■森の国の人々を見守る作品 NO8■
情炎 byつう
森の国が独立して、ひと月。
祝賀行事もほぼ終わり、法制度や度量衡の布令も市井に行き渡った。国主の木の葉の国訪問の日程も決まり、王城はようやく落ち着きを見せはじめていた。
「おかしいな」
夜半。ついさきごろ軍務尚書に就任した大柄な男が、寝殿の一室で首をかしげていた。
「部屋を間違えたかな」
一旦、廊下に出てみる。間違いない。内務の局(つぼね)はここだ。
俗に五家七公と呼ばれる大臣クラスの重臣たちや国主の側近は、王城の中に局と称される私室を有している。もちろん各々、王城を囲む屋敷町に居を構えてはいたが、政務が長引いたり会議が続いたりするときは、局に泊まることが通例だった。
「今日は局泊まりです」
一刻ほど前、すれ違いざまに加煎が言った。
「おう」
少なからず驚きながら、答える。加煎が自分の所在を告げるのは、閨への誘いにほかならない。
ここで、か。
醍醐は局の間取りを思い浮かべた。決して狭くはない。部屋数も多い。寝所はいちばん奥まった一室にあるから、声や物音が漏れる心配はなかろうが。
自分たちの関係を秘するつもりはないが、王城はいわば仕事場である。いままで加煎は、公私の区別はきっちり付けてきた。それがなぜ、今日にかぎって……。
「どうしました」
背後から、声がした。
「中に入っていればいいのに」
「いや、鍵がかかっていなかったから、部屋を間違えたのかと思ってな」
加煎は用心深い性格だ。たとえ私邸で、自分ひとりしかいないときでも、必ず施錠している。
「ここには、盗られて困るようなものは置いていませんから」
「しかし、なにか仕掛けでもされたら……」
「刺客が忍び込んだり、とか?」
「ああ」
「うれしいですね」
「はあ?」
「あなたが私を心配してくれるなんて」
加煎は醍醐の腕を取った。そのまま、局へといざなう。月明りの差し込む室内に、醍醐は招き入れられた。
その酒は、旨かった。
「南方の島々では、旅人にこれを振る舞うのが最高のもてなしとされているそうです」
甘い香り。それでいて、飲み口は決してしつこくない。さらりとのどを過ぎていって、胃の腑にしみわたる。
「島の長とこの酒を酌み交わして、はじめて旅人は客人として受け入れられる。まあ、一種の儀礼のようなものですね」
「こんな儀礼なら、大歓迎だ」
醍醐は杯を重ねた。かなり度数の高い酒だろうに、あまり酔いが回ってこない。
「もう一本、開けますか」
五合ばかり入っていた瓶が空になったらしい。
「そうだな。……いや、いい」
飲みたいのはやまやまだが、あまり過ごすと、あとに差し支える。
それにしても、今回はずいぶん間が空いた。国の独立という一大事があったにしても。
「加煎」
卓の上を片づけているところに、手をのばす。腰を引き寄せて、上衣を落とした。
口付け。甘い香りが行き来する。絡まる舌。息。その熱さに酔いながら。
派手な音がして、卓から杯が落ちた。
まずい。
そう思ったときには、もう遅かった。醍醐は木の床の上に加煎を押し倒していた。一重の目が、困ったように見上げている。
「すまん。あの……な」
「奥の間へ行く時間もありませんか」
細く長い指がその場所へのびる。
「……っ!」
強烈な感覚。ゆるく掴まれただけなのに。
「これは……無理ですね」
加煎は体をずらしつつ、
「とりあえず……」
あることを提案する。
「……で、いいですか」
否やもない。早く、この嵐をなんとかしてほしかった。
「ん。……任す」
体勢が入れ替わった。下衣の紐が解かれる。そして。
さらに強い刺激が加えられた。ざわざわとした感触に、その部分は急速に高まっていく。
栗色の髪が下肢のあいだで揺れている。同じような経験は何度かあるが、それとはくらべものにならない。いったい、どうしたというんだ。
深く考える余裕はなかった。醍醐の中で荒れ狂っていたものが外に飛び出す。苦しげな呻きとともに、それは加煎の内へと落ちていった。
「立てますか」
唇を濡らしたままで、加煎が言った。
「ああ」
醍醐は身を起こした。
「では、奥へ」
懐紙で口元を隠しつつ、加煎は奥の間へ進んだ。
奥へ?
醍醐は首をかしげた。こんな醜態をさらしたというのに、まだ「次」があるのか。
「灯りは消してくださいね」
寝所から、声。
わからない。この状況はわからない。なにを考えているのだろう。この妖しいまでに美しい男は。
「おまえ、もしかして……」
あることに思い至る。
「なんです?」
うっすらとした微笑み。視界が揺らぐ。やっぱり、そうか。
「さっきの酒は……」
「ただの地酒ですよ」
「そうじゃなくて」
「蘭香を混ぜましたが」
「蘭香?」
「一種の、媚薬ですね」
あっさりと、加煎は言った。
「今夜は、眠れませんよ」
俺には薬なんか必要ないと言ったくせに。醍醐は牀の上にすわる情人をにらんだ。
「……俺が眠れねえってことは、おまえも眠れねえってことだろうが」
「ええ。私はあなたとは違いますからね」
「なんだって?」
「人に夜なべの仕事を押しつけておきながら、自分はさっさと屋敷に帰るような薄情な真似はしません」
ひらり。
薄ものの衣が牀の下に落ちる。
「付き合いますよ。朝まで、ね」
薬草の灰汁で薄墨色に染まった指が、醍醐の頬をするりと撫でた。
森の国の建国にあたって、各部の名称は雲の国の制度を踏襲することになっていた。が、軍事部門担当の兵部尚書に内定していた醍醐が、「兵部」という呼称に反対して、土壇場で名称を変更させたのである。
これは、いわゆる「朱雀」の組織が、雲の国の兵部尚書に幾度も煮え湯を飲まされたからなのだが、それならそれで、最初からそのように上申していれば、加煎とて意義は唱えなかっただろう。それなのに、公式文書もおおかた出来上がってから、名義変更を強行されたのだ。
そのせいで、加煎をはじめ礼部や吏部の文官たちは、まる二日、不眠不休で修正作業に追われた。侍従職に就いた刃も、しかりである。
その仕返しが、これかよ。
次から次へと押し寄せてくる波。いつ果てるともしれない欲情。
あしたは……いや、今日の午前中には近衛の閲兵がある。この状態で、まともに指揮ができるだろうか。
「特別に、ひと晩で許してあげますから」
切れ長の目が、奇麗に細められる。
「ちゃんと、職務を遂行してくださいね」
たとえ、一睡もできなくても。
唇で、舌で、指で、そして艶やかな場所で。加煎は醍醐を追い立てる。どこまでも、どこまでも。
まったく、最高の意趣返しだよ。
新たな熱をもてあましつつ、醍醐は黙って、その罰を受けた。
(了)
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