アペリティフ〜魔の食欲上忍シリーズ11〜  BY つう






 このところ、体調が悪い。
 医者にかかるほどではないが、朝はなかなか起きられないし、昼間は眠いし、そうかと思えば夜はなかなか眠れない。
 ごく例外的に、泥のように眠れる日もある。が、それは就寝前にかなりハードなことをした場合であって……結局は、翌朝まで疲れを持ち越すことになってしまう。
 イルカは今日も、必死に生あくびと戦っていた。
「よお。どしたんだい、主任さん」
 アスマが机に手をついて、言った。
「……その呼び方、やめてくださいって」
 無駄だとは思いつつも、とりあえずは主張する。
「ありゃりゃ。ほんとに元気ないねえ。声の張りがぜんぜん違う」
 それはそうだろう。なにしろ、ゆうべは……。
 思い出しかけて、やめた。こんなところで記憶をリピートしたら、とんでもないことになりそうだ。
「だいぶ大変みたいだねえ」
「はあ、まあ……」
 言葉を濁す。アスマは自分とカカシのことを薄々察しているらしいが、事務局の連中に吹聴したい話ではない。
「無茶は駄目だぜ」
 報告書を置いて、立ち去る。
 イルカはため息をついた。無茶をしたのは、おれじゃない。あの男の方だ。
 急に長期の任務が入ったからって、夜中にいきなりやってきて、朝まで解放してくれなかったのだから。
 まったく、あのあと、まともに任務に就けたのだろうか。Aランクの単独任務だ。ちょっとした気のゆるみでも命取りだろうに。
 あくびができる自分は、まだいい。とりあえず、命の危険はないのだ。
 イルカは頭を切り替えて、いま受け取ったばかりの報告書を確認した。




 カカシが里に帰ってきたのは、二週間後のことだった。
「イルカ先生〜」
 夕刻。なんとも情けなさそうな声が、玄関から聞こえた。
「……カカシ先生?」
 イルカは流し台の水を止めて、飛び出した。
「おなかがすきましたあー」
 倒れ込むようにして、カカシは中に入ってきた。あわてて、受けとめる。
 埃と血の臭い。カカシがこの二週間、どんな仕事をしてきたか、容易に察せられた。
「今夜のおかずは、なんですか?」
 こんなときでも、台詞は同じだ。まったく、この男は……。
「きのこご飯と豚汁ですよ」
「うわー、豪華ですねえ。俺、二日ばかり食べてないんですよー」
 その状態で、常食を食べてはまずいのではないだろうか。
「でしたら、粥でも作りましょうか」
 一応、訊いてみる。
「えー、俺、きのこご飯がいいですー」
 駄々っ子のように、カカシが言う。イルカはため息をついた。
「わかりました。もうすぐできますから、待っててくださいね」
「はーい」
 カカシは安心したのか、台所の床にごろんと横になってしまった。すぐに、寝息まで聞こえてくる。イルカはあっけにとられて、薄汚れた忍服を着た上忍を見下ろした。
 よっぽど疲れているんだな。無理もない。この男は、里を代表する手練れなのだ。一歩外に出れば、それこそ無数の敵がいる。
 自分は、子供っぽくてわがままで、のほほんとしたカカシしか知らない。が、それはじつは、この男のほんの数パーセントを占めるにすぎないのだ。いつもはそんなことに、気づきもしないのだが。
 イルカは奥から蒲団を取ってきて、カカシに掛けた。埃がついてもかまわない。無事に、帰ってきてくれたのだから。
 規則正しい寝息を聞きながら、イルカはふたたび流し台の前に立った。




 一時間後。
 卓袱台の上には茶碗と湯呑みと汁椀と箸が二人分、きっちりと置かれていた。
「……どうしたもんかな」
 用意を終えて、イルカは呟いた。
 カカシが、一向に目をさまさないのだ。何度か名前を呼んだり、肩をゆすったりしてみたが、すっかり熟睡している。
 任務帰りで疲れているのはわかっているので、このまま泊まってもらってもかまわないのだが、食事もしないで眠ってしまって、大丈夫だろうか。しかも、三和土(たたき)を上がってすぐの、板の間である。
「風邪、ひかれても困るしなあ」
 イルカは奥の八畳間に蒲団を敷いた。なんとかカカシを運ばなくては。
 自分よりいくらか背の高い男を担ぐのは大変だ。かといって、ひきずっていくわけにもいかない。イルカは意識不明の怪我人を搬送するときの要領で、カカシの上体を起こした。背に腕を回して、抱き上げる。
 見た目より、重いな。
 そんなことを思いながら、奥へと移動する。蒲団の上に降ろそうとしたとき、それまで力なく下がっていたカカシの腕が、イルカの首に回った。
「わっ……!」
 いきなり首を引き寄せられる。イルカはバランスを崩して、カカシを抱いたまま蒲団に倒れ込んだ。
「なにするんですかっ」
 わけがわからずに、叫ぶ。
「うれしいなあー」
 間延びした声が、耳のすぐそばで聞こえた。
「イルカ先生が、俺を蒲団まで運んでくれるなんて」
「……もしかして、ずっと起きてたんですか?」
 謀られたのかも。
 この男なら、十分ありうる。いや、前例を挙げればきりがない。
「まさか。イルカ先生が俺を『お姫さま抱っこ』したときからですよー」
 お……お姫さま抱っこ??
 イルカは目が点になった。だれがお姫さまだって? こんな性格の悪いお姫さまはご免だぞ。
 先刻までの、しみじみした感情が消えていく。せっかく、久しぶりにこの男の生い立ちや人となりを、じっくり考える時間を持つことができたのに。
「目が覚めたのなら、ごはん、食べてください。もうできてますから」
「ごはん、だけですか」
「は?」
「イルカ先生は?」
 出た。
 たしか、二日も食べてないって言ってたっけ。この上忍はどういうわけか、とことん空腹になると、べつの欲求が沸き上がってくるらしい。
「……ごはんの、あとにしてください」
 精一杯、譲歩する。今日は仕方ない。長期の任務から無事に帰還したのだから、ちゃんと付き合わねば。
 イルカが頭の中で懸命に自分を納得させていると、カカシの顔がずいっと近づいてきた。
「先がいいです」
「は?」
「あなたを、先に、ください」
 一語ずつ、ゆっくりと区切って言う。
 唇がイルカの頬に触れた。そこから、耳へ、首筋へと移動する。イルカは体が固まっていくのを感じた。
「ほしいんです。とても」
 声とともに、態勢が入れ代わる。カカシの手が、イルカの素肌をとらえた。




 夜も更けてから。
 カカシはにこにこと、丼にきのこご飯をよそって食べていた。豚汁も、もう三杯目である。
「イルカ先生ー、お茶はどこですか?」
 八畳間に向かって、訊ねる。
「……麦茶でよろしければ、冷蔵庫に……」
 だるそうな声。
「わかりましたー」
 明るく答えながら、冷蔵庫を開ける。
「イルカ先生も、麦茶、飲みますか」
「……結構です」
 起き上がる気にもなれない。
 イルカは夜具に突っ伏したまま、うとうとしはじめた。
 このまま、朝まで眠りたい。淡い期待を抱く。
 無理かな。……無理だろうな。半月ぶりだし。
 まあ、とにかく、自分でご飯をよそえるようになっていてくれてよかった。この状態で給仕までするのは嫌だ。
 もっとも、これしきのことで「よかった」と思うなんて、なんとも情けない事態ではあるが。
「やっぱり、イルカ先生のごはんは美味しいですねえ」
 ほのぼのとした声が聞こえる。
「今回の仕事は、たいへんだったんですよー」
 そうみたいですね。本当に、おつかれさまでした。
 心の中で、言う。
 もう目を開けていられなかった。カカシの声を遠くに聞きながら、イルカは眠りに落ちていった。



   (THE END)


戻る