搦手
〜からめて〜  byつう








高坂の城での工作において、雲の国の間者が城内に潜んでいた可能性があると言ったのは、理寧だった。
「木の葉側に二重スパイがいると思っていたのだがな」
苦虫を噛みつぶしたような顔で、理寧は言った。
「まーさか、こっちだったとはねえ」
幹はぼりぼりと頭をかいた。
高坂の城の配備に関して、理寧たちは間者をおびき出すための網を張った。城に搬入する物資の情報をそれとなく流し、間者が動くのを待ったのだ。結果。
動いたのは木の葉の配下ではなくて、森羅の忍だった。
「で、どうするよ」
幹がぬるくなった茶をがぶ飲みして、言った。
「どうもこうもない。始末するだけだ」
「煉はなんて言ってんだ?」
「なにも」
「なにも?」
 幹は眉をひそめた。
「見逃す気かよ」
「まさか」
「だったら……」
「まだそこまで頭が回っていないのだろう」
 ショックだったとは思う。仲間が、敵と通じていたなどと。
「長引かせるのは、まずいぜ」
「わかっている。一両日中に方をつける」
「……煉の決裁は?」
「無用だろう。わしがやる」
 きっぱりと、理寧は言った。幹は口を曲げて、
「大丈夫かよ。今度は謹慎じゃすまねえかも……」
 理寧は以前、煉の下命を待たずにとある作戦を実行に移し、謹慎を命じられたことがある。
「そのときは、そのときだ。あとのことは、おぬしに任す」
「荷が重いんだけどな」
「ならば、おぬし。わしと代わるか?」
 低い声。幹は肩をすくめた。
「冗談じゃねえ。俺が面倒みられるのは、煉の命だけだ」
 くわばらくわばら、と、うそぶきつつ、幹は席を立った。
「一応、背後関係を調べてみる。ほかにも雲の国の息がかかったやつがいるかもしれねえからな」
「頼む」
 朋友が出ていくのを見送って、理寧は嘆息した。
 早くにわかって、不幸中の幸いだった。もし、高坂の一件がなかったら、あの間者はいまだに潜伏したままで、森羅のさらに奥深くまで入り込んでいただろう。なにしろ、身元ははっきりとした男なのだ。
 男は、理寧の学び舎時代の知己であった。
 あれも、おそらく時限印の一種だろう。理寧は考えた。かつて玄に施されたような強力な印ではないが、少しずつ自我を奪い、他者の思い通りに動かせるようにしていく妖術。
 さすがに雲の国。一筋縄ではいかぬ。こちらの動きを傍観しているかと思えば、心臓部に一矢放ってくるとは。
 ほかにも、同じような術がかけられた者がいるかもしれない。解術のためには、いま獄にいる男を被験者とするしかない。
 煉がそれを許すとは思えなかった。処断することはよしとしても。
「致し方あるまいな」
 だれに言うともなくそう呟いて、理寧は房を出た。





 二日後。
 間者はその首を落とされた。それを見届けた煉は、骸に説明のつかない傷痕があるのに気づき、問いただした。
 幹は、情報を引き出すために尋問を行なったと告げ、理寧は印の解明のためいくつかの実験を試みたと述べた。
「私は、そのようなことは聞いていないぞ」
「報告する必要もなきことと判断した。あやつが断罪されることは決まっていたのだから」
 淡々と、理寧は言った。煉は沈黙した。
 重苦しい空気が広間に流れる。前例のごとく、いや、もっと厳しく糾弾されるかもしれない。理寧がそれを覚悟したとき。
「そう、か」
 搾り出すような声で、煉は言った。踵を返し、広間を出ていく。その場にいた者たちは、一斉に安堵の息をついた。
「今度は、俺も懲罰房行きかと思ったぜー」
 汗をふきつつ、幹が天を仰いだ。
「とにかく、一段落だな」
 そう言う幹を横目に、理寧は煉の去った方向を見遣った。



 わかっているはずだ。煉とて。
 かつて、その手で父親を断じたのだから。
 それでも。できれば、もうそんな思いはしたくない。だれにも、してほしくない。そうも思っていたはずだから……。

 夜半。理寧は煉の私室を訪れた。
 いつも通り、声もかけずに中に入る。室内は暗かった。もう床に就いたのだろうか。先刻の様子からして、なかなか寝つけぬと思っていたのだが。
 幕を開ける。月明りが薄く差し込む。そこには。
 牀の上にきっちりと座した煉がいた。
「起きていたのか」
 状況は予想通りであったが、煉の様子は予想とは異なっていた。その「違い」は、煉の発した言葉によってさらに明確になった。
「待っていた」
 小さな、しかしはっきりとした声。空気の振動が耳に届くまで、いやに長く感じられた。
 待っていただと? おまえが、このわしを。
 口元が歪む。笑いたいのか怒りたいのか泣きたいのか。自分でもわからなかった。うれしいのか、悔しいのか、悲しいのか。
 そのどれもが、少しずつ内包しているような気がする。
「同情か」
「違う。私は……」
 言い淀んでいる。
「違うのなら、なんだ」
「理寧……」
「わしは、わしの信念でもって、為すべきことをしたまでだ。べつに、おまえに誉めてもらおうとも、ねぎらってもらおうとも思わぬ」
「それなら……」
 言いかけて、ためらう。しばらくして、やっと語を継いだ。
「なぜ、ここに来た」
「おかしなことを聞く」
 理寧は牀の足元に腰を降ろした。
「理由など、いるのか? わしがおまえを抱くのに」
 煉は唇を噛み締めた。混乱しているのだろう。いつもと違う展開に。だが、そう仕向けたのはおまえの方だ。
「では訊くが、おまえは、なにゆえわしに抱かれるのだ」
 答えられるか。おまえに。それを口にできるか。
 薄闇の中。翡翠色の瞳が見開かれる。わずかに唇が動いた。
 言うか。煉。
 苦しげな顔が近づいてくる。そして。
 唇が重なった。





 なにかせずにはいられない。なにもせずにはいられない。
 そんな、切羽詰まったものが煉にはあった。
 こちらを窺いつつ、体を揺らす。理寧は動かなかった。手を添えることさえせずに、自分の上で煉が乱れていくのを眺めていた。
 色づく肌。汗の匂い。繋がりを表わす淫靡な音。それに絶え絶えに漏れる艶めいた声が加わる。
 中は、もう限界だった。ほんの少しの刺激で、ふたりとも最終的な段階にまで達するだろう。理寧は身を起こした。煉が上体を震わす。両の腕が、しなやかに理寧の首に絡まった。
「まだ、動けるか」
 意地の悪い質問だということは重々承知だ。頬が朱に染まっている。潤んだ目でにらまれた。
「動ける、な?」
 言葉とともに、ひざを持ち上げた。うしろに倒れぬよう、腰を支える。煉は目を閉じ、さらに深く身を沈めた。




 理由など要らぬ。意味など持たせる必要はない。
 あの日、おまえに触れた。おまえは拒まなかった。それ以上、なにがある。
 なにもいらない。愛も希望も慰めもいたわりも。そんな上等なものは、わしには無用だ。
 だから。
 なにも考えるな。おまえがここにいる。それだけで。
 そのことだけで、十分なのだから。



(了)



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