「イルカ先生。三ヶ月ですよ」
 ある小春日の午後。
 ぐっと伸びをしたうみのイルカの目の前で、銀髪の上忍が指を三本立てて言った。








進め!婆娑羅道!〜お稽古カカシシリーズその8〜 by真也








「・・・・あんた、いつからそこにいたんですか」
 じっとりと中忍は見つめた。既に顔はひきつっている。
「いやだなぁ。俺達は一心同体でしょ?当然です」
 うみのイルカを覗き込んだまま、へらりと笑って隻眼の上忍は言った。奇麗に細められる蒼。
「冗談はやめてください。気持ち悪いです」
「ええ〜?俺達いつでも繋がってるじゃないですかぁ!だから、一心同・・・痛いっ」
 ばこん。拳骨で殴られ、上忍は頭を抱えた。涙目でイルカを見やる。こんどはイルカが詰め寄った。
「あんたねぇ!口を慎んでくださいっ!誰が聞いてるかわからないんですよっ」
 極力声を潜めて、それでも必死で抗議する。
「・・・ほう・・・」
 中忍の抗議に、はたけカカシは右眉を上げた。右目が剣呑に光る。
「ということは、イルカ先生は疑うわけですね?俺の結界力と気配察知能力を」
「うっ」
「俺が何て言われてるか知ってます?」
 おお、知ってるとも。あんたは『写輪眼のカカシ』だ。里随一の手練れの上忍だよっ。
 心の中で叫びながら、中忍は冷や汗を流した。いつぞやのように豹変されたらどうしよう。ここはアカデミーの事務局。いくらなんでもこんな所で襲われたりしないだろうが、後の仕返しは必須。今日は例のお稽古の日なのだ。
「イルカ先生。俺は俺なりに最大限の配慮をしているつもりです。それは、おわかりですよね?」
 嘘つけ。ひとんちの部屋を改造しやがったのは誰だ。あらゆる鳴り物や踊りで、びっちり二時間リサイタルしやがったのはどこのどいつだ。
 イルカの心の叫びは音にはならなかった。ここで切れてはいけない。切れた後の行動は、あっちのほうが段違いに過激なのだ。
「・・・・じゃあ、結界は張ってるんですね」
「もちろんです。この部屋全体に厳重に結界を張っていますよ。これを通り抜けられる奴って、里には片手もいませんねぇ。だから、安心してください」
 えへんぷいとばかりに胸を張り、はたけカカシは断言した。複雑な心境ながらもうみのイルカは胸を撫で下ろした。その時。
 バシッ。出口のほうで衝撃音が響いた。わいわいと騒ぐ同僚達の声。
 結界って・・・・・攻撃結界だったのか。
 中忍は目眩いを感じた。が、必死でふんばる。これ以上犠牲者を出さないうちに、この場を何とかしなくては。
「・・・で。三ヶ月って何ですか?」
「ああ。それですけどねぇ」
 はたけカカシはウキウキと答えた。先程の剣呑さは毛ほども残っていない。 
「俺達の愛の日々ですよ。晴れて、三ヶ月を迎えました」
 がくり。中忍は肩を落とした。そんなことを言いに来る為に、この上忍は攻撃結界まで張ったのか。
「でね。三ヶ月記念にまた始めようかなーと」
「はあ。何をですか」
 今度は何を始めるというのだ。まさか、新手のアレじゃないだろうな。うみのイルカは訝しげに見やった。上忍の能天気ヅラにぶつかる。
「やだなぁっ。お稽古ですよう」
 ぷくり。頬をふくらませて上忍は言った。中忍は呆然とする。どうリアクションしたらいいかわからなかった。
「お稽古・・・・ですか?」
「はい」
「お稽古って、踊りとか歌とか習字とかのお稽古ですよね?」
「イルカ先生。ひょっとしてボケてます?」
「いえ。一応確認です」
「相変わらずだなぁ。疑り深い。困ったちゃんですね」
 おまえに言われたくないと思いながら、うみのイルカは微笑んだ。普通のお稽古。もしそれが復活するならば、アレのお稽古はないかもしれない。
 アレの稽古。
 それは、三ヶ月前のアレ合宿から始まり、つい先日のお稽古の日まで黙々と続けられた。それも「慣れる」の名目をもとに。
 形はどうあれ、今では両想いの二人である。イルカとてアレが嫌いなワケではない。特訓の甲斐あって、今ではばっちり開発されている。それどころか、しっかりと行為に慣れてしまった。けれど、それだからいいってものではない。アレは互いが求める時にすればいいのであって、日々鍛錬みたいにがしがし稽古しなくていいと思う。
「いいんじゃないですか?」
 満面の笑みを浮かべたいのを我慢して、うみのイルカは答えた。気付かれてはいけない。気付かれたら、更に悪い結果を呼びそうだ。
「決まりですね。じゃ、今日は俺ん家に来てください」
 中忍の返事を聞き、気色満面で上忍は言った。すばやく印を切る。イルカが頷いている間に、はたけカカシは消えていた。
「今度は何かな・・・・」
 疑い半分、期待半分。複雑な気持ちを抱えながら、うみのイルカは頬を掻いた。





「いらっしゃーい」
 夕暮れ時。訪れた郊外の古寺の中から、はたけカカシは現れた。朱色に亀甲柄の振袖。鶴も飛んでいる。鶴亀でなんともおめでたい。後ろでまとめられた銀髪には、色とりどりの生花が飾られていた。
 慣れって恐いよな。
 うみのイルカは思った。もうこれくらいの装束では、まったく驚かない自分がいる。なんだか妙に情けなかった。
「カカシ先生。今日は、何を・・・・」
「華道でーす」
 銀髪の上忍は艶やかに笑った。知らない人が見たら陥落するほど、美しい化粧顔で。
 華道か。意外だったな。
 中忍は思った。この男がやるには、華道は地味な稽古過ぎる。いくら生けられる花達が美しいと言っても。
 何かある。
 いつぞやの習字のこともある。オレは騙されないぞと思いながら、イルカは拳を握った。大きく息を吸い込む。よし。少々のことがあっても大丈夫。
「どうぞ〜」
 本殿の前に通された。奥に何か、巨大なもの。
「何ですかこれ」
 思わずイルカは指差した。それは、馬鹿でかい壷状の物だった。
「花瓶でーす。大きいでしょ?」
 ひと一人余裕で入る。これが花瓶だって?それこそ御冗談だ。
「・・・・肥え壷かと思いました」
「やだな〜。高かったんですよこれ。昔、婆娑羅大名って呼ばれた方がいましてね。その人がこの花瓶で生け花されていたんですって。雅ですよねぇ」
「どこが雅なんですかっ!こんな大きな花瓶、何本花入れりゃあいいんですかっ!」
「大丈夫ですよ〜」
 イルカ渾身の叫びに、はたけカカシはにっこりと笑った。いそいそと奥の間に消える。イルカは呆然と見送った。
「ほら〜」
 はたけカカシは現れた。肩にはしっかりと一本の松の木が担がれている。
「いきまーす。はいっ!」
 びゅん。松の木が飛んでくる。肥え壷、もとい花瓶の中に投げ入れられた。
「次でーす!はいその次〜!」
 がこん。ぼすんとおおよそ生け花に聞こえない音で、次々と木々が花瓶へと入る。そのパワー。そのコントロール。それはまさに、上忍ならではの業と思えた。泣きたくなるくらいに。
「イルカ先生〜!ちゃんと見てますか〜?」
 うみのイルカは立ち尽くした。もちろん、コメントする言葉もなかった。彼は耐えた。二時間だ。二時間たてばこの華道も終わる。お稽古発表会が終われば、今日の苦行は終わりだ。
「はーい。これで完成でーす!」
 晴れ晴れと上忍は宣言した。中忍の目に熱いものが込み上げる。心からのうれし涙だった。
 終った。これで家に帰れる。そう思った時。
「では、第二部行きまーす」
 カカシの声が部屋に響いた。イルカは耳を疑う。第二部、だって?
「あの、カカシ先生っ。だ、だだ第二部って・・・・」
「イルカ先生、またどもってますね?御安心ください。第二部は御待望のアレでーす!嬉しいでしょ?」
「いやっ、ち、ちがっ」
「任せてくださいっ!俺、ちゃんと第二部用に余力を残しておきましたからっ」
 あれだけ豪快なことやっといて、まだ余力があったのか。やはり、こいつは人間じゃない。
 うみのイルカはひきつった。しかし、万事休す。
「夜はまだ長いです。しっかり、お稽古しましょうね」
 銀色の髪で。紅と蒼の瞳で。里随一の努力中毒者が囁く。イルカのもっとも惹かれる顔で。
「さあ、まずはお風呂でーす」
 中忍の手を引っ張って、上忍が奥へと進んでゆく。巨大花瓶の脇をすり抜け、奥の間へと。売られた子牛の歌を思いだしながら、うみのイルカはそれに続いた。
 奥の間の戸が、ぱたりと閉められた。


今日の標語:婆娑羅道 雅な趣味だよ 力業



end


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