二人で晩餐を〜魔の食欲上忍シリーズ15〜  BYつう






 アカデミーの近くに、新しい食堂がオープンして一カ月あまり。元漁師だという店主が仕入れてくる魚介類はどれも新鮮で、日替わりの定食は安くて旨いと評判だった。
「おまえ、まだ行ってねえの」
 終業間際の事務局。同僚のひとりが、意外そうに言った。
「ここんとこ、出張とか夜勤とか重なってたからな」
 イルカは報告書に確認印を押しながら、答えた。
「ああ、そっか。じゃ、あしたにでも行ってみろよ。刺身も焼魚も煮物も、はずれなしだから」
「おまえ、そんなに何度も行ってるのか?」
「まあなー。いま、かみさんが赤ん坊にかかりきりだから、弁当作ってくれっつーのも気がひけて」
 この同僚は、二カ月ばかり前に父親になった。夜間も子供の世話をしている妻君を気遣っているのだろう。
「あ、そうだ。あそこさあ、面白いメニューがあるんだぜ」
 同僚は、くすくすと思い出し笑いをした。
「日替わりのほかに、いくつか定食があるんだけどさ。その中に『イルカランチ』ってえのがあるんだ」
「なんだよ、それ」
 まさか、海豚の肉を使っているわけではあるまいが。
「普通の、白身魚のフライと小鉢物の定食だよ」
「それで、なんで『イルカランチ』なんだ?」
「さあねー。あそこのおやじさん、そういう変わったネーミングが好きみたいだぜ」
 ほかにも「クラゲランチ」や「ジンベエランチ」や「マンボウランチ」などがあるらしいが、当然のことながら内容とはまったく関係ないそうだ。
「おまえが『イルカランチ』食ったら、共食いだな」
「じゃ、おれは『マンボウランチ』にしとくよ」
 同僚のシャレに話を合わせつつ、イルカは報告書を引き出しの中に放りこんだ。





 その夜。
「それなら、俺、食べたことありますよー」
 夕食のあと、ほうじ茶をすすりながら、カカシが言った。
「ほんとですか」
 自分の湯呑みに茶を注ぎつつ、イルカは問い返した。
 この男が、いわゆる「話題の店」に足を運ぶとは意外だった。基本的に、食事を栄養摂取の面でしかとらえていないような男なのに。
「アスマがおごってやるって言うんで、ついていったんですけどね」
 なるほど、それならわかる。
「品書きに『イルカランチ』って書いてあったんで、きっとおいしいんだろうなーって思って」
 ネーミングだけでメニューを選んだということか。それにしても、その選択基準に心なしか不穏なものを感じる。
「で、おいしかったですか」
 さりげなく、訊ねる。カカシはしばらく考えて、
「さあ」
「さあって……食べたんでしょ?」
「食べましたけど、味は覚えてないですねえ」
 そんなことがあるのだろうか。自分が食べたものなのに。
 そう考えて、イルカはふと気づいた。カカシなら、それもありか。なにしろ、とことん味覚が壊れているのだ。
 このごろは料理を味わって食べるようになったが、それでも、イルカの作ったもの以外はおいしいと感じないらしい。思えば、これも一種の刷り込み現象なのだろう。
「まあ、アスマは旨いって言ってましたから、きっとおいしいんでしょうね」
 思わず、お茶をこぼしそうになった。
「え、ということは……」
 アスマもそれを食べたのか?
「そうなんですよー。あいつも、『イルカランチ』を注文したんです。この俺の目の前でっ!」
 急に、カカシはキッと顔を上げた。どうやら、そのときのことを思い出したらしい。
「あれは絶対、当てつけですよ。ねえ、イルカ先生?」
「はあ、いや、そんなことはないと思いますけど」
 ここでそんなことを訊かれても困る。「イルカランチ」を注文する人間はアスマだけではあるまいに。
「だいたい、あの食堂の主人は許せません。定食にあなたの名前を使うなんて、プライバシーの侵害です」
 そこまで言うか、ふつう。イルカはため息をついた。
「イルカというのは海の生物の名前ですから、だれがどのように使おうと著作権にもプライバシーにも触れませんよ」
「それでも、俺は、嫌です」
 憮然として、言い切る。
「白身魚のフライなら、『白身魚のフライ定食』でいいんです。だいいち、わかりにくいじゃないですかっ」
「おれはべつに、気にしませんから」
 できるだけ、さらりと流す。実際のところ、どうでもいいのだから。
「イルカ先生って、寛大なんですねえ」
 しみじみと、カカシは言った。
「そういうところも、俺、大好きです」
 小犬のような、一途な目。
 はいはい。ありがとうございます。里を代表する上忍に気にいられて、おれもうれしいですよ……。
 カカシと懇意にしていると知られてから、上層部から書類上の瑣末な不備を指摘されなくなったのはありがたい。細かい手続きをやり直すのは、正直言ってげんなりしていたから。
 もっとも、カカシが関わった任務の事後処理や書類操作を任されることが多くなって、それはそれで大変なのだが。
「ところで、ねえ、イルカ先生」
 カカシが、卓袱台に沿ってイルカの側までにじり寄った。
「なっ……なんですか?」
 湯呑みを置いて、身構える。
「俺、どうせなら、ランチよりディナーが食べたいです」
「はあ?」
 ディナーと言われても。
 イルカは首をかしげた。カカシはもう夕食を終えている。今日のメニューは、八宝菜とカニの酢の物とたまごスープだった。例によって、それぞれしっかり二人前以上は食べたはずだ。あれで足りなかったとは思えないのだが。
「ごちそうしてくださいよ」
 するりと、カカシの手がイルカの腰に回った。
「あの、それは、どういう……」
「あなたを、フルコースで」
 ・・・ばかやろうっっ!!
 イルカは心の中で、八倍角ぐらいで絶叫した。
 フルコースってことは、あれもこれもそれも、全部ってことじゃないか。冗談じゃない。そんなことしたら、完徹は必至だ。うっかりしたら、もっと……。
 いままでのあれこれが、フィードバックする。酸欠になって倒れるのはご免だぞ。
 唇がふさがれる。衣服の下に手が滑り込む。いつものことながら、手際がいい。重心が移動して、イルカは畳の上に押し倒された。
「こ……ここでですか?」
 一応、抵抗する。
「嫌ですか」
 あたりまえだ。せめて夜具ぐらい敷きたい。
「今日は、駄目です」
 カカシはうっすらと笑った。
「だって、フルコースですから」
 食前酒は、刺激的に。
 余計な話をしなければよかったと、イルカは盛大に後悔した。




 翌日、うみのイルカの欠勤届が、はたけカカシによって提出された。
 イルカがその後、件の食堂へ行ったかどうかは、定かではない。



   (THE END)


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