GAME〜魔の食欲上忍シリーズ1〜 by つう
だれかと食卓を囲むのはいいものだ。
一人なら十分足らずで終わってしまう食事も、語らう相手がいると、三十分、四十分、ときには一時間ちかくかかることもある。
「ご馳走さまでした」
カカシは、ふーっ、と大きく息をついて箸を置いた。
「お粗末さまでした」
イルカはほうじ茶の最後の一口を飲み終えて、そう答えた。
「炊き込みご飯、おいしかったですよ」
爪楊枝で歯のあいだを掃除しながら、カカシが言った。
「それは、どうも」
「まだ残ってます?」
「ええ。それがなにか」
「持って帰ってもいいですか。明日の朝、食べますんで」
「……わかりました。折を用意します」
イルカは台所の下から、二合折を取り出した。
「ああ、一合でいいですよ。イルカ先生の分がなくなるでしょ」
「いいですよ、べつに。あしたはあしたで、また炊きますから」
五合炊いて、二合しか残っていない。おかずもそれなりに用意したのに、この銀髪の上忍は、じつに丼二杯も山菜飯を食べたのだ。
中途半端に残っても困る。この際、釜を浚えていってもらおう。
「ありがとうございます。いやあ、イルカ先生の作るご飯は、本当に美味しいですね」
「そうですか?」
「そうですとも」
市販のだしと、合わせ調味料を使ってレシピ通りに作っているだけなのだが。
今日の釜飯も、具はあらかじめ下味をつけてあるものを買った。吸い物はインスタントに三つ葉を浮かべただけだし、焼き魚は魚屋で焼いてもらったし、蓮根のきんぴらや漬物はご近所からの頂きものだった。
上忍なら、もっと豪華な料理が食べられるだろうに。
いつも、イルカはそう思う。カカシがここに来るたびに。
今日はあらかじめ予定が決まっていたので、曲がりなりにも用意ができたが、カカシの行動はそのほとんどが抜き打ちと言っていいほど突然だ。ひどいときには米もなくて、小麦粉を練った団子と野菜の切れ端を入れた汁だけという日もあった。
それでも。
なぜか、カカシはやってくる。
もちろん、食欲だけではなく、べつの欲求も満たすためではあるだろうが。
「じゃ、そろそろ……」
カカシが卓袱台に手をついて立ち上がった。
「いたしましょうか」
出た。
カカシの手が腰にのびる。イルカは丸盆で上忍の顔を思い切りはたいた。
「……てっ……!」
カカシは鼻を押さえた。
「痛いじゃないですか、イルカ先生」
「あたりまえです。痛いようにやってるんですから」
言いながら、卓袱台を拭く。
「痛くしちゃ嫌ですよー」
「……あんたが、それを言いますか」
イルカはじろりとカカシをにらんだ。
「ふざけてないで、どいてください。茶碗は早いとこ水に漬けないと米粒が取れないんですから」
がちゃがちゃと食器を重ねて、流しに運ぶ。
「そんなもの、明日でもいいじゃないですか」
「汚れ物がたまってるのはいやなんですよ」
「だったら、あとで俺が洗いますから」
「え?」
思いがけない言葉に、イルカは振り向いた。
「だから、遊んでくださいよ」
「遊ぶって……」
イルカは眉をひそめた。
「あんたの『遊ぶ』は限定一種類じゃないですか」
「ひどいなあ、そんな言い方。だって、俺は……」
そこまで言って、カカシは視線を落とした。次の言葉を言いあぐね、唇を無為に動かしている。
「……なんですか?」
イルカは先を促した。手は洗い桶に漬けたままだ。
「いえ。……なんでもないです」
「なんでもないって……そんなふうに言われたら、気になりますよ。はっきり言ってください」
カカシは卓袱台を見つめている。迷っているのだ。この男が。まるでアカデミーに入ったばかりの少年のように。
「……ったく、もう!」
イルカは流しの水を止めて、カカシに近づいた。
「いい年した大人が拗ねても、かわいくないですよ。どうしたんですか」
カカシは両腕でひざを抱えた状態で、イルカを見上げた。
「……怒りませんか」
ぼそり、とカカシ。
「内容によりますね」
すっかり教師モードで、イルカ。
「じゃ、嫌です」
「あんたねえ……」
怒りが喉もとまで上がってきた。
いい加減にしろ、馬鹿野郎!……と叫びたいのを、かろうじてこらえる。
「……怒りませんよ」
教師の心得全八か条を心の中で唱えつつ、イルカは言った。
「怒りませんから。だから、さっさと吐いて、ラクになりなさい」
これではまるで、尋問官だ。
「俺……」
しばらくたって、ようやくカカシは口を開いた。
「家で、遊んだことないんですよ」
「は?」
「だって、家ってのはただ単に寝に帰る場所であって、遊んだり、くつろいだりすることなんてなかったですから」
カカシが中忍になったのは、たしか六歳のころ。ということは、それ以前に下忍として数々の仕事をこなしていたことになる。当然、子供らしい時間など経験してはいまい。
本来あるべきはずの時間が、この人には欠落している。
「……怒りましたか」
上目遣いに見上げる、藍色の瞳。主人の許しを待つ、犬のような……。
「怒ってませんよ」
イルカは小さく笑った。
「だいたい、なんでそんなことで怒られるなんて思うんですか」
カカシの思考回路は、やはりどこかずれている。
「じゃあ、カカシ先生。遊びましょうか」
純粋に、イルカは言った。カカシはぱっと顔を上げて、
「ありがとうございます! 俺の気持ちがやっと通じたんですねっ」
カカシは両手を広げて、イルカに抱きついた。
……結局は、それか。
イルカはふたたび、丸盆で上忍の顔面を殴打した。
「これでよし、と」
夕飯に使われた食器が流し台の水切りに並んだ。イルカは手を拭きつつ、卓袱台のある六畳間にもどった。
カカシは部屋の隅で、ひざを抱えたまますわっていた。
この姿をアカデミーのやつらに見せてやりたい。「コピー忍者」のカカシ。これが、里一番の切れ者と評される男とはとても思えないのだが。
イルカはカカシの目の前を横切り、押し入れの戸を開けた。そろそろ冬物を出しておかなくては、などと考えながら、奥を探る。
「たしか、このへんに……ああ、あった」
古い紙袋を引っ張り出す。ぱさぱさと埃をはたき、
「カカシ先生、ほら、これ」
中から薄い木製の盤を出す。
「何ですか、それ」
「将棋盤ですよ。こっちが駒。教えてあげますから、やりましょう」
携帯用の盤を広げて、イルカは言った。カカシも盤の前にすわる。
「おれも久しぶりなんですけどね。まず、こういうふうに駒を置いて……」
駒の位置と進み方を説明する。カカシはふんふんと頷きながら、自分も駒を並べていった。
小一時間もたつころには、カカシもおおかたのルールを覚えたらしい。多少ぎこちない手付きではあったが、駒を的確に進めていくようになった。
「さすがに、飲み込みが早いですね」
イルカは感心したように言った。
「じゃあ、ここらへんで一手、勝負といきましょうか」
「勝負、ですか」「
カカシは顔を上げた。
「で、何を賭けます?」
「え……賭けるんですか」
いつもながら、唐突だ。やっと駒の進み方とルールを覚えたばかりだというのに。
「勝負事は、賭けなきゃ面白くないでしょ」
「カカシ先生はギャンブラーなんですね」
「イルカ先生、もしかして、俺に負けたらどうしよう、なーんて考えてます?」
片方だけの瞳が、いたずらっ子のように光る。
「そんなこと、思ってませんよ。わかりました。やりましょう」
なんとなく、うまく乗せられたような気もするが、まあいいだろう。これも遊びのうちだ。
「それで、カカシ先生はなにを賭けるんです」
「もちろん、イルカ先生との一夜です」
大真面目に、言い切る。
イルカはカカシをにらみつけた。まったく、この男はどうしてこうも、そっちの方にばかり話を持っていくのだろう。あまりにもあからさまで、脱力してしまう。
「……あ、やっぱり、まずいですかね。体賭けて勝負なんて」
「いいえ、やります! その代わり、おれが勝ったら釜飯を持って、とっとと帰ってくださいね」
びしりと引導を渡す。カカシはにんまりと笑って、それを承諾した。
かくして。二人の勝負が始まった。
たかが将棋とはいえ、我が身がかかっているのだ。イルカは手加減せずに、どんどん攻めた。
半時とたたぬうちに勝負がつく……はずだった。が、一時間を過ぎても、盤面はほぼ互角の状態だった。
「イルカ先生の番ですよ」
のんびりとしたカカシの声。
イルカは駒を見据えた。どこかに、道はあるはずだ。どこかに……。
「よし、ここだ」
ぱしっ、と駒を置く。これで王手。
「どうですか、カカシ先生」
逃げ道はふさいだ。どう動いても、あと三手もあれば積みだ。
「うーん、厳しいですねえ」
カカシは手持ちの駒をいじりながら、呟いた。
「でしょ。おしまいですね」
勝った、とイルカが思ったそのとき。
「そうですね」
ぼそりと言って、カカシは手持ちの駒を鮮やかな手付きでさばいた。
ぱちん、と鋭い音。イルカは、はっと息を飲んだ。
「おしまい、ですね。イルカ先生」
カカシはイルカの顔をのぞきこんだ。
「俺の勝ちです」
たしかに、そうだった。いまの一手で、形成は逆転してしまった。確実に固めたはずなのに、あんなところに盲点があるなんて。
「約束ですよ」
カカシは将棋盤を横に押しやった。
「なんで、あんた……」
「はい?」
「こんな詰めの裏ワザ、知ってるんですか」
じりじりと後退りをしながら、イルカは言った。
「四代目に教えてもらったんですよ」
「四代目に?」
「ええ。ほら、戦のときって、待ち時間が結構長いでしょ。暇だけど持ち場を離れるわけにはいかないし……。よく木の上でやったんですよ、賭け将棋」
「将棋……はじめてだったんじゃないんですか?」
「俺は、はじめてだなんて一言も言ってませんよ」
謀られた。
そうだ。これがこの男のやり方だ。そんなことは、いやというほどわかっていたはずなのに。
イルカは唇をかんだ。カカシの体が、重なってくる。
「もう少し、遊んでくださいね」
囁く声。将棋盤の角で殴ってやりたい衝動にかられたが、いまさらそんなことをしてもどうにもならない。
「俺は将棋より、こっちの遊びの方が好きです」
でしょうね。
大嘘つきの上忍の、たったひとつの「本当」。
でもそれは、遊びじゃない。本気の勝負。本気のゲーム。
ゲームセットは、まだ来ない。
(THE END)
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