無器用な愛〜魔の食欲上忍シリーズ10〜  BY つう






 他人が聞いたら、そんな馬鹿なことがあるかと一笑に伏されそうな話が、得てして事実であったりする。
 イルカは夕飯の買い物をしながら、ため息をついた。
 だれにも言えねえよな、こんなこと。
 顔見知りの八百屋のおかみさんに、大根をまけてもらって買う。ついでに、白菜も。独り暮しの男が買うには、明らかに多い。おかみさんに「先生にも、いい人ができなすったんですねえ」などとからかわれ、イルカはますます憂鬱になった。
 おかみさんは、イルカに年上の恋人ができて、その人に頼まれて買い物をしていると思っているらしい。
 たしかに、年上だが。
 ため息はさらに深くなる。
 一瞬、その「年上の恋人」が男で、しかも里一番の遣い手である上忍で、そいつの桁外れの食欲(と、もうひとつの欲求)を満たすために自分がいかに苦労しているか、全部、暴露したい衝動にかられる。が、それを信じる者がいるかどうか、はなはだ疑問だ。うっかりすると、こっちの方が変人だと思われてしまうかもしれない。
 カカシは、里のみならず近隣諸国にまでその名を知られた実力者だ。卓袱台の前でひざを抱いて、「おなかすーいたー、なんか食べたーい」と歌っている姿を、だれが想像しうるだろう。そして、そのカカシに「ちょっと待ってくださいっ」と、菜箸片手に怒鳴っている自分の姿を。
 カカシがイルカを気に入っている、という噂は浸透しているようだったが、その真実を知る者は少ない。アスマはうすうす事情を察しているらしく、ときおり「おつとめ、ご苦労サン」などと、有り難くもないねぎらいの言葉をかけてくれるのだが。
「おまえさんのおかげで、味方の損失が激減しててねえ」
 いつぞや、アスマがそんなことを言っていた。
「あいつ、いままでは任務の遂行が第一で、連携だとか段取りだとかには、とんと無頓着だったんだけどな。んで、うっかり味方も巻き添えになることが多かったんだけど、ここんとこ、そういうこともなくなって」
 それが、どうしておれのおかげなんだ?
 疑問を口にすると、アスマが種明かしをしてくれた。
「『そんなことをしたら、イルカ先生に嫌われるよ』っつーと、あのカカシがおとなしくなるんだわ、これが。もう、見てて面白いったら」
 いわば「葵の御紋」(この比喩で通じるのだろうか?)ということか……。
 イルカは複雑な心境だった。
「ま、いろいろ難儀なことだろうけど、これも因果だと思ってがんばっとくれ」
 そして、いつもこう付け加える。
「なんたって、おまえさんは『危険人物取扱主任』なんだからよ」
 もう、いいですって。
 がっくりと肩を落とす。
 事務局の同僚はもとより、アカデミーの生徒からまで「主任さん」なんぞと呼ばれても、うれしくもなんともない。
「この際だから、正式に『主任』のポストを設けようか」
 上司にそう言われたときは、真剣に事務局の仕事をやめようかと思ったほどだ。
 まあ、自分がいることで、あの男の人としての部分が成長しているのなら、それはそれで喜ばしいことだ。きっと、いまになって学んでいるのだろう。他者とどう付き合っていくのかを。
 その口火を切ったのが、自分なのだ。これはもう、最後まで見届けるしかあるまい。
 今夜は鍋にしようかな。
 そんなことを考えながら、イルカは家路を急いだ。





 さすがに付き合いが長くなってくると、カカシがいつやってくるかということも、だいたい予想がつくようになる。
 事務局で任務の予定表を見ているということもあるが、カカシの場合、予定表にない任務も多々あるので、そこは経験と勘がものを言う。
 経験、か。
 なんとも、情けない経験だが。
 ふだんは三、四日ごと。長期の任務のあとは、二日三日、続くこともある。そして、何事かもめたときは、純粋に「食事」だけを食べにくる。
 今日は、通常モード。ナルトたちを率いての任務だから、夕刻までには終わっているだろう。報告書はまだ、提出されていなかったが。
 台所で白菜を洗っていると、案の定、芒洋とした声が玄関から聞こえた。
「こんばんはー」
 手を拭きつつ、ドアを開ける。
「今日のおかずは、なんですか?」
 口布を下げながら、訊く。
「鍋料理ですよ。豚肉と白菜の」
「うわー、おいしそうですねえ」
 にこにこと、カカシは卓袱台の前にすわった。
「俺、今日、山ん中でナルトたちと走り回ってたんで、おなかすいてるんですよ。ごはんの前に、なんかありません?」
 イルカは背中がぞわりとするのを感じた。
 この男は、ときおり常軌を逸した行動をとる。いつぞやは、腹が減ったと言ってイルカにのしかかってきたのだ。そのときは、食欲と性欲がごっちゃになっていたらしい。
 とりあえず、なにか食べるものはないだろうか。買い置きの食材を探ったが、すぐに口に入るものはない。
 仕方なく、イルカは大根をずいっとカカシの眼前に差し出した。
「へっ?」
 カカシは目を丸くした。
「俺、大根かじるのは嫌ですよー。だって、辛いし、苦いし……」
 かじったことがあるのか?
 一瞬、考える。
 幼いころから遠征に出ていたから、食料がなくなって、余所の畑から盗んだ大根を洗いもせずにかじったこともあったのかもしれない。そういえば、芋を盗んで、山の中で焼いて食べたと言ってたっけ。
「違いますよ。大根おろし、お願いしていいですか」
 やさしく、このうえなく、やさしく言う。
「大根おろし?」
 はじめて聞く言葉のように、カカシは聞き返した。
「ええ。じゃこおろしにするんですよ。鍋が炊けるまでのあいだ、これで繋ぐんです。酒の肴にもなりますし」
 おろし金とボウルを差し出す。
「お願いします」
 にっこりと、ひと押し。
 これで、この上忍は任務のときと同じ真剣さで、大根をおろしてくれるはずだ。……と思ったのだが、なにやら、不安げな顔をしている。
「カカシ先生?」
「あのー、大根おろしって、どうやればいいんですか?」
 そんなことも知らないのか? そう言いたいのを、なんとかこらえる。
 いつものこと。いつものこと。心の中で呪文を唱えながら。カカシは、こういった当たり前のことを学習してこなかったのだ。
 イルカは大根の皮をむいて、ボウルの上におろし金をセットした。
「こうやって前後に動かすと、ほら、大根が下に落ちるでしょ。これが大根おろしです。あと、お願いしますね」
 懇切丁寧に説明して、大根をカカシに渡す。
「わかりましたー」
 予想通り真剣な顔をして、カカシは大根をすりおろしはじめた。なんとも無器用な手付きである。
 あんなに鮮やかにクナイを扱うくせに……。
 イルカは苦笑した。が、それを口にしてはいけない。
 この上忍はやたらとプライドが高いので、うっかりしたことを言うと、あとが大変だ。焼き栗のときは散々な目に遭った。あんなことは、もうご免だ。
 カカシが大根おろしと格闘しているあいだ、イルカは白菜を切ったり、肉をあしらい鉢に盛り付けたりしていた。そして、鍋のだしが、ぐつぐつといいはじめたころ。
「あっ……」
 カカシが、素っ頓狂な声を出した。
「どうしたんです?」
 慌てて、振り向く。
「イルカ先生……」
 情けない顔。
「はい」
「皮が、入っちゃいましたー」
「はあ?」
 大根の皮はむいたはずだが。
「ほら、ここ……」
 カカシは右手を掲げた。小指の横の皮がむけて、血が滲んでいる。
「……あんた、手まですりおろしたんですか?」
「大根おろしって、痛いんですね」
 しみじみと、感想を述べる。イルカはため息をつきながら、カカシの手当をした。
「あとはおれがやりますから、すわっててください」
 カカシはしょんぼりと、卓袱台の前に腰をおろした。
 大根おろしの続きをしようと、イルカがおろし金に向かったとき、
「あのー」
 カカシが声をかけた。
「なにか?」
 いくぶん、声に険が混じるのは勘弁してほしい。
「皮、取らなくていいんですか?」
「あ……そうですね」
 イルカは慌てて、ボウルの中を調べた。が、どうしても見つからない。もしかしたら、皮なんか入ってないのかもしれないし……。
 そうは思ったが、もしもということもある。このまま生で食べて、ブドウ球菌で中毒になるのも嫌だ。
 じゃこおろしは止めて、みぞれ鍋にしよう。
 イルカはメニューを変更した。とりあえず、熱湯消毒すれば大丈夫だろう。
 十分後。卓袱台の上には、大根おろしが山ほど入ったみぞれ鍋がどん、と置かれた。
「いっただきまーす」
 上機嫌で、カカシは箸を取った。イルカも、黙々と食べ始める。
 しばらくたってから、カカシは含み笑いをしながらこう切り出した。
「ねえねえ、イルカ先生」
「はい」
「どっちに入ったでしょうねえ」
「なにがですか」
「俺の、皮」
 ぐっ、とイルカはむせた。
「……知りませんよ、そんなこと」
 余計なことを思い出させるんじゃねえっ!
 心の中で罵倒する。
「でも、ちょっと感動かも」
「感動?」
 どこが、どのように感動すると言うんだ。まったく。
 イルカの心の声も知らず、カカシはうっとりと箸を運ぶ。
「だって、イルカ先生が俺の皮、食べてくれたら、それって一心同体ってことですから」
 ふざけんじゃねえっ!!
 イルカはガチャン、と取り鉢を置いた。
 んなもんで、感動するんじゃねえよ、馬鹿野郎! 脳ミソ、腐ってんじゃねえかっ??
 叫びたい……。
 真剣に、そう思った。しかし、目の前でほくほくと鍋をつついている姿を見ては、そういうわけにもいかない。
 つくづく、おれは厄介なやつに引っかかってしまった。これ以上、鍋に手をのばす気にもなれない。
 イルカはひたすら、炊き立てのごはんに漬物を乗せて口に運んだ。
 とりあえず、なにか食べておかなくては。空腹のままで、この男と付き合うのは自殺行為だ。
 過去の経験から、それは明らかだった。本当に、とことん情けない経験なのだが。
 そしてイルカは、四杯目のおかわりをした。
 


 (THE END)


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