秋彼岸〜魔の食欲上忍シリーズ21〜 BY つう 夜勤明けの朝は、眠い。 あたりまえだが、何事も手を抜くことのできないイルカにとっては、ことさらその感が強かった。事務局の人使いの荒さは有名である。昼の勤務から引き続き外回りの夜勤、などということも日常茶飯事だ。 「こーゆーことをするから、事務方に回ってくるやつがいないんだよな」 自宅への帰り道、イルカはぼやいた。 アカデミーの事務局は、地味な職場である。実際は各部との連絡や企画の立案などやりがいのある職場なのだが、それがわかるまで事務局に留まる者は少ない。イルカと同期の中でも、いまだに事務局にいるのはひとりだけだ。 「もう少しローテーションを考えてもらわないと……」 今度、局長が機嫌のいいときを見計らって掛け合ってみよう。 そんなことを考えながら、イルカは帰路を急いだ。 蒲団にもぐったのは、夜が白々と明けてきたころだっただろうか。 今日は一日、休みだ。昼までゆっくり寝よう。ゆらゆらと眠りが訪れ、その心地よさに漂っていたとき。 「イルカせんせい〜」 声とともに、玄関の戸を叩く音がした。 ……嘘だろ、おい。 これは夢だ。いくらなんでも、朝っぱらから、しかも夜勤明けにあの男がやってくるはずはない。あの男はおれの作る飯と、あまり考えたくはないが「おれ」が目当てなんだから。 こんな時間じゃ、どちらもムリなのはわかりきっているじゃないか。いや、でも、もしかして……。 いつぞやのように、急に長期任務に出ることになったのだろうか。 「イルカ先生、開けてくださいよー」 声も、ドアを叩く音もますます大きくなる。これじゃご近所迷惑だ。 張り付いたようになっていたまぶたをなんとか上げて、イルカは蒲団から抜け出した。 「ちょっと待ってください!」 夜着の襟や裾を直しつつ、叫ぶ。寝乱れた姿など見せたら、その場で押し倒されるのは必至だ。 「なんですか、こんな時間に……」 いくぶん不機嫌な口調でそう言いながら、扉を開ける。これぐらいはいいだろう。非常識なことをしているのは、相手の方なのだから。 「おはようございますっ」 そんな思いを知るはずもなく、カカシはいつも通りのにこやかな顔で玄関の中に入ってきた。 「あれえ、もしかして、まだ準備してないんですか?」 カカシは台所を見遣って、言った。 「準備?」 話が見えない。 準備って、なんの準備だ。なにか、この男と約束でもしただろうか。だとしたら、それを忘れていたなんて致命的だ。もう、ここで組み敷かれても文句は言えない。 ごくり。唾を飲み込む。イルカは覚悟を決めて、口を開いた。 「あの、カカシ先生」 「はい?」 「たいへん申し上げにくいんですが、準備って……」 「え、イルカ先生、忘れてたんですか」 万事休す。うっかりしたら、フルコースで責められるかも。 過去の経験からいって、その確率は高い。イルカはぐっと奥歯を噛み締めて、頷いた。 そう言えば、さすがに朝っぱらからなんて、いままでなかったよな。できれば、家に結界を張ってほしい。これでもご近所付き合いはまめにやっている。夜勤明けの日や休日はそれなりに行き来もしているから、いつなんどき、だれかが訪ねてこないとも限らないのだから。 「イルカ先生でも、そーゆーことってあるんですねえ。念のために買ってきておいて、よかったですよー」 殉教者のような心持ちのイルカの前に、大黒天が持っているような大きな布袋が置かれた。 「これは……」 たしか、盆のときに同じような袋を見た覚えがある。カカシはにっこりと笑って、 「お米と小豆と砂糖ときな粉とゴマでーす」 「はあ?」 「だって、今日は彼岸の入りでしょ。イルカ先生、ぼた餅作ると思って……ああ、秋の彼岸は『おはぎ』でしたよね」 それぐらいは知っているんだぞ、という顔。イルカは思わず吹き出した。 「なんですか? なんか、へんなこと言いましたか、俺」 今度は、ちょっと不安げな顔になる。 まるでアカデミーの子供みたいだ。いや、たしかに、この男は子供。ほしいものをほしいと言うことしかできない、小さな子供だ。 「いいえ、べつに。『おはぎ』で合ってますよ」 「よかったー。じゃ、作りましょうか」 「え?」 作るって、いまからか? 「えーと、これが米で、こっちが小豆で……あ、俺、粒餡がいいです。できれば、きな粉のおはぎの中にも餡を入れてほしいなー」 酒量が減ったせいか、このところカカシは甘いものを好んで食べるようになった。味覚もそれなりに発達してきたようで、それはそれで喜ばしいことなのだが、いきなりおはぎを作ろうと言われても困る。材料が揃っていても、下準備というものが必要なのに。 「カカシ先生」 事実は、きっちりと告げねばなるまい。イルカは六畳間に正座した。カカシも布袋を手にぺたんとすわる。 「残念ですが、無理です」 「えっ……」 信じられないといった表情で、カカシは絶句した。 「どっ……ど……どうしてですかっ!」 いきなり眼前に迫られ、イルカはすわったままあとずさった。壁に背中がぶつかる。 「イルカ先生っ! もう俺にごはんを作ってくれないんですかっ!?」 必死の形相だった。まずい。言葉が足りなかった。このままでは、誤解されたままフルコースに突入だ。 「だれがそんなことを言いましたか!」 負けじと、眼を飛ばす。 「だって、いま……」 「餡は無理だって言ったんです。小豆があっても、そんなにすぐにはできないんですよ。一晩は水に漬けておかなきゃいけないし、茹でて、砂糖を少しずつ入れて、水分が飛ぶまで何時間もかけて練らなきゃいけないんですから」 春の彼岸のときは、市販の茹で小豆を買って作った。それでも、餡だけは前日に用意していたというのに。 カカシは、藍色の隻眼を丸くした。 「そんなに、手間のかかるものだったんですか」 「そうです。だから今日は、きな粉とゴマと……あと、うちに青のりがありますから、それで我慢してください」 「……仕方ないですね」 しゅんとして、カカシは言った。 「イルカ先生の粒餡、おいしかったのになあ」 市販のものに、ちょっと手を加えただけなのに。 いつも、そうだ。極端な話、たとえ出来合いの惣菜でも、皿に盛り付けて「たくさん食べてくださいね」と言葉を添えるだけで、この男はこのうえもなくしあわせそうな顔で箸を運ぶ。 「餡は……お月見のときに作りますよ」 イルカは言った。そう。十五夜のときに。 月見の団子をたくさん作って、一緒に食べよう。いつぞやのように、月のうさぎの話でもしながら。 「お月見、ですか」 カカシはぱっと顔を上げた。うれしそうな笑顔。 「そうですよね。うわあ、楽しみだな。イルカ先生が作ってくれるなら、ニンジンが入っててもいいですー」 団子にニンジンなんか入れないって。イルカは苦笑した。もっとも、団子汁の具にニンジンというのは、いいかもしれないが。 「じゃあ、米を洗いましょうか」 イルカは立ち上がった。 「はいっ。俺、手伝います〜」 すっかり機嫌が直ったらしい。カカシは米袋をどん、と流し台に置いた。 「十キロも洗わなくていいですからね」 まさかとは思うが、一応、釘を差す。 「はい〜。じゃ、半分ぐらいで」 「……一キロもあれば、十分です」 あいかわらず加減のわからぬ男だ。 イルカは、ほとんど徹夜明けの状態でおはぎ作りに取りかかった。 彼岸には、おはぎを作る。それを持って、墓参りに行く。 そんなあたりまえのことができる日常に、心から感謝して。 そんなあたりまえのことを、やっとできるようになったあんたと一緒に。 (THE END) |