彼岸会〜魔の食欲上忍シリーズ16〜  BYつう






 その日、うみのイルカは早朝から台所に立って、ぼたもち作りに精を出していた。
 米を蒸して、潰して、まるめて、餡やきなこや青のりをまぶす。
「こんなもんかな」
 大きな皿にずらりと並んだ三種類のぼたもち。一昨日から任務に出ているカカシが今日あたり帰ってくるだろうと予測して、今年は自分で作った。去年までは墓参りに持っていく分だけ、市販のものを買っていたのだが。
「俺、イルカ先生の作ったものがいいです」
 なにかにつけて、カカシはそう言う。
 家事は嫌いではないし、料理もそれなりにできるのだが、イルカとて得手不得手はある。当然ながら、出来合いのものの方が美味しい場合もある。それでも。
 カカシはイルカが作ったものでないと、食べようとしない。もっとも、貰いものや市販の品でも、イルカがひと手間かければ、それで納得するようだが。
「やっぱり、イルカ先生のごはんはおいしいですねえ」
 どんぶりを片手に、ほくほく顔でカカシは言う。子供のようなその笑顔を見ていると、なんとなくあたたかな気分になってくる。
『ほんとに、あんたってなんでも、おいしそうに食べるわねえ』
 母がよくそう言って、笑っていたのを思い出す。
『作り甲斐のある顔だわよ』
 どんな顔だよ、それって。
 あのときはそう思っていたが、いまならわかる。目尻を下げて、しあわせそうに食べるカカシの顔。あれが、母の見ていた顔なのだろう。
 写輪眼を持つ銀髪の上忍。里を代表する手練れ。暗部時代は、それこそ通ったあとに屍の山を築いたと噂される男。
 世間の言う「コピー忍者」のはたけカカシと、卓袱台の前で「まーだかなー」と箸を手にして待っている男が同一人物だとはいまだに信じられないが、逆に言えば、自分はだれも知らぬ「はたけカカシ」を知っているということだ。
 イルカの隣で、カカシは眠る。熟睡する。結界も張らずに。
 この状態なら、殺せる。
 一度だけ、そう思ったことがある。むろん、自分にはカカシを害する気持ちなどまったくない。が、自分の命を捨てる気なら、閨での暗殺が容易であることをあらためて認識させられた。
 実戦に出ることなど、もうないだろう。それでも、なにかにつけて考えてしまう。最も効果的な方法はなにか。そして同時に、その防御策も考える。
 悪い癖だな。
 蒸籠やボウルを洗いながら、イルカは苦笑した。
 明るい春の日が、窓から差し込んでいる。鳥の鳴く声。川面を渡る風の音。こんなに穏やかな、彼岸の入りは何年ぶりだろう。
 ひと雨ごとに暖かくなってくるこの時期に、冬に逆戻りしたかのような寒風が吹くときがある。それはたいてい彼岸の入りのころで、木の葉の里ではその寒の戻りを「彼岸の小鳥殺し」と呼んでいた。
 ようやく春が来たと、冬籠もりをしていた巣穴から出てきた小鳥たちが、急な寒風にさらされて命を落とす。彼岸によく見られる小さな悲劇。その寒さに耐えたものだけが、次の命を生み出せる。自然の摂理は、やはり厳しい。
 今日は上衣はいらないかな。
 そんなことを考えつつ、重箱にぼたもちを詰める。お茶も持っていかなくては。湯をわかそうと、やかんをコンロにかけたとき。
 どんどんどんどんっ!
 玄関の戸が、派手な音をたてて揺れた。
「イルカせんせいっ! 大丈夫ですかっ。イルカせんせいーっ!」
 切羽詰った声。イルカは慌てて、戸を開けた。
「あーっ、イルカせんせい〜」
 泣きそうな顔をした銀髪の上忍が、がばっとイルカに抱きついてきた。
「ど……どうしたんですか、カカシ先生。うわっ……」
 バランスを崩して、台所の板の間に倒れ込む。
「無事だったんですね、イルカ先生。あー、よかったー」
「だから、なんなんですかっ。ちょっと……どいてください!」
 朝っぱらから、こんなところで組み敷かれたくはない。いや、夜だって、板の間はご免だ。
「そんなに冷たくしなくても、いいじゃないですか。俺、心配したんですよー」
「心配?」
 玄関を壊しそうな勢いで飛び込んでくるほどの心配って、なんだ?
「そうですとも。予定より早く仕事が終わったんで、今朝いちばんに報告書を出しに行ったら、あなたがいないじゃないですか。受付の人に訊いたら、休みだって……」
「はあ。有給を取ったんですが」
「そんなこと、俺は聞いてませんっ」
 カカシは板の間に正座して、言った。
「この前は、今日休むなんて言ってなかったから、病気にでもなったのかと……」
 なるほど。それで、心配してくれたわけか。
「すみません」
 とりあえず、謝る。べつに、この男に休暇の予定まで知らせる義理はないと思うが、それはこちらの事情である。カカシの中では、当然知っているべきことだったのだろう。
「お彼岸のあいだに、一日は休むつもりだったんですが、日程がはっきりしていなかったので」
「彼岸って、二十一日でしょ」
 カカシは首をかしげた。
「それは、彼岸の中日です」
 イルカは説明した。
「春の彼岸は、春分の日の前後一週間のことをいうんです。で、中日に休む人が多いんで、おれは早めに有給を取ったんですよ」
 一般常識が欠如しているカカシである。これぐらい、噛んで含めるように言わなければ理解できまい。
「なーんだ。そうだったんですか。でも、よかったです。病気じゃなくて」
 にっこりと、カカシは笑った。口布が笑みの形に動く。
「はあ、どうも。ご心配をおかけしました」
 イルカも笑みを返して、立ち上がった。
「そんなところでは何ですから、どうぞ。お茶でもいれます」
「ありがとうございますー。あ、それ、なんですか?」
 なんとも、めざとい。イルカは苦笑いをしつつ、
「ぼたもちですよ」
 と、重箱のふたを開けた。
「うわー、おいしそうですねえ。これ、みんなイルカ先生が作ったんですか?」
「ええ」
「で、いまからピクニックですか」
「はあ?」
「だって、重箱に入れて、風呂敷で包んで……」
「あの、ですから、これはお墓に供えるもので……」
「どなたか、亡くなったんですか?」
 だめだ。まるっきり話が通じない。
 イルカは仕方なく、彼岸の行事や風習について、こと細かに説明した。
「へえー、ご先祖さまにお供えするものなんですか、おはぎって。知らなかったなあ。でも、菓子屋には一年中、売ってますよねえ」
「そりゃ、べつに、いつ食べてもかまわないものですから」
「え、だって、彼岸のときに供えるって……」
「仏さまに供えるのは、彼岸のときだと言っただけです。それに、『おはぎ』というのは秋の彼岸で、春の彼岸は『ぼたもち』って言うんですよ」
「おはぎとぼたもちって、違うんですか?」
 興味津々、といった様子で、カカシが訊いた。
「基本的には同じものですけどね。萩は秋の花でしょ。それで、秋の彼岸は『おはぎ』って言うんです。地方によっては、ぼたもちの餡はこし餡で、おはぎの餡は粒餡にするところもあります」
 小豆の粒を萩の花に見立てているらしいが、詳しいことはイルカも知らない。
「ふーん。なんだか、面白いですねえ」
 カカシはしきりと感心している。
「イルカ先生のぼたもちは、粒餡ですね」
「両親が、粒餡の方が好きだったので……」
 母の作るぼたもちは、大きかった。自分がまだ小さかったせいもあるが、その大きなぼたもちが皿に並んでいくのを、わくわくしながら見ていた。
『まだ食べちゃだめよ』
 つまみ食いをしようと手を出しかけたところで、ぴしゃりと言われた。
『仏さまより先に食べたら、ばちが当たるよ』
『だって、おなかすいたもん』
『お参りに行って、仏さまと一緒にいただこうね』
 すきっ腹で寺まで歩いて、墓参りをして、そこでお下がりのぼたもちを食べる。それが、彼岸の恒例だった。
「だめですよ」
 重箱に手をのばしたカカシに、イルカは言った。
「食べるのは、お参りに行ってからです」
「えー、俺、おなかがすきましたー」
「こればかりは、譲れません」
 重々しく宣言する。カカシはしゅんとして、ひざを抱えた。
 仕方ないな、まったく。イルカは小さくため息をついた。
「じゃあ、一緒に行きますか」
「え?」
「お参りです。おれんちの墓は遠いですけど、慰霊碑ならすぐですし」
「はいっ。行きます!」
 ぴょこん、とカカシは立ち上がった。
「俺、イルカ先生をおんぶして慰霊碑まで飛びましょうか?」
「……早く食べたいのはわかりますが、それは困ります」
 本気でやりかねないのが恐い。
「普通に、歩いて行ってください」
「……はい」
「お参りが終わったら、全部食べてもいいですから」
「はいっ!」
 ほんとに、わかりやすい。こんなことで、上忍としての任務をまっとうできるのだろうかと不安になるほどだ。
 しかし、これもまた、自分しか知らないカカシなのだろう。
 まっすぐで、正直で、懸命なカカシ。心を覆うものを、なにも持たないカカシ。
 いいんですか。そんなことで。おれは一介の中忍で、あんたのすべてを引き受ける力などないのに。それでもあんたは、おれに全部、預けてくれるんですか。
 ときどき、つらくなる。でも、拒むことはもうできない。
 水筒に茶を入れる。両親の好きだった、ほうじ茶を。
「イルカ先生、まだですかー?」
 重箱を持って、カカシが玄関で待っている。イルカは水筒を手に、立ち上がった。
「お待たせしました。行きましょうか」
「はーいっ。やっぱり、ピクニックみたいですねー」
「そうですね」
 あんたがそう言うのなら。




 早春の風が、やわらかく流れていく。
 うららかな日差しの下、銀髪の上忍と黒髪の中忍は、慰霊碑の立つ丘に向かって歩いていった。


  (THE END)



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