
 成長したな。心の中で呟く。
 加煎が鈴とともに部屋を出ていくのを見送ったあと、刃は醍醐に向き直った。
「雷を連れ出したまではよかったんだけどね」
 つねの口調で、言う。
「ああ。まずったよ」
「いったい、どうしたの」
「いやあ、まあ、新米のやつらが『雷神』が来たってんで、妙に浮かれちまってな」
 ただの視察のはずが、「雷神」対一個部隊の実戦演習になってしまったらしい。それでは長引くはずだ。
「次からは、着替える時間ぐらい計算してよ」
「わかってるって。城に入る前に、衛士府と近衛府を回ることにするよ」
 そうすれば、着替えるのは一回で済む。醍醐らしい考え方だ。
「これ……」
 ぼそりと、雷が言った。
「やはり、弁償しなくてはいけないのか」
「え?」
 刃が振り向く。
「……あーあ。やっちまったな」
 醍醐が天井を仰いだ。
 雷が着ていた武官の正装は、袖付けの部分が見るも無惨に破れていた。



 これ以後。
 木の葉からの使者が来る日は、近衛府と衛士府の合同演習が行なわれるのが恒例となり、内務の貴賓室では、各種の茶とそれに合わせた菓子を前に、前の内務尚書が孫のような少年を相手に薬談義をする姿が見られるようになった。
 いずれも、木の葉の国と森の国の親善を深めるには絶好の行事であった。
 もっとも。
 その実態を知る者は、ごくわずかしかいない。



(了)



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