給餌      〜魔の食欲上忍シリーズ6〜      BY つう    








 結局、またこういうことになってしまった。
 イルカは情けなさと自己嫌悪に頭をかかえながら、むっくりと起き上がった。
「……どうしたんですか?」
 となりで寝ていた男が、寝惚けた声で訊く。
「水を飲んできます」
 無愛想にそう言って、イルカは夜着を羽織った。
 下肢がだるい。前回の教訓を活かして、なるべく短く済むようにしたつもりだったが、やはりこちらのダメージは大きい。
 なにを血迷ったのか、あの男は前にもまして複雑な手練手管を駆使してくれたのだ。まったく、それをまともに受ける身にもなってほしい。
 まずい。これは、本当にまずい。
 これでは、自分はまるで、あの男の妾ではないか。
 たしかに、長期の任務の際に、部下が上司の夜伽をすることはままあるが、それはそのときだけのこと。平時に継続することはない。
 あの男は、自分のことを好きだと言った。好きだから、抱くのだと。
 しかし、それを容認してしまっていいのだろうか。
「難しい顔ですねえ」
 耳元で、声。イルカは、ばっとその場から飛びのいた。
「いきなり、なんですかっ」
 さすが上忍。気配のかけらも感じさせないうちに、ここまで来ていたか。
「なかなか帰ってきてくれないもんだから、心配になって」
「心配って……」
 奥の八畳から台所まで、直線距離で三メートルである。
「どこにも行きゃしませんよ。ここは、おれの家なんですから」
 イルカは嘆息した。
 いい加減にしてほしい。もう、十分付き合ったじゃないか。
「なんだか、機嫌が悪いんですね」
「……そんなこと、ないですよ」
 一応、否定しておく。これ以上ごねられては困る。
「すみません」
 しゅんとして、カカシは言った。
「今日は、うまくいったと思ったんですが」
 阿呆か。思わず、そう言いそうになった。いけない、いけない。相手は、仮にも上忍だ。
 しかし、どうしてそっちにばかり思考がいくんだろう。心配しなくても、あんたはうまくやりましたよ。おかげでこっちは、頭も体もくたくただ。
「とりあえず、休みませんか。まだ早いですから」
 イルカは最後の気力をふりしぼって、カカシを寝かしつけた。





 カカシがイルカの家で食事をとるようになって、二月ちかくたつ。
 そして、最初に関係をもって、半月。
 寝込みを襲われるようにして同衾した最初の夜から十日あまり、なんとか無事に過ごしてきたのだが、ついに昨夜、二度目の関係を結んでしまった。
「イルカ先生は、俺が嫌いなんですか」
 ずいっと眼前に迫られて、真顔で言われると困る。
「違いますよね?」
 期待を込めたまなざしを見ると、それを否定する気が起きなくなる。だいたい自分は、嫌いなやつに飯を作ってやるほどお人好しではない。
 もっとも、体を提供するほどこの男が好きかというと、はなはだ疑問なのだが。
 自分の中で、この男は「子供」だった。ほしいものを、ストレートにほしいとしか言えない子供。それを全否定するほど、イルカは悪人にはなれなかった。
 カカシが本当に子供だったときには、おそらくそういう要求ができなかったのだと思う。彼は六歳で中忍になり、十を過ぎたころにはすでに暗部にいたという。
 ナルトたちと変わらぬ年で、暗殺を専門に扱っていたのだ。情緒に欠陥ができても不思議はない。
 その情緒欠陥児で味覚音痴で日常生活不適応者の上忍に見込まれてしまったのが、運の尽きだったというわけか。
 朝、上機嫌で帰っていくカカシを見送りながら、イルカは次回の防御策を懸命に練っていた。




 結論。
 食事が終わったら、すぐに帰ってもらおう。
 この際、飯を作るのは仕方がない。自分の方から仕掛けたことなのだから。しかし、そのあとのことは管轄外だ。
 べつの欲求が起こったときは、それこそ花街に行けばいいのだ。カカシにも、馴染みの妓女がいるのだから。
 計ったように三日後にやってきた上忍にその話をすると、例によって「俺が嫌いなんですか?」と来た。イルカは茶碗を片付けつつ、
「好き嫌いの問題ではなくて、そういうことは、おれでなくても勤まると思うんですけど」
「俺は、あなたが好きなんです」
 駄々っ子のように、カカシは言う。
 好きだから、相手が男でも抱くという発想を疑問に思わないらしい。いまさら驚きはしないが、やはりここは世間の常識を知らせておいた方がいいだろう。
 イルカは卓袱台の前に正座して、重々しく言った。
「ふつう、どんなに好きでも、同性間でああいうことはしないんですよ」
「どうしてですか?」
 だから、そういうことをのほほんと訊かないでほしい。理由なんか、あるか。それが最大多数の最大幸福なんだ。
「じゃあ伺いますけど、あんたはどうして、おれが好きなんですか」
 逆に、訊いてみる。飯を作ってくれるから、なんて言うなよ。
「イルカ先生のごはんは美味しいですから」
 ……まじかよ。おい。
「それに、イルカ先生も」
 訊かなければよかったかも。
「はじめてなんですよ、俺」
「は?」
「だれかと、一緒に寝たいって思ったのって」
 カカシは、じっとイルカを見た。
「いままでは、だれでもよかったんですけどね」
 爆弾発言だ。いや、この男なら、それもありか。
「だから、あなたに喜んでもらおうと思って、勉強したんですよ」
「べ……勉強?」
 なんの勉強だ。何の!
「春風楼の姐さんが親身になってくれましてね。いろいろ教えてくれたんです」
「春風楼って、あんた……」
 妓楼で、男の抱き方習ってきたってか? 訊く方も訊く方だが、教える方も教える方だ。遊女が客に、そんなもん教えるんじゃねえっ。
 イルカの頭の中では、罵詈雑言の嵐が吹き荒れていた。
「あ、怒りました?」
 心配そうに、カカシは言った。
「すみません。そうですよね。イルカ先生がいるのに、廓なんか行っちゃいけませんよね。わかりました。俺、これからはイルカ先生一筋ですから」
 一筋じゃなくていい。毎晩でも、春風楼に通ってくれ。飯は喰わせてやるから、あっちの方は余所で済ませてほしい。
 そんな心の叫びを知る由もなく、カカシはずい、とイルカの眼前に迫った。
「だから、寝ましょうよ。ね?」
 囁くような声。形のいい手が、イルカの腰に回る。
 ぞくり、と背中が震えた。たった二回でも、体はすっかりカカシに馴染んでしまった。
 だから、嫌なんだ。触れられたら、こうなるのがわかっているから……。
 そのまま押し倒される。カカシは左手で、額当てを外した。銀の髪のあいだから、真紅の瞳が現れる。
 右眼の藍、左眼の紅。まったく、奇麗な顔して、やることはめちゃくちゃだ。
 最大多数の最大幸福なんて、この男に期待しても無駄だ。この男は、自分の幸福しか考えていないのだから。
「……奥に、行きませんか」
 せめて、夜具ぐらい敷かせてほしい。
「はい。行きましょう」
 やったあ、という声が聞こえてきそうな顔だ。もう抗う気力も失せて、イルカはため息をついた。
 そして、今日もおれは、情けなさと自己嫌悪とともに、説明のつかない充足感を味わうのだろう。
 できるだけ、明日に響かないようにしてくれるといいのだが。
 淡い期待を抱きつつ、イルカはカカシとともに八畳間に入った。



  (THE END)


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