サバイバルな彼〜魔の食欲上忍シリーズ12〜  BY つう






 人間には、学習能力が備わっているはずだ。
 人間だけではなく、犬や猫や猿にだって、あるいは馬や牛や豚にだって、生きていくための知恵はあるし、当然、経験から学ぶことはあるはずなのだ。
 しかるに。
 里一番の手練れにして近隣諸国に勇名を轟かせているこの銀髪の上忍は、またしても悲しいぐらいばかばかしい失敗をしてくれた。
「適当に、とお願いしたはずですが」
 ボウルいっぱいに膨らんで、さらに流しの中に広がったワカメを見下ろして、イルカは言った。
「ですから、適当に……」
「したんですね」
「はい〜」
 楽しそうに、カカシは答えた。
 そうだ。自分は肝心なことを忘れていた。
 人間の脳には学習能力があるが、忘却の機能も備わっていたのだった。
「こんなに量が増えるなんて、乾物って面白いですねえ」
 そういえば、ヒジキのときもこうやって山ほど水にもどしたっけ。そのうえあのときは「ヒジキってムシみたいですねえ」と爆弾発言をしてくれて、結局その後、イルカは一度もヒジキを食べていない。
 このまま食べられなくなったら、どうしよう。いや、べつに、食べなくても生きてはいけるが、けっこう好きな食材だっただけに、なんとなく悔しい。
「これ、もう食べられるんですか?」
 カカシがうきうきとした口調で、訊いた。
「食べられますけど、そのままだと味気ないですよ。酢の物と味噌汁を作りますから、もう少し待っていてくださいね」
 ななめ向かいの家のおばさんからもらったおからの炒り煮を鉢に入れて、卓袱台の上に置く。とりあえず、これでつないでいてもらおう。
「いい匂いですねえ。これもイルカ先生が作ったんですか?」
「いいえ。それは頂きものですが」
「えー、俺、イルカ先生の作ったものがいいです」
 言うと思った。
「火を入れて、味を直しておきました」
「あ、それならいいです。いただきまーす」
 ほくほくと、箸をつける。
 実際は火を入れただけなのだが、そう言っておけば機嫌よく食べてくれる。まったく、こんな姑息な技を覚えた自分が情けない。どうせなら、実戦の役にたつ忍の技のひとつも習得したいのだが。
 ワカメの水切りをしながら、考える。
 実戦か。もう、そんなこともないのかも。
 自分のような、どっちつかずの人間が実戦に出ても役には立つまい。人を殺す方法は知っていても、殺せない。砦を落とす作戦を練りながら、その防御策も考えてしまう。
 殺したくないし、死にたくない。そんな中途半端な人間は、いくさばでは足手まといにしかならない。
 ああ、でも。
 それなら、この男はどうなのだろう。
「イルカ先生の料理だったら、にんじんが入っててもおいしいですー」
 わざわざおからの中のにんじんをつまんでいる、この男は。
 戦場において、この男ほど冷徹に敵を屠る者はいない。それが、アスマの意見だった。
「うっかりすると、味方まで巻き添え食っちまうんだよなあ」
 いつだったか、そうぼやいていた。
「ま、それも、おまえさんのおかげで減ったんだけどよ」
 アスマによると、イルカの名を出すとカカシの暴走が止まるのだそうだ。
 最初は冗談かと思っていたら、どうもそうではないらしい。事実、この一年ちかく、カカシが参加した作戦での味方の被害は激減している。
「やっぱり、『危険人物取扱主任』の力は偉大だよな」
 ひとりで納得して、アスマはうんうんと頷いた。
 その呼称は甚だ迷惑だが、結果的に木の葉にとって望ましい方向に向いているのなら、けっこうなことだ。
 イルカは頭を切り替えて、調理を続けた。
「お待たせしました」
 味噌汁の鍋と、ワカメと蛸の酢の物が入った鉢が卓袱台の上に並んだ。どちらもかなり大きいので、それだけで卓の上はいっぱいになっている。ごはん茶碗と湯呑みを置けば、あとはもうスペースがない。
 ま、取り皿はなくてもいいか。どうせ、いつもごはん片手に直箸で食べているのだし。
 イルカはごはんをよそって、カカシに差し出した。
「どうぞ、召し上がってください」
「はーい」
 早速、酢の物の山を崩す。毎度のことながら、見る見るうちにその容積が減っていった。
「あの、カカシ先生」
「はいっ。なんですか?」
「もう少し、ゆっくり食べた方がいいですよ」
「えー、でも、おいしいんですもの」
「おいしいと言ってくださるのはうれしいんですが、消化に悪いですから」
「大丈夫ですよー。俺、昔っから、なんでも生のまま食べてましたから」
「は?」
「野戦のときに燃料切らしたりして、カエルやウサギをそのまま皮むしって食べたこともありますし」
 またか。
 この類の話は、いままで嫌というほど聞いている。環境が人を作るというのなら、カカシの消化器はサバイバル仕様でできているのだろう。
「……わかりました。お好きなだけ、召し上がってください」
 反論するのもむなしくなって、イルカは黙々と自分のペースで箸を運んだ。
 結局カカシは、大鉢の酢の物の大半を食べて、いつものごとく卓袱台の前でごろりと横になってしまった。
「おなかがいっぱいで、しあわせです〜」
「よかったですね」
 イルカもいつものようにそう言って、後片付けをした。流し台の前で茶碗を洗っていると、突然、ガタン、となにかがぶつかったような音がした。
「カカシ先生?」
 振り向くと、カカシが体をくの字に曲げて、低い声でうなっていた。
「どうしたんですか」
「……なんだか、腹が……」
「痛いんですか?」
 あわてて流し台の水を止めて、イルカは卓袱台の横にひざをついた。
「おかしいな。当たるようにものは出していないのに……」
「むかむかして、気持ち悪いんです」
「はあ?」
 それって、単に食いすぎたってことじゃないのか?
 こんにゃくとにんじんの入ったおからに、ワカメと蛸の酢の物、同じくワカメとじゃがいもの味噌汁。
 消化にいいとは言いがたい。それを短時間で大量に摂取したのだから、胃に負担がかかったのだろう。
「ちょっと、量が多かったみたいですねえ」
 加減ってものがないのか、まったく。
 そう思いながらも、あくまでやさしくこう続ける。
「なにか薬でも飲みますか」
「飲んだら、治ります?」
「すぐには無理でしょうけど、少しは楽になりますよ」
「薬はきらいです」
「治らなくてもいいんですか?」
 教師モードで、ぴしりと言う。カカシは口を曲げて、横を向いた。
 強情だな。ほんとに、子供みたいだ。
 昔、腹をこわしたとき、よく母が煎じ薬を作ってくれた。苦くてまずくて飲みにくいことこのうえなかったけど、不思議とよく効いて、翌日にはすっかり快癒していた。
 体を丸くして横たわっているカカシに毛布をかけて、イルカはコンロの前に立った。やかんに乾燥させたセンブリと水を入れて、火を点ける。
 急なことなのでじっくり煎じている時間はないが、自分の経験上、これが食べすぎにはいちばん効く。
 しばらくして、部屋に独特の匂いが漂いはじめた。カカシはむっつりとした顔で、卓袱台の前にすわりなおした。
「なんですか、この匂いは」
「センブリです」
「センブリって……」
「薬草ですよ。胃腸の働きを整える効果があるんです」
「知ってますが……それって、生で食べるものじゃないんですか」
「……ふつうは、乾燥させてから煎じて飲むんですが」
「へえ。俺、生でかじってました」
 もうなにも言うまい。非常時は、それも仕方ない。
「どうぞ」
 煎じたセンブリを湯呑みに注ぐ。カカシは湯呑みをじっと見下ろしていたが、やがてそれを、そろそろと口に運んだ。
「苦いですね」
「良薬口に苦し、って言うでしょ」
「おいしくないです」
「そりゃ、薬ですから」
 暗部にいた影響で、それでなくともカカシは薬が効きにくい体質になっている。これだけ苦い薬を飲んだのだからもう大丈夫、という暗示でもかけて、症状が治まるのを待つしかないのだ。
「おれも、飲みましょうか」
 イルカは自分の湯呑みに煎じ薬を入れて、一気に飲んだ。苦い。のどがむずがゆくなるほどに。
 それを見たカカシも、湯呑みに残っていた分をのどに流し込んだ。ぎゅっと目を閉じ、なんとか嚥下する。
「これで、治ります?」
「ええ、たぶん。蒲団を敷きますから、少し待っててくださいね」
「泊まっていって、いいんですか」
 断っても、泊まっていくくせに。イルカは苦笑して、頷いた。
「病人を追い出すわけにもいきませんから」
 イルカは奥の八畳間に入り、押入の戸を開けた。
 これが、甘かった。
 カカシは子供のころから、とことんサバイバルな環境で育っていたのだ。腹痛ぐらいで、こんなにおとなしくなるはずはなかったのに。
 蒲団に敷布をかけたところで、イルカはその事実に気づいた。
「カ……カカシ先生?」
「はい」
「なにやってんですか」
「なにって、せっかくイルカ先生が蒲団を敷いてくれたんですから……」
 カカシはイルカの肩を掴んで敷布に押しつけていた。
「あんた、具合が悪かったんじゃないんですか?」
「もう治りました」
「センブリ飲んでから、まだ五分とたってませんよ」
「本当に、よく効きますねえ、センブリって」
 にっこりと笑って、カカシは額宛てを外した。紅の瞳が、銀髪のあいだから現れる。
「すっかり、気分がよくなりましたよ」
 顔が近づいてくる。手がするりと、すっかり馴染んだ場所にのびる。
 仮病だったんじゃないだろうな。いや、さっきはたしかに、だいぶ苦しそうだったのだが。
 もしカカシの言うことが本当なのだとしたら、治癒力も桁外れだ。やっぱり、この男は普通じゃない。
 普通じゃないやつに、普通の身で付き合うのはたいへんなんだぞ。いまさら、愚痴を言っても始まらないが。
 ある目的に向かって、徐々に体が作られていく。
 学習能力がないのは、もしかしたら自分の方かもしれない。イルカは切実に、そう思った。



  (THE END)



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