亜熱帯の思い出〜魔の食欲上忍シリーズ7〜 BY つう 昼休みの事務局。 イルカは握り飯を頬張りながら、さて今夜はなにを作ろうかと考えていた。 そろそろレパートリーも尽きてきた。自分だけなら三日続けてカレーを食べても平気だし、適当に惣菜を買って帰ればいいのだが、いかんせん、三日に一度は精神年齢五歳、実年齢は……いくつだったか定かではないが、少なくとも自分よりは年長の上忍が、「今日のおかずはなんですか?」とやってくるのである。 前もってわかっていれば、それなりに準備もできるのだが、ほとんど抜き打ちのようにして来るので、ときには三日目のカレーだったり、煮込みすぎて味が濃くなった豚汁だったりする。さすがにそういう残り物を出すのは気が引けて、外に食べに行こうとすると、件の上忍は「イルカ先生のごはんがいいんです」と譲らない。 まったく、余計なことをしなければよかった。 すでに、千回は後悔している。あの男に、飯なんか作ってやるんじゃなかった、と。 「美味しいですねえ」 そう言って、ほくほくと笑う顔が好きだった。本当に幸せそうに、子供のように笑うのだ。あれに、騙された。 いや、本人は騙す気などなかったのだろうが、こっちとしては一生の不覚だった。あの顔を見てしまったから、いまだにヒナにエサを与える親鳥よろしく、自分よりタッパのある男にせっせと飯を作っている。 おとといの晩は肉じゃがだった。このところ肉が続いたから、そろそろ野菜中心の料理も作らないと。そういえば、特価のときに買ったヒジキを水屋に入れっぱなしにしてたっけ。とりあえず一品はヒジキの煮物に決定だな。 こんなことで頭をひねらなければならないのが、つくづく情けない。仮にも、木の葉隠れの里の中忍が。 イルカはいまさらながらにそう思い、握り飯の最後のひとくちを飲み込んだ。 「こんばんはー」 来た。 台所でにんじんを切っていたイルカは、包丁を置いて玄関に出た。 「今日のおかずは、なんですか?」 毎度おなじみの台詞を言いつつ、カカシが入ってきた。 「ヒジキの煮物と、粕汁です」 近所から漬物を分けてもらったから、それで茶漬けをしてもいい。 「ひじき?」 カカシは首をひねった。 「なんですか、それ」 この男は、驚くほど食物の名前を知らない。幼いときから実戦に出ているので、野草や木の実など非常用食料の知識はあるのだが、ごく日常的な食べ物の名前は頭に入っていないらしい。 彼にとって、食べ物は食べられるかどうかだけが重要であって、名前や調理法などは二の次なのだ。 「海草ですよ。ミネラルに富んでいて、体調を整える働きがあるんです」 イルカは、ヒジキの袋を指さした。 「へえ、薬みたいなもんですか?」 カカシは、乾燥ヒジキをつまんだ。ぽい、と口に入れて、 「固いですよ、これ」 「あたりまえです。そのまま食べるもんじゃないですよ。水でもどして、煮るんです」 「ああ、乾飯みたいなもんですか」 「……そうですね」 基準は、そこか。もしかして、この男の幼少期の食事は非常食で成り立っていたのかもしれない。 「ちょっと、いま、野菜切ってますから、そこのボウルに水をはって、適当にヒジキを入れてください」 「はーい」 楽しそうな、カカシの声。 ほんとに、子供だよな。ちょっとしたことを頼んだり、なにかの折りに礼を言ったりするだけで、このうえなく上機嫌になる。逆に、少しでも邪険にしたり叱ったりすると、途端に元気がなくなるのだ。 アカデミーの子供でも、もう少し処世術をわきまえていると思うのだが。 そのあたり、なんとなくナルトと似ている。認められると、がぜん張り切るところなど。 にんじんとこんにゃくとうすあげを細切りにして、さて、ヒジキと一緒に炒め煮にしようかとボウルを見ると、そこには、山盛りに膨らんだ黒い物体があった。 「……カカシ先生」 イルカは、卓袱台の前にすわっていた上忍に声をかけた。 「ヒジキ、どれぐらい入れたんですか?」 「あ、適当って言われたんで、全部入れたんですけど」 阿呆か。「適当」と「全部」は違うだろうが。 心の中で吐き捨てる。しかし、それを言ってはいけない。 「……ちょっと、多すぎましたね」 精一杯、ぼかした表現。 「そうですか? すみません」 カカシは上目遣いにイルカを見た。 「いまから作りますから、たくさん、食べてくださいね」 たくさん、に力を込めて言う。 「はいっ。待ってます」 にっこりと、カカシ。イルカは、ため息まじりに調理を再開した。 「お待たせしました」 惣菜屋の店先に並んでいるような大皿が、どん、と卓袱台に置かれた。 「粕汁作りますから、先に召し上がっててください」 「はーい。わかりました」 山盛りのヒジキの煮物を前に、カカシは嬉々として箸を取った。 「いただきまーす」 ごはんを片手に、猛然とヒジキの山を崩す。一応、取り皿も出してあるのだが、それを使おうという気はまったくないらしい。ごはんの上にヒジキを乗せて、美味しそうに食べている。 この際、細かいことは言うまい。機嫌よく食べてもらえればいい。 イルカは粕汁の中に焼いてほぐした鮭を入れた。香ばしい匂いがする。 これと炊き立てのごはんだけでも、十分だよな。そんなことを考えながら、卓袱台を見ると、すでに大皿の半分ちかくが空になっていた。 「……カカシ先生」 思わず、言った。 「無理しなくてもいいんですよ」 いくらなんでも、無茶な食べ方だ。 「え、べつに、無理なんかしてませんよ。とっても、美味しいです」 けろりとして、カカシは言う。 「それなら、いいんですが」 イルカは粕汁を椀に入れて、カカシの前に置いた。 「ごはん、おかわりしますか」 「はいっ。お願いします」 ぽつぽつとごはん粒のついた茶碗を差し出す。イルカはそれを取って、二杯目をよそった。 カカシは上機嫌で食べている。さて、それじゃ、おれも食べるかな。 そう思って、箸を手にしたとき、カカシがもぐもぐと口を動かしながら、言った。 「ねえねえ、イルカ先生。ひじきって、なんか、ムシみたいですねえ」 「はあ?」 ムシって……虫か? 「俺、昔、南の島で道に迷ったことがありましてねえ。そのとき、なんにも食べるものなくて、こういう感じのムシを茹でて食べたことあるんですよ。黒くて、ひょろっとしてて」 そんなこと、いま思い出さなくていい。 イルカは途端に、食欲を失った。目の前のヒジキが、亜熱帯の森にいる蛭かなにかに見えてくる。 「……どうかしましたか?」 カカシは、蛭のかたまりを……もとい、ヒジキをむしゃむしゃと食べながら、首をかしげた。 「いえ、べつに。……たくさん、食べてくださいね」 吐き気をこらえつつ、先刻と同じ台詞を繰り返す。 「ありがとうございますー」 うれしそうな顔をして。 この男の神経は、きっと鋼鉄でできているんだ。さもなくば、まったく神経がないのか。 結局、イルカはその日、お茶しか口にすることができなかった。 その原因を作った上忍は、そんなことにはまったく気づかずに、満腹になるまでヒジキや粕汁を食べたあげく、皿に残った料理を持参した重箱に詰めて、ほくほく顔だった。 「ほんとに、全部もらっていいんですか?」 「……ええ。どうぞ」 「優しいんですね、イルカ先生」 にっこり笑って、カカシはイルカの手を取った。 「じゃ、寝ましょうか」 今日も、泊まるつもりなのか? 気力体力ともに低下している状態で、この男の相手ができるだろうか。 はなはだ疑問ではあったが、もう、断るのも面倒くさい。イルカは心の中で大きくため息をつきつつ、部屋の電気を消した。 (THE END) |