木の葉隠れの里の秋〜魔の食欲上忍シリーズ9〜  BY つう








 イルカは、自分の耳がおかしくなったのかと思った。
「あの……すみません、カカシ先生。いま、なんとおっしゃいました?」
 ことさら丁寧に、訊く。
「いらないって、言ったんです」
 壁の前で正座したまま、カカシは答えた。
「はあ、その、いらないって……ごはんですよ?」
 卓袱台の上には、栗ご飯としめじの吸い物、焼魚などが乗っている。
「いりません」
「でも……」
「俺のことはいいですから、イルカ先生、どうぞ召し上がってください」
 じっと畳を見つめて、言う。
 やっぱり、あれがまずかったのかな……。
 本当に、子供みたいな男だ。ちょっとした失敗を笑われただけで、こんなに頑なになってしまって。
 イルカは小さく、ため息をついた。






 今日、イルカは夜勤明けで、起きたのは昼ごろだった。
 天気も上々。絶好の家事日和である。せっかくの休みをそういうことに使うのはもったいないという意見もあるだろうが、イルカはそれを苦にしないタイプだった。
「とりあえず、洗濯だな」
 敷布やカバーを剥がし、一気に洗う。午後の日差しの中、それを手早く干すと、次は部屋の掃除だった。時期的に窓を開けることが多いので、細かい砂ぼこりが結構入り込んでいる。
「こういうので、のどを痛めたりするんだよなあ」
 ぶつぶつ言いながら、水で湿らせた新聞紙をちぎって畳の上にまく。こうすると、余計な埃をたてずに、掃き掃除ができるのだ。
 どう見ても、思いきり所帯じみている。独り暮しが長いうえに、このところ限定一名のために飯を作ることも多くなって、ますますそれに拍車がかかった。
 ったく、おれは、妾じゃねえぞ。
 その限定一名であるところの銀髪の上忍は、当然のように飯を食いにきて、泊まっていく。そして、かなりの高確率でイルカの蒲団の中に入ってくる。
「じゃ、いたしましょうか」
 この妙に丁寧な物言いが曲もので、「?」マークが頭に残っているうちに、夜着を剥ぎ取られてしまうのだ。
 悔しいが、イルカの体はカカシと相性がいいらしい。衆道の気があったわけではないのに、たいして嫌悪感を感じることもなく関係を結んでしまったことからしても、それは明らかだ。
 まずかったよな。
 後悔先に立たず。いまさら、なにもなかったころにはもどれない。
 中の掃除が一段落したので、外に出る。裏庭に回って、竹ぼうきで落ち葉を掻き集めていると、八畳の窓がからりと開いた。
「あー、いたいた。イルカ先生、こんにちは」
 カカシである。
 また、勝手に上がり込んだな。
 頭の中で、毒突く。たしかに、玄関の鍵はかけていなかったが、だからといって人んちに無断で入るなと、あれほど言っているのに。
「今日のおかずは、なんですか?」
 にこにこと、訊く。イルカは竹ぼうきを置いた。
「栗ごはんと、焼魚です」
 昨日、ご近所から分けてもらった栗は、もう皮をむいて釜に仕掛けてある。
「ここの掃除が終わったら、作りますね」
「はーい。待ってます」
 カカシは窓から首をひっこめた。
 今日は、来るのが早いな。
 そんなことを考えながら、ふたたび箒を取る。落ち葉の掃除は苦手だ。せっかく集めても、風が吹くと元の木阿弥だ。幸い、今日は風が弱いので助かるが。
「なにか、手伝いましょうか?」
 そう言いながら、カカシが裏庭にやってきた。
「え……」
 イルカは耳を疑った。カカシがこの家に通うようになってずいぶんたつが、いままで茶碗ひとつ片付けたことがない。
 ちょっとは成長したのかな。
 教師モードで考える。それならそれで、喜ばしいことなのだが。
「うわー、たくさん、集まりましたねえ」
 落ち葉の山に、カカシは嬉々として言った。
「ねえねえ、焼き芋、しませんか」
「はあ?」
「子供のころ、よくやったんですよ」
 この男に、落ち葉を集めて焼き芋をするような、まっとうな過去があったのか?
 疑いのまなざしを向けるイルカに、カカシは言った。
「遠征のときって、まともな食料、ないじゃないですか。で、俺、近くの畑から芋を盗んできて、山ん中で焼いて食べたんですよー」
 ……やっぱり、それか。
 この男の食生活は、とことん任務と結びついている。
「芋はありませんが……ああ、そうだ。栗、焼きましょうか」
 ごはんに混ぜたもののほかに、きんとんでも作ろうかと分けておいたのだ。
「ちょっと待っててくださいね」
 イルカは家に入り、おがくずの中に保存していた栗を持って、裏庭にもどってきた。
「枯れ枝も結構ありますから、うまく焼けると思いますよ」
 地面を少し掘って、その中に落ち葉と枯れ枝を入れる。栗を中心に置いて、紙縒りで火を差す。全体に火が回ったところで、上からさらに葉っぱや枝を足していく。
「ごはんの用意をしてきますんで、カカシ先生、ちょっと、ここで火の具合を見ていてくださいますか。消えそうになったら、葉っぱを足してください」
「わっかりましたー」
 カカシは、上機嫌で答えた。
 いつもながら、まるで子供である。自分の興味のあることを任されると、途端にテンションが上がる。
「よろしくお願いします」
 そう言って、イルカは家の中に入った。





 そして、約半時のち。
 魚も焼けて、まもなく栗ごはんも炊き上がるころ。
 カカシは焚き火の側にしゃがみこんでいた。
「まーだかなー」
 つんつんと、枯れ枝で焚き火をつつく。
 イルカは思わず、頬をゆるませた。カカシの姿が、まるで五、六歳の子供に見えたのだ。
 空腹を満たすためだけではなく、ただなんとなくわくわくするという経験を、この男はしたことがないのだろう。この男には、一般的な子供時代がなかったのだから。
「栗って、結構、時間がかかるんですねえ」
 そう言って、カカシが焚き火をかき回そうとしたとき。
 パン、という音がして、栗がはじけた。
「……!」
 カカシは咄嗟に飛びのいて、反射的にクナイをかまえた。
 音と、なにかが飛び出す気配。それを、なんらかの攻撃と判断したのか。
 その、あまりにも真剣な様子に、イルカは思わず吹き出してしまった。
「なにやってんですか。栗がはじけただけですよ」
「え……栗?」
 まじまじと、カカシは焚き火を見据えた。
「そうですよ。それを、まるで奇襲があったみたいに。たかが栗ひとつに、上忍も形無しですね」
 あまりにもめずらしい光景を見てしまったので、つい口がすべった。
 カカシの表情が、瞬時に凍りつく。
 しまった、と思ったときには遅かった。カカシはそっとクナイを仕舞うと、すたすたと家にもどっていった。
 気まずい雰囲気。イルカは焼き上がった栗を拾い、玄関に回った。





 そして。
 冒頭の通りである。
「いりません」
 カカシは、断固として夕食を拒否した。
 栗など、見るのも嫌なのかもしれない。イルカはそう思って、自分の分だけを黙々と食べ、そそくさと後片づけに入った。
 カカシがここに来て、なにも食べないのははじめてだ。たかが栗、されど栗、なのかもしれない。
 カカシはじっと六畳間の壁の前にすわっている。まるで禅の修業中の僧侶のように。
 片付けを終えて、イルカはさてどうしたものかと腕を組んだ。すでに夜は更けている。食事もさせないままに追い返すのも忍びない。
「あの……」
 イルカは声をかけた。
「茶漬けでも、作りましょうか?」
 カカシは、ゆっくりと顔を上げた。
「いりません」
「でも……」
「それより、蒲団、敷いてください」
「はあ?」
「俺は、腹が減ってるんです」
 脈絡が、まったくない。
「ですから、なにか作ろうかと……」
「あなたが、いいです」
 カカシの両手が、イルカの肩をがっしりと掴んだ。
「え……ちょっと……」
「待ちませんよ」
 常とは違う、低い声。
「言ったでしょう。俺は、腹が減ってるんです」
 馬鹿野郎! おれはあんたの食料じゃねえぞっ。
 心の中で叫ぶ。しかし、それは実際の声にはならなかった。カカシの口が、それを封じたのだ。
 見事なほどに、イルカの体はカカシに応えるように変化していく。
「……蒲団……敷けって……」
「もう、いいです」
 くぐもる声。次々と与えられる熱。
 ああ、もう、どうとでもしてくれ。おれが悪かったよ。ちくしょう!
 脳裏に、収拾のつかない感情がうごめいて、イルカはその状況に流された。





 いつにもまして、執拗な情交だった。しかも畳の上であったため、イルカは背中に擦傷を負ってしまった。
 足を抱え上げられると、背中に自分の体重と行為の際の圧力とがかかる。たぶん、ところどころ皮が剥けているんだろうな……。体を横にして息を整えながら、イルカはそんなことを考えた。
 体を拭いて夜着を着たかったが、どうにも起き上がる気になれない。
 カカシはさっさと身繕いをして、奥に入っていったようだ。
 このまま放っておかれたら、風邪をひくかもしれない。イルカはようやく、上体を起こした。
「あ、目が覚めました?」
 奥から、カカシが顔を出した。
 起きてたよ。ただ、起き上がれなかっただけで。
 イルカはゆるゆると、カカシを見上げた。
「じゃ、こっちに来てください」
 カカシの手が、イルカの腕を掴む。
 奥の八畳間には、夜具が用意してあった。ご丁寧に、枕元には後始末のときに使う練り布と手水鉢まで置いてある。
「今度は、違う方法でしましょうね」
「え……」
 イルカは、頭の中が真っ白になった。
 しましょうね、って……もう一回、やるつもなのか?
「あの、それは、無理です」
 イルカは後退りした。カカシはにっこりと笑った。
「無理じゃないように、します」
「でも……」
「俺、まだ、お腹がすいてるんですよ」
 完全に、切れている。
 食欲と性欲の区別もつかなくなっているのか。この男は。
「だから、くださいよ。あなたを」
 無邪気な声。のびてくる手。イルカは、自分がとんでもないものに魅入られてしまったのだと、このときはじめて知った。





 結局。
 未明まで、イルカはカカシに組み敷かれていた。
 交わった回数は、もう言うまい。
「欠勤届、出しておいてあげますね」
 混濁した意識の中で、カカシの飄々とした声を聞いたような気がした。
 欠勤届、か。気が利いてるよな。ありがたいよ。どう考えても、今日は仕事ができる状態じゃない。
 ……栗なんか、もう、二度と食わねえぞ。
 心の中でそうつぶやく。イルカは夜具に突っ伏して、うつらうつらと眠りに落ちた。



 翌日。
 ナルトはイルカから袋いっぱいの焼き栗と、竹の皮に包まれた栗ごはんの握り飯をもらい、上機嫌だった。サスケやサクラも相伴に与って、秋の味覚を満喫した。
 例によって、思いっきり遅刻してきた上忍に、
「カカシせんせー、ほら、おいしそうだろ。分けたげよっか?」
 自慢するようにそう言ったナルトに、カカシは絶対零度の視線を向けた。
「俺、栗って、だーいっきらい」
 その日。
 ナルトたちは親の仇のようにしごかれた。
 その後、七班では「栗」は禁句になったという。



  (THE END)


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