月のうさぎ 〜魔の食欲上忍シリーズ3〜 by つう
今夜は、十五夜だ。
菓子屋の店先には、月見団子がずらりと並んでいた。その横では、すすきや菊も売られている。
菓子屋で花を売るのは、節句のときぐらいだが、月見も節句に準じる年中行事なのだから、売り上げを伸ばすために知恵をしぼっているのかもしれない。
イルカはアカデミーからの帰り道、菓子屋に寄った。一応、伝統的な行事はおろそかにしないことにしている。いまでは形骸化されてしまったものも少なくないが、長く続いている習慣というものには、古人の知恵が宿っていると思っていたから。
団子と花と酒と、あとは惣菜屋で煮物でも買って帰ろう。そんなことを考えていたら、ぽん、と肩を叩かれた。
「なにしてるんです?」
カカシだった。
「イルカ先生って、甘いものが好きでしたっけ」
嫌いではないが、ふだんは自分で買ってまで食べようとは思わない。
「うわー、なんですか、これは。今日は団子記念日ですか? それとも、開店セールとか」
たしかに、尋常でない団子の数だ。平素の十倍はあるだろうか。
それにしても、カカシの反応は異常である。十五夜の日に月見団子が売られていて、なにが不思議なのだろう。
「これは、お供えの団子ですよ。今日は十五夜ですから」
「十五夜? 満月ってことですか? それなら、毎月あるじゃないですか」
「いや、それはそうなんですが……」
イルカは苦笑した。
もしかして、この男は月見の習慣も知らないのか。常々、日常生活に不適応なことが多いとは思っていたが。
イルカは説明した。仲秋の名月を愛でる習慣のことを。
「へえー。そうだったんですか。で、団子を供えるんですね」
「そういうことです」
なんとか、納得してもらったらしい。イルカが安堵した、その直後。
「……買うんですか?」
カカシが訊いた。
「え?」
「どうせなら、俺、イルカ先生の作ったものが食べたいです」
……いまから、食べに来るのか。
イルカはがっくりと肩を落とした。お供えの分だけ、買うつもりだったのに。
これを断ると、後々面倒なことになるのはわかっている。仕方がない。明日の平安のために、今日は臥薪嘗胆だ。
いささか間違った引用ではあるにせよ、イルカはその四字熟語を心の中で唱えて、団子の材料を調達するために踵を返した。
団子といえば、上新粉だろう。
米屋で粉を仕入れて、家にもどる。湯をわかして、粉をこねて、ざっと五十個の団子を茹でた。
足りないかもしれない。
茹で上がってから、イルカはさらに三十個追加した。
「すみません。もう少し、待ってくださいね」
卓袱台の前で酒を飲んでいる銀髪の男に声をかける。
「あ、いいですよ。この塩辛、旨いですねえ」
ご近所からの頂きものだ。この男と付き合うようになってから、貰えるものはなんでも貰うことにしている。自分が食べなくても、必ず消費できるとわかったから。
「お口に合って、よかったです」
適当に場を繋いで、団子の餡作りにかかる。
市販の餡と、きなこと胡麻。あとは青海苔ぐらいだろうか。吸い物も用意した方がいいかもしれない。イルカはコンロに、鍋を置いた。
だしの素と、これまた貰いものの昆布とですまし汁を作る。よし。これで万全。
「あの……できましたけど」
イルカの声に、カカシはほくほくとして台所にやってきた。
「いやあ、豪華ですねえ。どれから食べようかな」
「……どれでも、好きなものをどうぞ」
あまりにも予想通りの反応に、イルカは口元をゆるませた。
それにしても。
月見というポピュラーな習慣すら知らずに、この男は二十数年を過ごしてきたのか。
カカシを育てたのは、暗部の人間だった。幼いころからその才能を遺憾なく発揮したこの男に、周囲はさらなる期待をした。そして。
この男は、人として得るべきものを失った。温かさと充足を。
月の都には、うさぎがいるんだよ。
幼いころ、そんな話を聞いた。
月のうさぎは、みんなの喜ぶ顔が見たくて、餅をついてるんだ。ほら、見てごらん。今夜も、月のうさぎは餅つきをしている。
反射的に仰いだ空には明るい月。まんまるの、月。
ちょっとななめになったうさぎが、杵をついている。なんだか、いじらしいほどに。
月のうさぎが作る餅は、どんな味がするのだろう。優しい味か、甘い味か。ちょっと香ばしい、とち餅のようなのもいい。
「月のうさぎ、ですか」
団子を食べながら、カカシは言った。
「まあ、そういう模様ですけどねえ」
もぐもぐと、きなこ団子を咀嚼する。
「なんか、それって不味そうですね」
「は?」
「だって、うさぎでしょ。うさぎの餅っていったら、にんじんとか入ってて、色も赤かったりして。俺、にんじん苦手なんですよ。うさぎの餅だったら、絶対に食べませんね。赤い色してたら、最悪ですもん」
そうだった。この男は、やたらと食わず嫌いが多い。
というのも、まっとうな食生活をしてこなかったのだと思うのだが、その克服のためにイルカが払う代償は決して少なくはない。
イルカと会う前のカカシは、食物をただ、エネルギー摂取の面からしかとらえていなかった。熱量と栄養素。それだけの関心しかなかった。そんな彼が、イルカと出会って変わった。食物は、体だけでなく心をも満たすものであると。
「でも、あんた……こないだ肉じゃが、食べてましたよね」
イルカは記憶をたどる。肉じゃがには、彩りとしてにんじんが不可欠だ。たしかあのときは、とくに嫌がる様子もなく食べていたと思うのだが。
「ああ、あれね。美味しかったですよー」
「にんじんも?」
「もちろんです。イルカ先生が作ってくれたんですから」
単純すぎる。
それなら、自分が作ればどんなゲテモノでも食べられるのだろうか。確認するのが恐い。イルカは団子を汁の中に入れながら、
「締めに、吸い物でもどうです」
三つ葉を散らし、卓袱台に置く。
カカシの顔が、ほんわりとゆるんだ。
「最高ですね」
お腹も心もあったまる。そんな単純な、幸せがあってもいい。
乾いた体が水を求めるように。飢えた心が温もりを求めるように。
幸せなカカシが、幸せな自分とともにいる。なんて贅沢な時間。
月のうさぎのように、ダンスのひとつも踊りたくなる。ばかばかしいほどに明るく。
満月の下で、ふたりは笑う。ふざけながら、時を刻む。こんな夜は、地球の自転さえゆるやかに回るのかもしれない。
朝が来るまでこうしていよう。浮き世の憂さを、忘れられそうだから。
この夜、イルカもカカシも、それぞれの理由で幸せだった。
(THE END)
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