西日
  byつう







 一昨日、茶室に活けた紅色の薮椿が、畳の上に落ちていた。煉はそれを拾い、花器を手に水屋へと回った。
 もう、彼らは木の葉の里に着いただろうか。いや、途中で休息をとっているとしたら、国境を越えたあたりかもしれない。
 カカシのことだ。まだ傷の癒えていないあの人に、無理をさせるとは思えないから。
『世話になった』
 別れ際の、カカシの言葉。
『今度は、この人ひとりで来るかもしれないけど、あんまりいじめないでやってねー』
 冗談まじりに、しっかり牽制していった。思わず苦笑が漏れる。
 わかってますよ。あなたの大事な人なんだから。それに、彼の本当の力がどれほどのものか、見せてもらいましたからね。
 煉は花器を洗い、先刻切ってきたばかりの山茶花を活けた。白く、やわらかな花弁。濃い緑の葉とのコントラストが美しい。
 茶室に戻って、それを床の間に据える。花の色が変わっただけで、部屋全体の空気がまったく違うものになる。煉はしばらく、その場に座していた。
「もう、気は済んだか」
 襖の向こうから、声。煉は眉をひそめた。
「だれにものを言っている」
 返答はない。
「下がれ! きさまなど……」
 呼んでいない。そう言おうとした。そのとき。
 襖が開いた。赤茶色の髪の長身の男が、まっすぐにこちらに向かってくる。
「理寧……」
 さらに叱責しようと口を開いた直後、煉は声を封じられた。噛みつくような口付けによって。
 畳に背を押しつけられる。利き腕は強い力で掴まれて、下手に動かせば関節を傷めそうだった。
 舌が絡まり、吸い上げられた。息苦しさにかぶりを振る。理寧が慣れた手つきで煉の帯を解いた。下衣がゆるめられる。覚えのある愛撫に、全身が震えた。
「……っ!」
 やっと唇が解放された。が、そこから漏れるのは、すでに言葉にならぬ声だけだった。





「どういうつもりだ」
 剥ぎとられた衣服の上に横たわったまま、煉は言った。
「こんなところで……」
「人払いはした」
 抑揚のない声で、理寧は答えた。
「結界も張ってある」
「そんなことは訊いてない」
「待てなかった」
 自分の上衣を煉の肩にかぶせながら、言う。
「待ちすぎたからな」
 煉は顔を上げた。漆黒の左目と、光を通さぬ白濁した右目が見下ろしている。
「待って……いたのか」
「そうだ」
 彼らが、無事に帰るまで。
 腰を庇いつつ、煉はゆっくりと上体を起こした。
「どうせなら、もう少し待っていてくれればよかったのに」
 せめて、夜まで。
「待ちすぎたと言っただろう」
 たしかに、そうかもしれない。
 昨秋、約十年ぶりにカカシと再会して以来、自分たちは枕を交わしていなかった。それまでも、そう頻繁に床をともにしていたわけではないが、どちらからともなく誘い、応じる関係がもう三年ばかり続いていた。
 最初は、煉が父親を殺めた直後。
 時限印の発動によって仲間を虐殺しはじめた玄を、煉は自ら手にかけた。正気を失った父を止めるには、そうするしかなかったから。
 理寧の右目は、その折に失明した。以後、彼は戦闘任務には出ていない。このごろはもっぱら、情報収集と分析を担当している。もともと戦略家で、情勢を読むのに長けた男だったから、それはそれで適任ではあったのだが。
「長かった」
 理寧の手が、煉のあごにかかる。
「待つのには慣れていると思っていたのだがな」
 唇が重なる。わずかに触れて、すぐに離れた。
「先に行く」
 低い声でそう言って、理寧は立ち上がった。作法通りに襖を閉める。
 西日の薄く差し込む茶室の中。煉はひとつの季節が通り過ぎていくのを感じていた。
 


  (了)




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