ねばり強い愛〜魔の食欲上忍シリーズ27〜  BY つう








 その日、はたけカカシはS級任務を無事に終えて二十日ぶりに木の葉の里に戻ってきた。そして。
「今日のおかずはなんですか〜?」
 例によって例のごとく、イルカ宅の玄関を叩いたのである。




 ピー、ピー、ピー、という音が台所から聞こえる。イルカはゆっくりと目を開けた。ああ、飯が炊けたな。タイマーをセットしておいてよかった。とりあえず、飯さえあればなんとかなる。
 霧がかかったようになっている頭でそこまで考えたとき、ゆさゆさと背中を揺らされた。
「ねえねえ、イルカ先生。おなかがすきましたー」
 炊飯器のお知らせ音で、横にいた銀髪の上忍も目を覚ましたらしい。ちくしょう。もう少し寝ていようと思っていたのに。
「いまの、ごはんが炊けましたよーっていう音でしょ」
 さらに肩を揺すりながら、言う。
「炊き立てごはんには、梅干しと焼き海苔ですよねっ。あ、とろろ昆布もいいなあ」
 勝手に朝食のメニューを決めている。
「あと、卵焼きと塩シャケとワカメの味噌汁と……」
 そんなにたくさん、作れるかっ!
 そう叫びたいのをぐっとこらえる。だめだ。いまこの男を怒らせたら、それこそ足腰立たなくなるまで責められてしまう。
 昨夜は、二十日ぶりだし無事に帰ってきたのだからと、オーダー通り「フルコース」を提供した。それだけでも、体は油切れした機械のようになっているというのに、このうえ挑まれてはたまらない。
 今日はアカデミーで会議がある。定期試験の問題作りもある。休むわけにはいかないのだ。
「……カカシ先生」
 腰の疼痛と関節痛をこらえつつ、なんとか上体を起こした。
「はいっ。なんですか?」
「申し訳ありませんが、卵もシャケも切らしてまして」
「えーっ、そんなあ」
 途端に、しゅんとした顔になる。この顔に弱いんだよな。でも、ないものは仕方ない。梅干しや海苔はあるし、味噌汁もすぐに作れる。たしか、きのう向かいのおばさんにもらった白菜の漬物もまだ残っていたはずだ。飯は五合炊いてある。盛大に丼で汁かけごはんでもしてもらうか。
「そのかわり、味噌汁をたくさん作りますね」
 鶴丸印の両手鍋の、いちばん大きなやつで作ってやる。
「はーいっ。じゃあ、ワカメいっぱい入れてください〜」
 また、ころりと表情が変わる。ちょっとしたひと言で。
「それから、白ネギのみじん切りも」
 本当に、注文が細かくなったな。苦笑しつつ、立ち上がる。すぐに出られるように忍服に着替え、イルカは台所に立った。
 梅干し、焼き海苔、ワカメと白ネギの味噌汁。冷蔵庫を開けて、材料を取り出す。
「ああ、納豆もありますよ。召し上がりますか」
「え、納豆ですか? 食べます食べますっ」
 卓袱台の前でひざを抱えてすわっていたカカシが、手を上げて答えた。
「納豆を食べると、頭がよくなるんですよねっ」
 そういえば、最初に納豆を出したときにそんなことを言ったっけ。あのときも「納豆ー、なーっとうなっとう〜」と鼻唄まじりに歌っていた。まったく、これが里を代表する上忍だとはおそれいる。
 もっとも、ほんの子供のころからS級やA級任務ばかりのこの男の精神は、そうでもしなければ守れなかったのかもしれない。年相応の「おとな」になっていたら、きっといまごろ、この男はここにいない。
 任務の意味や、周囲の状況や、そんなことを考えてしまったら。
 なにもできなくなるか、逆に歯止めが利かなくなる。
「いい匂いですねえ」
 肩越しに、カカシの顔。
「あっ……危ないじゃないですか」
 いけないいけない。考え事をしていたので、カカシの気配を察することができなかった。
「火を使っているときに、いきなりうしろに立つのはやめてください。味噌汁、ひっくり返したらどうするんです」
「悲しいです〜」
「悲しいとか悔しいとかじゃなくて……火傷するでしょーが」
「あ、そうですね」
 いま気づいたように、言う。
「すみません。これから気をつけます」
 なんだ。意外と素直だな。もしかして、ゆうべのフルコースが利いているのかも。
 ……がんばったもんな、おれ。自分で自分を誉めたい気分である。
 そうこうしているうちに味噌汁も出来上がり、ふたりは卓袱台の前にすわった。
「いっただきまーす!」
 ぱちっと手を合わせる。丼飯に箸をのばすと思いきや、納豆を入れた小鉢を手にした。いたずらを仕掛ける子供のような顔で、にんまりと笑う。
「イルカ先生、知ってました?」
「……なんですか」
 いくぶん、腰を引きぎみに答える。
「納豆って、五百回混ぜるとすごーーーくおいしくなるんですよ」
「はあ?」
 五百回?? なんの冗談だ、それは。
 たしかに納豆はよく混ぜた方がいいが、五百とはケタが違う。五十回で十分だぞ。
「それに、五百回混ぜると納豆の栄養分がぜーんぶ出てくるんですって」
「はあ……そうですか」
「じゃ、いっきまーーーーすっ」
 箸を握り締め、カカシは猛然と納豆の小鉢に向かった。
 カシャカシャカシャカシャ……
 速い。肉眼ではまったく見えない。
「できました〜」
 ほぼ十秒後。小鉢の中の納豆は、こんもりと盛り上がっていた。クリーム色の泡の中、納豆が浮いているように見える。
「ほらっ、イルカ先生。見てください、この糸!」
 つつつつーーーーっと、絹糸のような光沢のある糸が伸びていく。
「これで、もっともっと頭がよくなれますよねっ」
「……そう……ですね」
 コメントをする気力もない。
「でも、これだけじゃダメなんですよー」
 なんだ。まだなにかあるのか?
 箸を持つ手が震える。カカシはおもむろに醤油を小鉢にたらし、
「醤油を入れて、さらに百回!」
 カシャカシャカシャ……今度はほんの一秒あまりで終わった。
「これで、完璧です!」
 もう、なにも言うまい。
 どこで聞いてきたか知らないが、カカシにとってはこれが最高の食べ方なのだ。どろどろで、ぶくぶくで、とんでもないシロモノだが。
「はい、どーぞっ」
 どろり。クリーム色の泡だらけの物体が、イルカの茶碗に入れられた。
「究極の納豆ごはんですよ〜」
 このうえなく、しあわせそうな顔。イルカは茶碗を取った。
「……いただきます」
 半ば罰ゲームの心境で、イルカはそれを口にした。
「……………」
「ねっ。おいしいでしょ」
 ふた色の瞳が、きれいに細められた。
「……はい。おいしいです」
 イルカは感想を述べた。嘘偽りのない感想を。
「やったあ。イルカ先生に喜んでもらえて、うれしいです〜」
 言葉通り、心底うれしそうな顔で言う。イルカも笑みを返した。
 なんだか、キツネにつままれたみたいだな。箸を運びつつ、思う。これはたしかに旨い。まろやかで、香りがよくて。
 その間に、カカシは自分のぶんの納豆をかき混ぜていた。五百回プラス百回、計六百回。目にも止まらぬ速さでスフレ状の納豆ができあがった。丼飯にぶっかけて、ぱくぱくと食べ始める。
 こうして。
 早春の光が差し込む六畳間で、男ふたりの朝食が妙に和やかに進んでいった。



(THE END



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