箱いっぱいの愛〜魔の食欲上忍シリーズ14〜  BY つう







 その日、イルカは晦日市の露天で売れ残りの茶碗や丼や皿を持てるだけ買って、帰宅した。
「あー、重かった」
 流し台の横に、どさりと荷物を置いて、大きなため息をつく。
 帰る道々、顔見知りの八百屋のおやじさんや惣菜屋のおかみさんに「先生もいよいよ所帯を持ちなさるのかい」とからかわれて大変だった。
 所帯、か。
 たしかに、このところの自分は思い切り所帯じみている。もともと家事はまめにやる方だったが、最近ますます拍車がかかってきていて、近所のおかみさんたちからは、年上の恋人の尻に敷かれていると噂されているらしい。
 尻には敷かれていないが、振り回されてるよな。
 さらに深いため息をつく。
 問題は、その「恋人」が男で、里を代表する上忍で、茶碗ひとつまともに洗えない日常生活不適格者であることだ。
「なにか、やることありませんかー?」
 イルカの家に夕飯を食べに来るたびに、カカシは言う。
 以前は縦のものを横にもしなかったくせに、このごろ、なにかというと「お手伝い」をしたがるのだ。
 まるで子供だな。イルカは思う。精神年齢五歳だと思っていたが、行動基準もどうやら大差なかったようだ。
「あ、俺、お皿、片付けますー」
 どうして、一枚ずつ運んでいるのに次々落とすんだ。
「茶碗、出しますねー」
 二人しかいないのに、水屋にあるのを全部出さなくていい(しかも、半分ちかく落として割っている)。
「お茶、いれます〜」
 ……急須に山盛り茶葉を入れるなっ!
 疲れた。
 罵倒できれば、まだましだ。問題は、この男がやたらとプライドが高いということなのだ。ばかばかしい失敗をしても、大っぴらに笑えない。そんなことをしたら、果てしなくひねくれて、修正がきかなくなってしまう。
 結果、幼児に対するごとく、噛んで含めるように話さなければならない。
 イルカは教師である。子供に物事を説明することには慣れている。しかし。
 カカシは「子供」ではない。「大人」でもない。これがいちばん、厄介だった。
 仕方がないよな。半ば、あきらめの極致である。そんな男に、自分から近づいてしまったのだから。
 イルカは買ったばかりの食器を洗い桶に入れた。
 今日あたり、カカシが夕飯を食べに来るはずだ。またなにか「手伝い」をしたいと言うに違いない。そのときは、この食器を使おう。なにしろ、十羽ひとからげで買った品である。落とそうが割れようが、まったく頓着することはない。
 そんなことを考えていると、まるで計ったように玄関の戸を叩く音がした。
「イルカ先生ー」
 来た。
 イルカは食器を水切り籠に置いたまま、扉を開けた。
「今日のおかずはなんですか?」
 毎度おなじみの台詞だ。
「ブリ大根と水菜の吸い物です」
「いい匂いですねえ。あ、これ、お土産です」
 カカシは一抱えもあるような大きな木箱を差し出した。
「はあ、どうも。……なんですか、これ」
 ずっしりと、重い。
「茶碗です」
「茶碗?」
「あと、皿とか小鉢とか、いろいろ……うちの物置きにあったんですが、俺は使わないんで」
 箱の大きさからすると、会席料理の器が六客揃いで入っていそうだ。
「俺、このあいだからイルカ先生んちの茶碗、だいぶ割ってしまいましたから」
 なるほど。一応、自分がやったことは理解しているんだな。しかし、それにしたって、極端だ。こんなにたくさん貰っても、置く場所がない。タイミングがいいというか悪いというか、今日、新しい食器を買ってきたばかりだし。
 心の中で独白しながら、イルカは箱を開けた。丁寧に紙で包まれた茶碗を手に取る。
「カ……カカシ先生」
 声がうわずった。
「はい?」
 カカシはすでに、卓袱台の前にすわっている。
「この茶碗……」
「お気に召しませんでしたか」
「もしかして、七星窯のじゃないんですか?」
「へ、なんですか、それ」
 晦日市の古株で、陶磁器を専門に扱っている男がいる。その男が今日、イルカに「目の保養をしていきなせえ」と、七星窯の名工が作った皿や茶碗を見せてくれたのだ。それと同じ銘が、この茶碗にも入っている。
「なにって、その……もし七星窯の品だったら、茶碗ひとつで三月ぐらい暮らせるんですよ?」
「茶碗ひとつじゃ、お茶漬けか汁かけごはんしか食べられないじゃないですか」
「いえ、そういうことじゃなくて……」
 なにとぼけたことを言っているんだ、この男は。三月暮らせるって言ったら、三カ月分の給料ぐらいの値がするってことじゃないか。
 イルカはおそるおそる、ほかの器も調べてみた。専門家でないので判然とはしないが、おそらく皆、七星窯のものだ。
「こんな高価なもの、いただけませんよ」
「へえー、そんなに高いものだったんですか。でも、俺は自分ちでごはん食べませんし……」
 自分の家で食事をしない。
 その言葉がイルカの胸にちくりと刺さった。そうだった。この男は、放っておいたら何日でもまともな食事を摂らないのだ。
「イルカ先生がいらないのなら、捨ててもらってもいいですよ」
 ばかな。これだけあれば、小さな家なら一軒たつかもしれない。イルカは木箱を見下ろしつつ、考えた。
 まあ、くれると言うものは貰っておこう。カカシがここに来るようになってから、食費が三倍ちかくに跳ね上がった。正直なところ、中忍の給料でこの男の胃袋を満たすのは大変なのだ。
 万一のときは、いい質草になるだろう。イルカはそう自分を納得させた。
「イルカ先生、俺、おなかがすきましたー」
「あ、はい。いま、用意します」
 とりあえず箱の蓋を閉めて、イルカは立ち上がった。
「あれ、その茶碗、使わないんですか?」
「今日は、うちの食器で……」
 七星窯の鉢にブリ大根なんか入れられるか。万一、「俺が洗いますー」なんて言われて、うっかり割られたら大変だ。そりゃ、カカシのものをカカシがどうしようが勝手といえば勝手なのだが。
「あ、新しいお茶碗ですねっ」
 イルカが水切り籠から取り出した茶碗を見て、カカシは言った。
「ええ。さっき、晦日市で買ってきたんです」
「うれしいなあ。イルカ先生が俺のために、お茶碗を買ってくれたなんて」
 にこにこと、カカシは笑った。
「まるで、新婚さんみたいですねえ」
 どこがだ、どこが!
 買ったばかりの茶碗を落としそうになった。つくづく心臓に悪い。
「たくさん、食べてくださいね」
 桶のような大きな鉢に盛ったブリ大根を、どん、と卓袱台の上に置く。新しい茶碗にごはんをよそって差し出すと、カカシは上機嫌で箸を取った。
「いただきまーす」
 いつものように、しあわせそうな顔で飴色になった大根を口に運ぶ。イルカも卓袱台の前にすわって、汁ものに手をのばした。





 小一時間後。
「あーっ、イルカ先生っ!」
 ガチャン、という音とともにカカシが悲鳴を上げた。悲しいほど、予想通りの展開だ。自分が食べた茶碗を流しの中に入れようとして、手がすべったらしい。
 やはり、安物の食器を買ってよかった。
 イルカは手早く、床に散らばった欠片を集めてごみ箱に捨てた。雑巾でざっと床を拭く。
 カカシはしゅんとして、卓袱台の前に正座した。
「すみません」
 いつになく、殊勝な様子だ。イルカは雑巾をすすぎながら、
「気になさらないでください。掃除すればいいんですから」
「せっかくイルカ先生が買ってきてくれたのに」
「茶碗なら、まだありますから……」
 なにをそんなにムキになっているのだろう。いままでだって、山ほど(というのは大袈裟にしても)食器を駄目にしているくせに。
 盆に湯呑みを乗せて、卓袱台の前に戻る。カカシは顔を上げた。
「ほんとに、怒ってません?」
「怒ってなんか、いませんよ」
 あきれてるだけで。
「よかったー」
 言うなり、カカシはがばっとイルカに抱きついた。
「いきなり、なんですかっ」
 湯呑みがころころと壁ぎわまで転がる。
 お茶が入ってなくてよかった。まったく、いつも唐突なんだから。
「うれしいですっ。イルカ先生の愛は、海よりも深いんですね!」
 イチャパラの引用はやめてほしい。ただでさえ脱力ぎみなのに。
「俺、先生の愛に応えるためにがんばりまーす」
 ……がんばらなくていいよ。
 もっとも、この状況で反論しても無駄だろうな。イルカの顔の横に、カカシの額宛てが落ちた。
「……蒲団、敷いてくれませんか」
 畳の上は、ちょっと嫌だ。以前、背中をすりむいたことがある。
「わっかりましたー」
 嬉々として、カカシは奥の八畳間に入っていった。
 これからは、蒲団の上げ下ろしぐらいしてもらおう。蒲団なら落としても割れないし。
 つらつらと考えていると、奥からガタン、と大きな音がした。
「イルカせんせい〜」
 情けなさそうな声。慌てて立ち上がる。
「なんですか、いったい……」
 奥を覗いて、イルカは絶句した。押し入れの襖の枠がぽっきりと折れている。
「すみません」
「どうして、こんなことになったんです」
 口調を教師モードに移行しつつ、イルカは言った。
「蒲団を出そうと思って」
「それで?」
「襖に引っかかったもんですから」
「で、力任せに引っ張ったんですか」
「はい」
 狭い押し入れである。蒲団を出し入れするときは、あらかじめ襖を一枚外すか、蒲団を斜めにしなければうまくいかない。そんなことは、見ればわかると思っていた。まさか襖を壊すとは。
 カカシはとぼとぼと八畳間を出て、額宛てを拾った。
「帰ります」
「は?」
 イルカは振り向いた。耳が遠くなったかな。一瞬、そう思った。
「帰ります。あした、建具屋を連れてきますから」
 なるほど。襖の弁償をする気か。それにしても、こんなにあっさり帰るなんて、なにか裏があるんじゃないだろうな。
 なにしろ、この男には何回も騙されている。どんでん返しがあっても驚かないようにしなくては。
「それじゃ」
 カカシはすたすたと玄関に向かった。木箱の横を通って、三和土に下りる。
「あ、そうだ」
 やっぱり来た。すんなり帰るはずがないと思ったのだ。
「……なんですか」
 身構えつつ、訊く。
「ブリ大根、まだ残ってましたよね」
「はあ、それがなにか」
「貰って帰って、いいですか。あしたの朝、食べますんで」
「じゃ、重箱にでも入れます」
ー「そのままでいいですよ」
「大鉢のままで?」
「はい。ほかのに移すの、めんどくさいでしょ」
 イルカは卓袱台の上に置いていた大鉢をカカシに渡した。
「ありがとうございますー。器はあした、お返ししますね」
 日中にこの大鉢を持って、建具屋を連れてくるってか?
 近所になんて噂されるだろう。あまり考えたくない。
 布巾をかけた大鉢を抱えて、カカシが帰っていく。これはこれで、一種のどんでん返しかも。
 イルカは七星窯の器の入った木箱の横に、どっかりと腰をおろしてため息をついた。





   (THE END)


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