危険人物取扱マニュアル〜魔の食欲上忍シリーズ8〜  BYつう







 俗に、火器や爆発物を取り扱う資格を持つ者を、危険物取扱主任者という。
「けどよ、おまえさんは、危険人物取扱主任だから」
 事務局で茶を飲んでいたアスマが、イルカに向かってそう言い放った。
 一瞬、事務局全体がしん、となる。
「ありゃりゃ。もしかして、ドツボ?」
 はい。思いきり。
 イルカはいま受け取ったばかりの報告書を脇へ置き、がたん、と椅子を倒さんばかりに立ち上がった。
「昼飯、食ってきます」
 だれにともなく言って、事務局を出る。
 食堂に向かってずんずんと歩きながら、イルカはアスマの言葉を粉砕するべく努力した。





 アスマの言う「危険人物」とは、間違いなく、里一番の遣い手にして近隣諸国にまでその名を知られた「コピー忍者」の、はたけカカシのことであろう。
 ちょっとした気の迷い(と、イルカは思っている)からカカシに食事を作ってやるようになって、なし崩し的に共寝をするようになって、イルカの人生設計は大幅に狂ってしまった。
 地道に任務をこなし、アカデミーの生徒たちを教育し、ある程度の貯えができたら気心の知れた明るい人と所帯を持って、できればもう少し広い家に引っ越して、子供は三人ぐらい……などと考えていた平凡な日々が哀しいほど懐かしい。
 独り暮しが長いので、べつに家事は苦痛ではないし、料理もそれなりにできる。仲間を集めて鍋をつついたり、裏庭で焼肉をしたりすることもよくあった。
 しかし。
 カカシに提供する食事は、それとは明らかに違っていた。
 食べ物とはどんなものか。どれほど大切で、有り難いものか。それを教えるためのものだった。なんとなれば、カカシは、食べることを栄養摂取の面でしかとらえていなかったからである。
 彼は幼いころから忍として任務に就いていて、まっとうな日常生活を知らずに育った。当然、食生活もそうで、非常食のようなものばかりを口にしていたのだ。結局、食べ物の名前にも味にも無頓着になり、ただ生命を維持するためだけに食用に適したものを口にする毎日だった。
 イルカが作ったものを食べたカカシの、不思議そうな、しかし、満ち足りた表情。あの顔を見てしまったから、イルカはいまだに、カカシのために食事を作るのをやめられないのだ。
「今日のおかずは、なんですかー?」
 子供のような顔をして、カカシはやってくる。そして、イルカの作ったものをぱくぱくと食べて、「美味しいですねえ」と笑う。
 それだけなら微笑ましい風景なのだが、そのあとが問題だ。
「お腹もいっぱいになったことですし、寝ましょうか」
 この精神年齢五歳(イルカの推定では)の上忍は、体はしっかり大人の男で、しかしやっぱり思考回路が子供なので、「好きだから、抱きたい」という理由で、たびたびイルカを求めてくる。
 本来ならば「馬鹿も休み休み言え!」なのだが、寝込みを襲われるような形で関係を結んでから、もうなかば諦めの境地である。
 同性間でこういうことはしないものだ、と切々と訴えてはみたものの、カカシはなにを誤解したのか、「今度はもっと上手にします」とか「俺、イルカ先生一筋ですから」とか的外れな抗弁をしてくれて、イルカはすっかり脱力してしまった。
 もう、勝手にしてくれ。
 それが偽らざる心境だった。
 そして、ヒナにエサをやる親鳥のような、年下(実際はいくつか年長のはずだが)の旦那を持った囲われ者のような状態がいまも続いている。
 二人がそういう関係にあることを知る者は少ない(アスマあたりは感付いているだろう)が、あの「はたけカカシ」が事務局のうみのイルカを気に入っている、というウワサはかなり浸透しているようだった。しかも、カカシがイルカの言うことには比較的謙虚に耳を傾けていることから、カカシの扱いに手をやいていた上層部および一部の上忍の中には、イルカを通してカカシに連絡を取ろうとする者まで現れて、イルカは閉口していた。
「おれは、カカシ先生の部下でも秘書でもありません」
 ついに思いあまってアスマにそう言ったら、冒頭のごとき仕儀とあいなったのである。
「けどよ、おまえさんは、危険人物取扱主任だから」
 あまりにもぴったりな表現で、イルカは返す言葉を失った。
 危険人物か。たしかに。
 敵に対してはもちろん、味方に対してもそうだよな。あんな「強引グマイウェイ」なやつと仕事するなんて、絶対に嫌だ。
 食堂で焼魚定食を食べながら、イルカはなんとか平静を取り戻そうと努力した。
 まずい。この状況はまずい。
 こんなピリピリした気持ちのままだと、あの男に飯を作ってやろうなんて気になれないじゃないか。
 二律背反。
 まったくもって不思議なのだが、イルカはカカシに食事を作るのは嫌ではなかった。たしかに、余計なことをしなければよかったと思うこともあるが、カカシが幸せそうに食事をする顔を見ると、なんとなく自分も幸せになれるのだ。
 厄介な感情だ。どれかを、ばっさりと切り捨ててしまえばいいのだろうが、それほど自分は器用ではない。
 昼食を終えるころには、なんとか感情も平らになっていて、さて今夜はなにを作ろうかと考えられるまでになっていた。
 つくづく人間は頑丈だ。でなければ、生きていけない。





 午後。
 事務局には、大量の握り飯が積み上げられていた。
「……どうするよ、これ」
 同僚が、ぼそりと言った。
「すみません。オレが、余計なことしたから……」
 この春、事務局に配属になったばかりの後輩がベソをかく。
「ま、とりあえず、引き取り手を探しましょうよ」
 イルカは、きわめて現実的な意見を述べた。
「だよな。おれ、アカデミーの演習場に行ってくる。追加注文があるかもしれないし」
 同僚がそう言って、出ていく。
「あの……オレ……」
 後輩がまごついているのを見て、イルカは言った。
「夜勤の人の夜食用にいくつか置いておくから、今夜の予定表を出して」
「はいっ。いますぐ」
 後輩は、ファイルの中から勤務予定の書かれた紙を取り出した。
「うーん、それでも、まだ余るかな」
 イルカはため息をついた。
 今日は、アカデミーの全体演習の日である。山に入っての、いわばオリエンテーリングのようなものなのだが、その昼食用の握り飯が二重に発注されたらしく、事務局にそれが山積みになっていた。
 後輩は、しきりに汗を拭いている。処理済みのメモを、印を押すのを忘れた挙げ句に未処理の箱に入れてしまったのだ。結果、発注が重複してしまった。
 上忍の控室に差し入れをしたとしても、まだ二十個以上余る。
 中にいろいろな具の入ったものならともかく、すべて塩握りである。おかずもなしに、そうそう食べられるものでもない。
「仕方がないな」
 イルカはため息をついた。
「残りは、おれが持って帰ります」
「へっ?」
 もどってきていた同僚も、後輩も、目を丸くした。
 イルカは独り暮しである。ご近所に配るにしても、かなりの量だ。
「いいかのかよ、おまえ」
 おそるおそる、同僚が訊く。
「なんとか、なりますよ」
 そう言うイルカの頭の中では、すでにある人物の顔が浮かんでいた。
 これを食べ切れるのは、あの男しかいない。
 終業時刻直後、イルカは袋いっぱいの握り飯を持って、帰路についた。





「こんばんはー」
 予想通りだ。
 イルカは、キャンプのときに使うような大きな鍋でだしをとりながら、勝利を実感した。今日あたり、あの男が晩飯を食べにくると思っていたのだ。
「今日のおかずは、なんですか」
 わくわくした顔で、カカシが部屋に入ってきた。
「雑炊です」
「あー、いい匂いですね。俺、醤油味のがいいです」
 このところ、味付けにも口を出すようになってきた。いい傾向なのだが、ときにはうっとおしいこともある。
「醤油ですね。わかりました」
 だしの中に、うすくち醤油を入れる。個人的に雑炊は色が薄い方が好みだ。
 アカデミーから持って帰ってきた握り飯を、ざっとほぐして水洗いする。こうした方が、さらりとした雑炊に仕上がるのだ。真冬なら洗わずに入れて、とろみのついた、いわゆる「おじや」にしてもいいのだが。
 しばらくして、鳥肉と三つ葉の入った雑炊が出来上がった。例によって、卓袱台の上に鍋ごとドン、と置く。
「たくさん、食べてくださいね」
 丼とれんげ差し出す。カカシは嬉々としてそれらを受け取り、
「いただきまーすっ」
 はふはふと言いながら、食べ始める。いつもながら、うれしそうな顔だ。イルカも椀を手に、ゆっくりと雑炊を口にした。
 三十分後。
 みごとに鍋は、空っぽになっていた。
 この上忍の食欲は、並ではない。うっかりすると、イルカの三倍は食べる。以前は、食事は並で酒を浴びるほど飲んでいたのだが、このところ酒量はめっきり減って、かわりに食べる量が半端ではない。イルカが「四人前」のレシピで作ってもほとんど余らないほどだ。
 今日は五、六人前はあったかもしれない。まあ、美味しいと言って食べてくれたのだから、それでいいのだが。
「あー、お腹いっぱいになりました。幸せですねえ」
 本当に幸せそうに、カカシは言った。
「よかったですね」
「はいっ。じゃ、あとは寝るだけですね」
 いかにも当然という調子で、続ける。
 ……やっぱり、次はそれか。イルカは大きく嘆息した。
「食器を水に漬けてきますから、待っててください」
「はーい」
 勝手知ったるなんとやら、である。カカシは鼻唄を歌いながら、奥の八畳に移動した。





 あまり考えたくはないのだが、やはり、この男の食欲と性欲は連動している。というより、ワンセットになっているのではなかろうか。
 食欲が満たされると、次は……というわけだ。
 どうでもいいが、いちいち確認しながら事を進めるのはやめてほしい。もう、十分わかっているはずなのに。
 こうして肌を重ねるのは、嫌ではない。むろん、もともとそういう性向があったわけではないが、この男にはすっかり馴染んでしまったのだ。至れり尽くせり、とでもいうか、やたらとあれこれ技術を駆使してくれて、最後は倒れ込むようにして眠るのが常だった。
 そして、今日もそれは同じで、イルカは夜具に突っ伏したまま、眠りに落ちようとしていた。



「あのー、イルカ先生?」
 ようやく眠りに入ったかというところで、イルカは肩をゆさゆさと揺らされた。
「ねえねえ、ちょっと」
「……なんですか」
 顔を上げるのも、だるい。
「おなか、すいたんですけど」
 カカシはのほほんと、そう言った。
「なんか、食べるもの、ないですか」
 イルカは耳を疑った。
 さっき、浴びるほど雑炊、喰っただろうがっ!!
 叫びたいが、叫べない。大声を出す力も、イルカには残っていなかった。
「ないです」
 ひっそりと、答える。
「えーっ、そんなの、ひどいですー」
 ひどいのは、どっちだ。人をこんな目に遭わせておいて、腹が減っただと?
 まあ、いくらたくさん食べたといっても、雑炊は雑炊だ。腹持ちは悪かったかもしれない。
「ちょっと、いま、なにか作れる状態じゃないんで……」
 五割増しぐらいに弱々しくそう言う。これぐらいのワザは許されていいはずだ。
「朝まで、我慢してください」
「朝までですか? 無理ですよー」
「……おやすみなさい」
 ごろりと寝返りを打つ。
 しばらく、物音も声もしなかった。
 うまくいったかな。イルカがそう思ったとき。
「……わかりました」
 低い声がした。
「俺も上忍のはしくれです。食欲ごとき、べつのもので埋めてみせましょう」
 べつのもの……?
 ぞわり、と嫌な予感がした。もしかして、やぶ蛇だったかも。
 イルカがそう思ったときには、もう遅かった。
 カカシの唇がうなじを伝う。指は胸から下腹に下りていく。
 背中をしっかりと抱きとめられて、イルカはもはや逃げ場のないところにまで追いやられていた。
 こんなことなら、起きて飯を炊いた方がよかったかも。
 こうして、イルカの頭の中に、またひとつ新たな「危険人物取扱マニュアル」が記載されたのであった。



  (THE END)


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