魔法の犬〜魔の食欲上忍シリーズ2〜       by つう







 出かけようと、玄関を出たところで鉢合わせになってしまった。
「あれえ、いまごろから、どこ行くんですか?」
 藍色の目を丸くして、カカシは言った。イルカは、あと五分早く出ていればよかったと思いつつ、
「晩飯、食べにいくんです」
「え、どうして」
「どうしてって……」
 この上忍の頭の中には言語中枢がないのか。飯を食いにいくと言ったら、腹が減っているからに決まっている。
「米を、切らしたもんで。今日は外で食べようと思いまして」
 こんな内輪話を、なぜこの男にしなくてはいけないんだろう。いささか不本意ながらも、イルカは続けた。
「カカシ先生も、一緒に行きますか」
「俺、イルカ先生が作ったものがいいんです」
「でも、カカシ先生にお出しできるようなものは、なにもありませんし……」
「イルカ先生のごはんなら、なんでもいいです。任務中なんか、食料調達できなくて、カエルやイモリも食べましたし」
 おれの料理は、カエルレベルなのか?
 イルカは脱力した。いままで、結構、気を遣って作っていたつもりなのだが。
「……わかりました。どうぞ」
 こうなったら自棄である。冷蔵庫を漁れば、なんとかなるだろう。
「お邪魔しますー」
 カカシは嬉々として、玄関に入った。





 野菜の切れ端と、味噌とにぼし。あとは小麦粉と調味料と、いなり寿司を作ったときの残りのうすあげが一枚。
「すいとんでも作るかな」
 ぶつぶつと呟きながら、イルカは材料を取り出した。大鍋に湯を沸かし、そのあいだに小麦粉を練る。
「なにやってるんです?」
 カカシが流しの側に来て、言った。
「団子を作ってるんですよ。これを茹でて、汁ものに入れるんです」
「へえ。面白そうですね。俺もやっていいですか」
「いいですよ」
 イルカはボウルをカカシに渡した。カカシはほくほくとした顔で、小麦粉をこねている。
 しばらくして、大皿に山盛りの団子ができあがった。
「これぐらいで、足りるかな」
 イルカはざっと団子を数えて、まあよかろうと納得した。大鍋に団子を入れようとしたとき、横でなにやらせっせと作業をしていた上忍が、手を小麦粉で真っ白にして、
「ほらほら、イルカ先生。見てくださいっ」
「はあ?」
「かわいいでしょー」
 カカシの手には、団子の生地で作られた犬が乗せられていた。
「それ、どうするんですか」
 粘土遊びじゃあるまいし、と言いたいのをぐっとこらえて、イルカは訊いた。
「え、わかりませんか? 犬ですよ」
「それはわかりますが……食べるんですか」
「もちろんですよ。力作でしょ」
 イルカは無言のまま、その犬を大鍋に放りこんだ。
 べつの鍋で味噌汁を作る。白菜の芯やにんじんの竺、大根のしっぽなどを適当に細かく切って、鍋に入れる。それに茹で上がった団子を加え、短冊切りにして軽くあぶったうすあげを散らして、味噌仕立てのすいとんが出来上がった。
「お待たせしました」
 卓袱台の上に、どん、と鍋を置く。丼を出して、
「お好きなだけ、召し上がってくださいね」
「いただきます」
 カカシは口布を下げて、猛然とすいとんに向かった。
 いつものことだが、なにかを食べているカカシの顔は、本当に子供のようだ。幸せそうな、無心な顔。
 イルカはふと、箸を止めた。
 おそらく、自分のためにだれかが食事を作ってくれたことなど、なかったのだろう。彼の生い立ちを考えると、いつも胸が痛む。
 イルカは早くに両親を亡くしたが、それまではたくさんの愛情を注がれて育った。両親がいなくなってからも、近所の人たちのあたたかい目に守られて、曲がりなりにも忍として独り立ちできるまでになった。
 しかし、カカシにはそういう思い出はない。ものごころついたころから、厳しい掟の中にいたのだから。
 カエルやイモリを食べたというのは、決して誇張ではない。彼が中忍になったのは六歳のときだ。育ち盛りの子供が、遠征先で食べものもなく、木の根をかじったり虫を焼いて食べたりしたのだろう。
 よく狂わなかったものだと思う。いや、狂うこともできなかったのか。
 あたりまえの暮らしなど、彼が知るはずもなかったのだから。
「おいしいですねえ」
 三杯めのおかわりをしながら、カカシは言った。
「……よかったですね」
 イルカは相槌を打った。いきなり来られるのは困るが、こんなに喜んで食べてくれるなら、できるだけのことはしよう。
 もしかしたら、取り戻せるかもしれない。彼が失った時間を。
「あーっ!」
「なっ……なんですか」
 突然の叫び声に、イルカは思考を中断した。
「犬が……俺の作った犬が……」
 汁の中から、白いかたまりを出す。
「首がもげちゃいましたよー」
 もう、すっかり取り戻しているかもしれない……。
 イルカは、さきほどまでの寛容な気持ちが揺らぐのを感じた。
「……どうせ食べるんだから、いいじゃないですか」
「ああ、そういえば、そうですね」
 ぱくりと、犬の頭の部分を口に入れる。
「あ……」
 藍色の目が、涙目になる。
「今度は、なんですか」
 教師モードに移行していく自分がわかる。
「この犬だんご、中が生ですー」
「一個だけ、そんなに大きくしたからですよ。ふつうの団子にしておけばよかったのに……。自分で作ったんですから、責任持って自分で食べてください」
 教師口調でぴしゃりと言って、イルカはふたたび箸を進めた。
「ねえ、これ、鍋にもどしてもいいですか」
「駄目です」
「あした、もう一度、あっためなおして食べますから」
「あした?」
「泊めてくれるんでしょ」
 上目遣いに、カカシは訊いた。
 帰れと言っても、居座るくせに。
 それなのに、いつもこうやって訊く。大丈夫なのか、と。自分は受け入れてもらえるのか、と。
 そんなに心配なのだろうか。毎回、確かめなければ不安になるほどに。
 カカシはまだ、こちらを見ている。イルカは心の中で嘆息した。
 仕方がない。こういう男に関わってしまったのだから。自分ができるうちは、できることをやろう。そう。今日できることは、今日のうちに。
「朝飯も、すいとんでいいんですね」
 イルカは確認した。
「もちろんです」
 カカシは、ぱっと表情を変えた。このうえもなく、晴れやかに。
 これがあるから、許してしまう。この男の言動も、行動も。
 イルカは自分の甘さを感じつつも、こうした日常が続くことを密かに願っていた。
 


 (THE END)


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